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どの位置に着いたのかは分からないが、方角からして、リティーノ村がある地ではない。海に沿って流れてきた方角を追えば、向い側に知っている景色が見えてくるかもしれないと、凍える足を懸命に動かした。
なだらかな丘には、自分の姿が隠れるほどの長さをした草がごうごうと生えていた。川が見え、身を眩ませられる位置を探りながら、辺りに警戒心を張り巡らせる。鼓動ではち切れそうな身体を時に屈め、時に這いながら。
しかし、暗闇と寒さが意識を弱めようとすると、小石に躓いてしまった。その衝撃に、じわじわと我慢に尽きた涙がこぼれだす。
とんだ思いつきで何もかもを蹴散らして、こんなところに来てしまった。ちっぽけすぎる自分にできることは、本当にしれていた。母や兄姉の命があっても、今このままでは、自分が萎れて土になりかねない。それでは、共に生きることが叶わないではないか。
「木……」
せめてどこか、身を寄せて夜を越せる場所を探さねばならない。光がなければ、今の自分には何もできない。そう悟った時、かじかんだ腕で地面を押し、震える身体を力いっぱい持ち上げると、足で支えた。そして、大きく一歩を踏み出すと――あの歌が、ポッと閃いた。
「オグヨがきた 朝のにおいをつれて
オグヨがきた 太陽を届けに
露が光った 草がそよいだ
わたしたちは また 今日を迎えることができた
オグヨがきた 昼のにおいをつれて
オグヨがきた 風を届けに
物が渡った 笑みが廻った
わたしたちは また 今日を食いつなぐことができる
オグヨがきた 夜のにおいをつれて
オグヨがきた 月を連れて
水を飲み終え 寝床にかえった
わたしたちは また 今日を生きることができた……」
震える息の中、歌は夜に溶けていく。高いところが低くなってしまう。寒さのせいで、母やダヨのように歌えなかった。正しいリズムが分からなくなる。この歌は、何度も聞かされてきた訳ではなかった。だが耳には残りやすく、記憶を手繰り寄せるように頭の中でよく歌った。
か細い声でもう一度、草を掻き分ける音を合わせながら、鼻歌混じりに歌った。そして気を紛らわせようと、もっと声を絞り出した。ほんの少しだけ、身体がポカポカしてくると、吹きつける風が心地よくなる。鋭さが丸みを帯び、骨が軋むような寒気が溶かされていくようだった。これに、生き延びられる希望を感じた。
歌は生きることの一部で、皆、悲しみも辛さも歌いながら乗り越えてきた。どんなに詞が暗くても、腹の底から明るく歌うのだ。時にリズムをとりながら。身体を揺らし、ステップを踏みながら。誰かと手を繋ぎながら――
オリトの草を掻き分ける手が止まった。草を握る泥だらけの手を開くと、暗闇にぼうっと浮かび上がる。誰もいなくなってしまった寂しさを、風が冷たさに変えて表現してくる。でも、その冷たさを呼び寄せてしまう選択をしたのは自分であることにも、同時に気づいてしまった。
オリトはその場にしゃがみこむと、両手に息を吹きかける。その時、手の中で先ほどの歌をまじないのように呟くと、三つ目の節を終えてから首を傾げた。
「オグヨはまだ……他に何か……運んできた……」
目の前がぼんやりしてきたかと思うと、首を激しく振り、立ち上がった。止まっている場合ではないと、川を見ながら足早にずんずん進み続けた時――
「ああっ!」
根元に紛れていた切り株に激しくつんのめると、そのまま坂を転げ落ちてしまう。かじかむ身体は言うことをきかず、辺りの草を掴もうにも間に合わなかった。全身を激しく打ちつけながら、最後、ダンッと、何かにぶつかって止まった。そこには木が軋むような音が混ざっていた。
そこら中の痛みに唸りながら、しばし蹲っていると、何かが近づいてくる気配がし、声を引っ込めた。音を立てないよう、そろりそろりと地面の上で身体を縮め、目だけで辺りを探っていく。ザクザクと砂を踏みしめるような音は力強さがあり、きっと大人の足音だろう。
オリトは、音がする方を僅かに見上げた。目を凝らすと、灯が揺れている。ここにも電気が引かれているのかと思った矢先――ふっと、それは闇に消えた。
何が起きたのか分からずにいたオリトだが、一瞬思考を巡らせて、はっとする。光が消えたのではなく、頭上から闇が落ちたのだと解った。が、その時
「……餓鬼?」
低い声が降ってきたのも束の間、短い悲鳴が漏れた。目は、じきにその者の輪郭を捉えられるようになると、口から心臓が出そうになる。その者は、そこに立てつけられた木造の柵から、ぬうっと太い影を伸ばしてきた。
オリトは咄嗟に向きを変え、地面を激しく這い進んだ。しかし首根っこを掴まれ、そのままふわっと宙に浮いてしまう。
「わああああっ!」
両手足をバタつかせながら大声を張り上げた途端――ゴオオッと風が音を立てた。すると、遠くの木々からこの周りの草地、柵の何もかもが横殴りにされると、オリトを掴む太い腕までもが声を上げながら解けた。
オリトは立ち上がり、駆けた。だがほんの数歩先に出たところで、目の前から何かが覆い被さり、行く手を完全に阻まれてしまった。そしてまた、宙に浮かび上がってしまう。
「出して! 出して!」
焦りと緊張と怒りが、またも突風を呼び寄せた。だが、身体が大きく揺さぶられても、外の騒ぎが聞き取れたとしても、状況は何も変わらなかった。冷たい、ザラついた生地でできた袋に、オリトはすっぽりと包まれてしまった。そして、ぐわんと振られたかと思うと、頭がさかさまになり、丸くなる。大きな何かが身体にぶつかった。埃っぽい生地を通して、温かさが伝わってくる。偶然そこに耳が押し当てられており、オリトは青ざめた。
「さっきの風……」
「ああ。あいつが言ってた餓鬼なら、あり得る」
敷地の見張りをしていた男二人は、オリトが入った袋を背負い直すと、その口をしっかりと掴んだ。
暗闇の中で、オリトは息が詰まりそうになる。大男達の足音に合わせて、ゆっさゆっさと身体を揺らされる中、恐怖に震えていた唇がまった。




