91_私とネージュと長い夜(アロイス視点)④
私はピロに向けて釣り竿型のおもちゃを振る。糸の先端でカシャカシャと鳴るおもちゃをピロは懸命に追っている。
ネージュはいつもはピロの様子を眺めていることが多いが、今夜は私の顔を見つめていた。
「アロイス様。体調を崩されたこと、気にしているんですか?」
「そうだ。領地開拓で先走って魔物の呪いを受けて、それからずっと大したことは出来ないまま。完治の見込みも立てられない。当主の仕事を再開出来ない。それでいて使用人たちを看病に付き合わせている。余計な仕事を増やしてしまった。私は足を引っ張っているだけだ」
「使用人が家のことをするのは業務の一環ですよね? 世話をさせるのをそこまで申し訳なく思う必要はないと思いますが……。それに、シエラはアロイス様のために絵本を買ったりするの、新鮮でちょっと楽しいって言ってましたよ。ああ、アロイス様が病気で嬉しいとかそういうことではなく、子供の絵本を選ぶのが興味深いという意味です。だから、あなたが思うほど悪いことばかり起きているという訳ではないと思いますよ」
私の言葉に合わせて、ネージュが私をフォローするようなことを返してくる。
この家で過ごしている間、ネージュは基本的にはこういうことを言ってこなかった。私の睡眠の調子を聞いた後は、使用人が作る朝食の美味しさだとか、中庭に咲いている植物の種類だとか、そんな話をすることが多かった。
こんなことを言わせているのは、私が弱音を吐いているからだろう。彼女に気を遣わせているのだ。
(「何か心に引っ掛かっていることはないですか?」……か)
医者に診て貰ったときの言葉が脳裏に蘇る。
今の私は淀んでいる。うまくいっていることは何も無くて、胸に引っ掛かっているようなことしか無いといってもいい。
その中でも一番頭を悩ませているのは……ネージュ。目の前にいる彼女のことだ。
「ネージュ……」
「はい?」
私に名前を呼ばれるとネージュは素直にこちらに顔を向けてくる。
今の私はそんな彼女の目を見ることが恐ろしい。
これは、罪悪感だ。
「私が誰よりも足を引っ張っていると感じているのは、ネージュ……君だ」
「私ですか?」
「結婚相手を得ようと考えたとき、私は伴侶に余計な力は割きたくないと思っていた。そういう相手を選んで結婚した」
「そういった話は、結婚当初に聞きましたが」
「あんなことを言ったのは、私にはそれを出来るだけの能力があると考えていたからだ。子々孫々と積み重ねてきたローハイム家の力を、私の代で更に大きくする。領民にも家の者にも不自由はさせない。そういう人間になれと教育されてきたし、自分でもなれると信じてきた」
「それで、無事に当主になったのですね」
「……だが、こんな道半ばで仕事に携われなくなった。療養期間がどこまで続くのかもわからない。そしてこの間、私はずっと君の足止めをしている」
ネージュは私の病状が良くなるまではローハイム家に留まってくれるらしい。そして、その間はもともとあったギルドの仕事を休んでいると聞いた。
「私は不要だろうと思っていた寝具の商品に助けられて……その上に君の活動の邪魔をしている。結婚当初にあんなことを言ったのに、その実、妻の足を引っ張っているのは私なんだ」
「……」
「私は一刻も早く眠れるようになって、君を解放するべきだ。それなのに、いつまで経ってもよくならない。君には申し訳ないことをした……」
私はそう呟き、項垂れた。
ネージュに謝りたい。それが私の心の引っかかりのひとつだ。
こんなことを言うくらいなら、一刻も早くネージュと離婚した方がいい。そうすれば彼女は思うように活動出来るようになるのだから。
でも、ネージュが治療を提案してくれるのを受け入れ、彼女をこの家に滞在させ続けている。
当主として復帰するために、睡眠に詳しいネージュが必要だから……。
恐らく、それが原因なのだろう。
(この理由自体は恥ずべきものではないと思う。でも、何故こんなにも彼女に対する罪悪感が止まらないのだろう……?)
