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老婆は、冷たさを増していく風に身を縮めた。すり足で音が目立たないよう、慎重に、しかし急いでルル達の元に向かった。
寝静まった家は、四人の人間が出てくるなど想像ができないほどの小ささだ。朝方に出ていく家族は、誰よりも早く床についている。だが今は、その眠りを妨げるしかなかった。
ドアの軋む音がし、ルルは飛び起きると、脇にいつも備えている調理用ナイフを握り、警戒した。
「私だよルル」
低くくぐもった声が、寝床の闇を真っ直ぐに貫いてきた。
「ジュマ……どうして――」
すると突然、ジュマはルルの肩を掴んで目を合わせた。狭い空間に、緊張で湿った二人の眼が光っている。
「よくお聞き。子ども達を連れて、どうにかリティーノ村まで逃げ、匿ってもらうんだ。私の名前を言えばいい」
「一体何があったの……?」
忙しない声に、長男と長女がごぞごぞと動いた。ルルはすぐ、二人の身体に優しく触れ、何もないフリをして二人を眠りの中へ誘っていく。その間ジュマは、教師が訪れたことを順を追って話した。
ルルは顔が青ざめていくのを感じた。夫の無茶な判断が命懸けのものだと悟ると、叩き上げられるような鼓動に揺さぶられ、涙が滲んでいく。
ジュマはその頬を軽く叩くと、尖る眼差しでルルを覗き込んだ。
「しっかりしな。子ども達を起こすんだ。そしてすぐ出てお行き」
「無理よ……」
「何を言ってるんだい!」
ルルの弱音に、ジュマの声が弾け飛んだ。子ども達は目を覚まし、大人達に目を見開いてしまう。
ジュマは、背筋を伸ばせないルルを後回しにし、子ども達の衣服を適当に集め、羽織らせていく。
「ダヨ……まだあさじゃないわよ……」
「夜づりをするなら、前からやりたかったんだ」
その時、シッと力強い息が立った。長男と長女が身を竦めると、その奥では、目を覚ましてからも一言も発さずにいたオリトが、事態を見つめていた。
「リティーノ村に行くんだ。母さんを支えながら一緒に。いいね」
一体どうしてなのかと、兄姉は問いたいところだというのに、その気持ちは寝床から引き摺られながら薙ぎ払われてしまった。しかしオリトは、この場の圧迫した空気と、隙間風の鋭さから、あることを読み取った。
ジュマは二人を片側に寄せると、もう片方で、いつまでも寝床の壁際に立ち上がったまま、動こうとしないオリトに手を差し伸べた。その隣ではルルが、未だ状況を受け入れられないながらも身支度をし、ジュマに代わってオリトを引き寄せようとする。
ところが、オリトは母の腕からするりと抜け、皆から大きく距離を取ると、寝床から足を滑らせた。
「来なさい!」
母の怒鳴り声で、先の二人が怯み、声を漏らしていく。一刻を争う時に、オリトの反発が遅れを取りはじめた。ジュマはまず、二人だけでも先に行かせようと家を出た。
「オリト、聞きなさい。ここにいては捕まってしまう」
「きっと、あたしがどこへ行こうと同じかも」
娘の覆いかぶせてくる態度に、母は焦燥を滾らせる。
「それでも……それでもよっ!」
激しく伸びてきた母の腕を、オリトはまたも交わしてしまう。
「お願いだから……お願いだから、父さんの死を無駄にしないで! 聞き分けなさい!」
その時足元から、すううっと温かい風が這い上ってくると、耳元の髪がふわりと揺れた。
「父さんはまだ生きてる。風がそう言ってる。あたしが行けば、助かるかもしれない……」
ルルは、娘の言葉の中で際立つモノに、胸の奥底の蓋が弾かれてしまう。
「いいから口答えしないで、髪を隠して! それから、風のことは言わないでおくの!」
「でも、そんなの生きた心地がしない」
淡々と跳ね返してくる言葉に、ルルは奥歯をギリリと鳴らした。
オリトは、一度動きを止め、息を抑える母に目を向けたまま、壁伝いに距離をとっていく。
「一緒に生きられるって、言ってるのよ……」
母が、やっと寝床から降り立つと、弱々しい手つきでオリトの肩に触れた。
「誰にも似てないとか、関係ないの……私達は、一緒に生きられるって、言ってるの……」
「あたしには、あたしの役目があるんだわ。一緒に生きる方法は、他にもきっとあるんじゃない……」
オリトはそっと、ポケットからあるものを取り出した。小さな掌にポツッと佇むそれは、この場を包み込む暗闇を、ちっぽけながらに押し退けた。
「ああ、もうっ!」
母は堪らず声を上げると、また、長男にしたようにそれを払いのけようとした。だが、オリトが手を引く方が早かった。オリトはそのまま母から離れると、ドアに近づいた。
「あたしはもう、皆が不安になってるところを見たくない。これで家族は、命を繋ぎとめられるはず」
「違う……違う、そうじゃないオリト! いいから来なさい!」
ルルはもう、説得するよりも力づくで連れていくことが先立ち、反射的に駆け出していた。ドアに立つオリトをそのまま攫うように抱きかかえると、そのまま激しく外に飛び出し、リティーノ村の方へ走った。
その間オリトは、母の腕を解こうともがき続けた。すると――遠ざかっていく細道の砂が、ザワザワと騒ぐのを感じた。何かの激しい振動を受け、道の脇に散っていく音。その音を、冷ややかな風がドッと追い越してきたかと思うと、母の背中を押した。
母が躓きかけるところを持ち直すと、追い風はオリトの髪を擦り抜けていく。砂塵のような金の光が、ふわあっと舞い散り、闇に溶けたと同時に、オリトの脳内で鮮明な影が過った。
「ファラス!」
母は振り返ると、それは早くもこちらに向かってきていた。
「止まって、母さん!」
肌に砂煙が纏わりつき、泥になっていく。裸足だった母は、疾うに脚力を奪われていた。
「走りなさい……」
母はオリトを下ろすと、その背中を乱暴に押した。
「行かない」
「走りなさい!」
母はオリトを思い切り突き飛ばした。オリトは転げるも、すぐに身体を起こした。だがとうとう、母の背後に巨大な影が聳え、嘶きが響いた。
ダヨとジュマについて。
ジュマとは、金曜日に生まれたという意味を持つ名前です。しかし子ども達にだけダヨと呼ばれているのは、ダヨが「おばあちゃん」という呼び方だからです。




