白と黒
あれから、マツムラさんとは一言二言、言葉を交わすようになった。
「こんにちは」それだけの日もある。
「今日は暖かいですね」と天気の話をする日もある。
テレビで見たニュースの話になることもあった。
どれも長い会話ではない。
けれど、マツムラさんは不用意に踏み込んでこなかった。
どうしてショートケアに来ているのか。
仕事は何をしていたのか。
家族はいるのか。
そういうことを聞かれたことは、一度もない。
その距離が、心地よかった。
ある日、マツムラさんが言った。
「オセロ、しません?」
ショートケアの部屋の棚の端に置かれた箱を指差す。少しだけ考えて、私は頷いた。
「……いいですよ」
オセロなら、話さなくていい気がしたから。
盤を広げて、石を並べる。
黒と白。単純なルール。
黒がマツムラさん。白が私。
最初の一手を置いた瞬間、私たちはほとんど言葉を交わさなくなった。
カチ、カチ、と石の音だけがする。
どこに置けばいいのか考える。
ひっくり返る石を数える。
角を取られないようにする。
気づけば、私は夢中になっていた。
「うわ、強いですね」
終盤でマツムラさんが笑う。
盤面を見て、私は少し驚く。
白い石が、かなり多い。
「……たまたまです」
そう言いながら、胸の奥に小さな達成感があった。勝ったことよりも、何かに集中していた時間があったことが、少し嬉しかった。




