93_寝る時間は妥協できません②
「ネージュ……き、君が好きだからだ」
「……?」
「前例のない品を開発して行き渡らせるまで達成したその勤勉さも、至らない私を受け止めてくれた懐深さも、どちらも好ましく思っている。誰かのことがここまで気になったのは初めてだ。私は君に辛い物言いをした。君は私に好意を持つことなど無いだろうと思っていたが……そうでは無いと言ってくれた。だから、伝えようと思った」
アロイスは耳を赤くしている。話すのに心の負担を感じているようにも見える。だが彼は堰を切ったように言葉を続けた。
「私が家に帰るとき、ネージュ、君がいて共に時間を過ごしてくれると嬉しいんだ。それだけじゃない。夫として誰かを支えるならば、他ならぬ君に力を捧げたいと思った。だから君と婚姻を続けたい。それでは駄目か」
「アロイス様、お言葉ですが何か勘違いしているのではないですか……?」
アロイスを落ち着かせるように私はそう言った。
今までの話をそのまま受け止めると、彼は私に好意を抱いているらしい。
多分、それは「看病してくれた人が天使に見える」みたいな現象が起きているのではないか。
身体が弱っているのに加えて心も不安定になるから、優しくしてくれた相手に好意を持ったように錯覚してしまう。よくあることだ。
そんなことを言うと、アロイスは少し物憂げな表情になった。
「……そういうことを言われる可能性は考えていた。だから、この気持ちを伝えるのは体調が戻った後にしてからにしようと考えたんだ。しっかりと睡眠を取った上で、私はなお君のことを好ましく思っている。それはわかって欲しい」
「勘違いでは無いと言いたいんですか?」
「そうだ」
「……でも、やはり離婚はした方がいいと思います」
私のその答えに、アロイスは「何故だ……」と呻く。その狼狽え様を見ると、また体調を崩していたときに戻ってしまいそうだ。
私は彼に思いの丈を語ることにした。
「アロイス様。ギルドのことは置いておいても、私たちは生活において大事なことが合いません」
「それは、何だ……?」
「寝る時間です」
****
アロイスの体調が戻ったとき、彼の睡眠時間の記録をシエラに見せて貰った。
そこには、夜の一時に寝て、朝の六時に起きる――というタイムスケジュールが書いてあった。
私は首を傾げてシエラに確認した。
「これ、治ってないんじゃない? 五時間睡眠はちゃんと寝れていないと思うわ。本当に医者はこれで全快だって言ったの?」
「ネージュ様。これがアロイス様の平均的なスケジュールなのです。当主になる前からこの時間に寝て起きて、体調を崩すようなこともなく、もっと短い睡眠時間でも問題なく活動されていました」
「ええ……?」
シエラの説明に、私は慄いた。
……言われた内容を信じたくなくて頭の中から追い出していたけど、そういえばシエラは前にもこんなことを言っていたような気がする。
アロイスは『眠らずの領主』だ、みたいなことを。
彼女はローハイム家に以前から仕えている使用人だ。そして、アロイスに関することで間違ったことは言わないだろう。
私からすれば、五時間とか四時間程度の睡眠しか取れないと眠くて眠くて頭がぼーっとして何も集中出来なくなってしまう。
でも、人によって必要な睡眠は個人差がある。
アロイスはもともと必要な睡眠時間が少ない者……ショートスリーパーなんだ。
****
「アロイス様。私は七時間は寝たいのです。本当に何も予定のない日は、もっと寝てもいいくらいです。共に時間を過ごしたいと言われましたが、過ごせません。あなたが起きている時間に、私は寝ているのですから」
「おお……」
「睡眠時間が合わないのは、共同生活を営む上では壁になると思いませんか? なので、アロイス様はもっといいお相手を探された方がいいと思います」
私はそう答えた。
これは本心である。
夫婦であれば自動的に睡眠のリズムが合うなんてことはなく、恐らく世の夫婦たちはどちらかがどちらかに合わせる形で生活を成り立たせているのだろう。
そこまでアロイスと睡眠時間が離れていなければ、私もそうしたかもしれない。
だが、平均二時間睡眠時間が離れているのはかなり厳しい。
しばらくアロイスは領地開拓のために家を離れるようだが、いつかは戻ってきて一緒に暮らすことになるだろう。この問題を避けて通ることは出来ないのだ。
そう思ったが、アロイスは首を振って反論した。
「確かに……睡眠は大事だな。だから、お互いが納得出来るように摺り合わせよう」
「ええ……? 出来ますか? アロイス様はもともと睡眠時間が短い体質なのですよね? 私がそれに合わせるのは難しいと思いますが……」
「それは承知している。だから、寝室は基本的に別にしよう。君が眠くなったときは迷わず寝かせる。私の方が早く目覚めることが多いだろうが、君が寝ている間に無理矢理起こすということはしない。これを守れば、一緒に過ごせるんじゃないか?」
「……全体的にアロイス様の方が私に合わせないといけないじゃないですか。やっぱり、互いに無理なく合わせられる人を探した方がいいような……」
「む、無理をしている訳ではないが。……そうだ! ピロ、ピロはどうなる?」
「ピロ?」
「療養中、私はよくピロと遊んでいた。その結果、ピロも私によく馴れてくれた……と思う。私たちが離れることになったら、必然的にピロも私と離れることになる。それが彼にとっていいことなのか?」
「…………」
私はここ数週間のピロの様子を思い起こす。
はじめは自分の縄張りにやってきたアロイスのことを警戒していたが、段々とアロイスが中庭に来るのを歓迎するようになった。おもちゃで遊んでもらうときなど、私よりもアロイスと遊ぶときの方が夢中になっているくらいだった。
アロイスと離れると、ピロの毎日が物足りなくなるかもしれない……。
それを指摘されると、私には反論出来なかった。
だから、こう答えた。
「アロイス様。散々あなたの言ったことを否定してしまいましたが……私で良ければ、結婚を続けてくれますか?」
「――!」
「寝室は別ですし、話してる最中に眠くなったらさっさと寝に行きますし、睡眠ギルドの活動の方を優先すると思いますけど、それを受け入れてくれるなら」
「勿論だ。私の方も、暫くは領地開拓のために離れて暮らす必要がある。けど……時々は家に帰ってくる。それに、寝る時間は違っていても、起きる時間はさほど変わらないだろう」
「……それはそうかも。六時台に起きるようにしていますから」
「ああ。だから――朝食は一緒に食べよう」
アロイスは朗らかに笑ってそう言った。
結婚してから今に至るまで、彼のそんな表情は初めて見た。
(使用人が作ってくれる食事はいつもおいしい。でも、今までは私の好みに合わせてくれてたけど、アロイス様の好きなメニューも作ってくれるとしたら……食事の幅が広がるし、それが睡眠研究に繋がるかもしれない。うん。思ったより悪くないかもしれないわ)
話し合いの結果、私は一旦離婚を取り下げる。そういう旨をシエラに伝えた。
これからも私が家にいると知って、彼女はとても喜んでくれたのだった。




