私はまだ、パスポートを持っていない
バスに乗り込むとき、前にいたショートケアの人が運転手に何かを見せていた。
定期券のような、小さなカード。
運転手はちらっと確認して、うなずく。
その人はそのまま車内へ入っていった。
何だろう、と思いながら、私はスマートフォンをかざして料金を払う。
ピッ。
その後ろでも、また別の人が同じようなカードを掲げて乗り込む。
やっぱり、さっきの人と同じものだ。
気になる。
でも、その場で聞くことはできなかった。
バスの入口は狭いし、みんな乗り込んでいる途中だし、何より、そういうことを質問する勇気が出なかった。
結局、その疑問は後で佐東さんが教えてくれた。
「自治体が運営しているバスはね、条件を満たすと無料になることがあるの」
佐東さんは、歩きながら説明してくれる。
「たとえば、“その地域に住民票があること”とか。“障害者手帳を持っていること”とかね」
少し間を置いて、続ける。
「東京なら、住民票があって障害者手帳を持っていれば、都営地下鉄と都営バスとかに使える無料乗車券が発行できるのよ」
無料乗車券。
さっきのカードのことだと、すぐ分かった。
私は小さくうなずく。
でも、そのあとで、胸の中に妙な感覚が広がった。
私は、もう健常者ではない。
前みたいに働けない。
普通の生活ができているとも言えない。
病院に通って、ショートケアに通っている。
でも。
まだ、障がい者でもない。
だって私は、障がい者のパスポートを持っていない。
国立公園に向かう道すがら、ぼんやり思う。
私はいま、どこにいるんだろう。
健常者でもなく、
障がい者でもなく、
その間の、名前のない場所に私はいる。




