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教師はポロシャツとスーツのパンツを脱ぎ、村人の手製の短パンに、普段着の土汚れが点々とついたままのシャツに着替え、出かけた。
灯がなくとも、昔ながらの夜仕事の影響で、目はすぐに慣れてくれる。それに震災で景色が変われど、土地勘はブレていない。
アジャニの村にも見知った者はいた。だが全員、“大地の号哭”に呑まれてしまった。あまり積極的に訪れる機会はなくなっていたところ、皮肉なキッカケだった。
胸の中で未だ首を傾げてしまうのは、彼のところにいる子どものことだ。子どもを代わるがわるスクールに寄こさないかと話したことがある。しかし彼は、自然に明るく断った。自分が長く留守にする機会が多く、妻一人になってしまうからだと言っていた。子どもにも働きに出させなければ、その日の食料が間に合わない。それは特段、ここの暮らしでは一つの普通として昔から通ってきたことだった。
また切羽詰まれば、最悪、子どもを手放さざるをえない。それもまた、働き手を増やす他にもう一つの、生きるための術として成り立ってしまっていた。環境衛生が満たされていないここでは、大人になるのが難しい子どもも多かった。それ故に、高い確率で女性は学びの機を得られないまま、出産をする。
その事実を、また伝えていけるだろうか。自分達と異国の支援者とのつながりは、国がバラバラになり、本来の姿を亡くしてからでも、繋ぎ留められている。震災ですっかり細くなり、今にも折れそうになった“支援のバトン”――それは、これから向かうべき所の子どもを守ることで、きっと繋いでいけると信じている。
小走りのせいで滲みだした汗を、すうっと、温かい風が撫でていくのを感じた。不思議だった。校舎を出た時の骨身に沁みるような寒さとは、まったく違っていた。
大昔から廃れている村だが、意気揚々とした熱気に溢れていた。そういった意味では、心地よい空気が巡っていた。人々が明日を生きるために、その時その時を熱く、前向きに、笑って過ごす村だ。人々が作り出す美味い空気が、そこにはいつもある。だが、何というべきなのか。ある日、その空気を後押しでもするような、眩しい、湯浴びをするような心地よい風を感じるようになった。踊るように、眠るように、笑うように、楽し気に吹く。まるで、この地に暮らす人のような風を。
なぜ、そんなに風のことを追ってしまうのか。いつかスクールでそのことを口にすると、詩人にでもなるのかと言われたことがあった。歌にできるなら悪くはなかったが、そのセンスはなかった。この地域に対する愛情が深い証だろうとされた時は、十分納得できた。作物の実りを祈ってきた文化だからこその感性なのかもしれないと、今日までずっと胸に仕舞ってきた。
やがて目的の村に辿り着いた。当然、民家はほぼ寝静まっているが、どこか灯が漏れているところを探そうと、身を忍ばせながら通りを練り歩いていく。
なるべく民家のそばを進んだ。だが寄りすぎても、住民に盗賊と勘違いされてしまう。適した距離を作るのに、心の糸が張り詰めた。
そしてようやく、薄明りが灯る小さな家を見つけた。土壁で、ヤシの葉を部分的に葺かれている家だ。外には編みかけのカゴが吊るされたままになっている。
その扉に耳を押し当ててみると、カッサカッサと、草を織るような音が聞こえた。なんとなく香ばしい匂いが、鼻の奥に滑り込んでくる。と、その音は止まった。
教師は速足にその場から離れると、建付けの悪い扉がキイイッと開いた。鮮やかな模様の布を頭に巻いた老婆が、身構えながら訝しげな眼を向けてきた。
「夜分に失礼。人を探していて。アジャニの家はご存知かな?」
「……誰だい」
教師は早口に、自身が隣村の出で、スクールで務めていることを説明した。そしてそのまま、職員用コンピューターにアジャニから連絡が入ったと伝えると、老婆に囁いた。
「すぐに子どもを隠せということだ。詳しいことまでは分からないが、危機を感じてならず、こうして探してる」
老婆は口を開けたまま言葉を失っていた。そして、背の高い教師を見上げては、首をふらふらと左右させ、縋るようにその両腕を掴んだ。
「あんたがうろつくより、私がその子らのところへ行く。ここの電波は、この村の中でしか通用しない。よそ者のあんたが行けば、もしあの連中と鉢合わせた時に厄介だ。奴らの目は誤魔化せない。アジャニどころか、あんたやスクールまで掌握されちまう。最悪、命がない」
老婆は言うと、すぐさま手織りの肩掛けを羽織り、教師に家の留守番を頼んだ。
「近頃は誰も訪ねてこないが、商売人が集まるところでは、連中の出入りは多くなってる。見てごらん」
老婆は教師に、両隣の廃れた家を指差した。扉はなく、屋根は抜けてしまっていた。どうにか設けた庭は、両者が共有していたものらしい。世話が間に合わず干からびた植物が、冷ややかな夜風にふらふらと揺れていた。
「家主は向こうに行ったきり戻ってこない。農作の職をチラつかせて、そのまま攫っちまったに違いない」
教師の瞼がぴくりと動くと、老婆は彼を家の中へ押しやった。
「そちらも、場所を移ることを考えた方がいいかもしれないね」
教師は老婆に頷きながら辺りを見回すと、もしもに備えて適当な言い訳が要るのではと訊ねた。
「そうだね。まず私が戻るまで、変に機器類を扱うんじゃないよ。あんたは私の孫で、カゴは編めない。あんたはただの資材獲りだ。奥に寝床があるから、灯を消して眠るフリを」
老婆は言い終わる頃には、既に目的の家の方に歩きはじめていた。
その足音が早々と遠ざかり、聞こえなくなっていくと、教師は顔をぐったりと両手に埋め、溜め息を吐いた。
スクールの移動先は既に見つけており、この事態からもう、創設者は手を打ちはじめているだろう。教師は、老婆とその家族の無事を、暗闇の中で祈るほかはなかった。