「アロイス様」
「……?」
俯いている私に、ネージュが声を掛けてきた。
「ひとついいですか。前から気になっていたことで、あなたにお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだ?」
「アロイス様は私があなたの気を惹きたくて寝具開発を始めたと仰られていましたよね」
「うっ。それは、まあ……」
「事実ベースで言うなら、そんなことは一切無いのですが。どうしてそんな誤解が起きたのですか?」
それは、私の使用人が「ネージュ様はアロイス様に気があるのだろう」と言い出して、私もそれを信じたからである。
……今思えば何故そんな勘違いをしたのかはわからない。だが、それが事実なのだ。
私はそれを正直にネージュに伝えることにした。
ネージュは肩を竦めて言う。
「そうですか。繰り返しになってしまいますが、事実ベースで言うなら、そんなことは一切無いのですが……」
「そ、そうだな。すまない。むしろあんなことを言われたんだから、ネージュは私のことは好いていないと考えた方がしっくり来る……」
「いえ、それも違いますが」
「ん?」
意外な返答に、私は思わず不思議そうな声を出した。
ネージュは私の目をまっすぐに見つめて言葉を続ける。
「私が大事にしているのは、睡眠ギルドです。でも、ギルドメンバーだけでなく、ローハイム家の使用人たちやピロ……みんながいないと色んな寝具を作ることは出来なかった。その中に、アロイス様も含まれていると考えています」
「私が……?」
彼女の言い分に、私は思わず首を振って否定した。
「何を言うか。私は君の足を引っ張っただけで……」
「私はもともと寝ることが好きでしたが、寝やすいように寝具を作ろうとまで考えたのはこの家に嫁いできてからです。ローハイム家の使用人たちはみんなよく私を手伝ってくれた。ロザリー様と知り合いになれなければ、ギルドを開くことは出来なかった。彼らと出会えたのは、アロイス様の働きあってのことです。あなたのこれまでの活動がなければ私の望みは達成出来ませんでした」
そして、ネージュは中庭の小さなドームの中をちらっと見つめた。ピロが根城にしている場所で、中には小さな寝具が入っている。
「私は今はギルドの仕事を抑えてますけど……これからずっと休むようなことになったとしても、それで今作成中の商品が消滅するようなことは無いです。新商品を世に出せなくなるのは残念ですが、今まで良くしてくれた人に作った品を渡すことは出来る。それが出来るなら、いいかなと思っています」
「……」
「アロイス様が今後当主として復帰出来るようになるかはわかりません。ですが、それでこれまでの実績が消えて無くなる訳ではありません。それは覚えておいて下さいね」
私が無言で佇んでいると、ピロがニャッと短く鳴いた。ネージュが私と話すのに集中しておもちゃを振らなくなったのに不満を言っているようだ。
ネージュは私におもちゃを手渡して、そして伸びをして言った。
「ピロはまだまだ遊んで欲しいみたいですね。でも、私はだんだん眠くなってきたので……そろそろ戻ります」
「あ、ああ……そうか」
「アロイス様、寝る前はカフェインとアルコールが入っているものは避けてくださいね」
ネージュはいつもの忠告を私にして、そして去って行った。
中庭にはピロと私が残される。
ピロは家の中に戻ったネージュを残念そうに見送りつつ、もっと遊べと私の手に持っているおもちゃを見つめている。
私はピロに向けて軽くおもちゃを振りつつ、小さい声で呟いた。
「……私は今まで、夜通し起きていることが多かった。だから君ともずっと遊べた」
「にゃ」
「だが、今夜はそうもいかないかもしれない」
「にゃにゃ?」
私は、ネージュが入っていった家の中を見つめながらそう言った。
今までの毎日は、ネージュのためにも早く寝なければいけない――という気持ちでいっぱいだった。
だが、先程の会話を通して私の心境は少々変わった。
それが何を示すのか、まだうまく説明出来そうにはなかった。




