90_私とネージュと長い夜(アロイス視点)③
私の病状は、一進一退を繰り返していた。
ネージュが来てくれてから、魔力暴走の症状は以前よりも治まった。
専門店の寝具の効果も確かにあるのだろう。寝具なんて何を使っても同じじゃないかと思っていたが、そんなことはなかった。
寝具が変わると寝付きも寝起きも変わる。
領地開拓先の傭兵が言っていたことを、今ではよく飲み込める。寝具に投資すれば普段の活動にもいい影響が出る。
私も領地開拓に戻る際は出来る限り寝具を持っていきたいと思っている。
戻るようになれれば、だが。
以前よりはマシになったとはいえ、かつてのような生活に戻れた訳ではなく、私は未だにローハイム家で療養を続けている。
「ピロ。お前は元気なものだな」
「にゃにゃん!」
今は深夜の三時。ピロ……中庭を住処にしている猫に向かって、私は棒を振った。
釣り竿のように紐がついた棒の先端には玩具がついており、振るとカシャカシャと鳴るようになっている。
ピロはこうやって遊ぶのが好きなのだとネージュが言っていた。なので、私がいくつか遊び道具を作るようにした。
何でこんなことをしているのかというと、今の私は大きな仕事を出来るようなコンディションではないからだ。
当主としての仕事を進めようとすると、魔力暴走の症状が身体を蝕んで、冷静な指示が飛ばせなくなる。
私は領地開拓の作業について一時的に休みを貰っていた。
開拓先には使用人を置いているので、農作業など前例があるものについては粛々と進めて貰うことにする。
本来はもっとやりたいことが山とあるのだが、それを出来るような体力も判断力も今は失われていた。
私の今やるべきことは、眠れるようになって魔力暴走を治すこと。
だが、ベッドの上で一日中寝ていればいいかというと、そういう問題ではない。
今の私は眠ったと思ってもきちんと回復出来ていない状態になっているようだ。
ひたすら横になっていてもうまく眠れるようにはならないらしい。
それならどうすればいいかというと、よくわからない。
「睡眠に効くかもしれない食べ物を試しましょうか」と言われて、ネージュにいくつか食事を振る舞われたこともある。乳製品や消化にいいものが多かったように思う。
ネージュが作ってくれたものは美味しかった。
それはそれとして、睡眠が劇的に変わった訳ではなかった。
追加で医者に診て貰ったところ、「ある程度は良くなっているが、まだ完治までは至っていない。そこまで至るには心の持ちようが大事ではないか」「何か心に引っ掛かっていることがあれば気にしないようにするべきでは」という役に立つのか立たないのかわからない助言を貰った。
また、「ある程度良くなったとはいえ、負担のある作業をしないことが推奨される」とも言われた。こちらはある程度具体的な助言だ。
つまり、今の私は当主らしき仕事は何も出来ない。
その一方で、起きている間に何もせずにじっとしているだけの暮らしも出来なかった。
仕事がない。
それはつまり、何もないということだ。
魔力暴走に伴う睡眠不足や体調不良も辛いが、「何もない」ということが何より耐えがたかった。
という訳で、今の私は、途切れ途切れに寝て起きて、その合間にやってもやらなくてもいいような作業をする日々を続けている。
最低限の体力を補うため、晴れている間は軽く散歩をする。
王都など人間が沢山いるところに行くと、私もあのように働かなければ、と思ってしまうので行けなかった。運動するときはひとけのない場所を選んだ。
家にいる間は読書をした。
厚い専門書や小説を読むのは難しかった。寝不足のせいか字を長く追っていると頭痛がするし、読んだ情報を
覚えなければいけないと思うと動悸が激しくなる。
結局のところ、行き着いたのは絵本だった。
使用人たちがいくつか買ってきた大きな絵の描かれた本をぼうっと眺めることが増えた。
あとは工作。手を動かすことだ、
といっても、複雑な大作は作れない。子供が作るようなものを手遊びに作るだけだ。
ピロを遊ばせているこのおもちゃもその一つである。
「アロイス様。こちらにおられたのですね」
中庭の入り口から声がする。ネージュが来たようだ。
ローハイム家で療養するようになって、ネージュの生活リズムは大体掴めてきた。
朝の七時には朝食を取る。昼間は王都に出掛けることもあるし、家で読書をして過ごすこともある。
夜の十一時には寝室に行く。その時に私と話している途中でも話を切り上げて寝室に行くのだ。「睡眠が何より大事ですから」と言っていた。
そして、家にいる時は一日一回はピロのいる中庭に行く。
「あら。おもちゃを作られたのですね」
私のおもちゃにピロが爪を引っ掛けているのを見やり、ネージュはくすりと笑った。
「アロイス様は工作がお上手ですね。流石当主です」
「……なんだそれは。無理矢理に褒めなくともいいが」
「無理矢理ではないですよ。私も何度かピロのおもちゃを作ったのですが、すぐに壊れちゃうことが多くて。ピロの遊ぶ勢いにおもちゃの耐久が保たなかったんですね。でも、アロイス様のおもちゃはずっと形を保っている。つくりがしっかりしているからでしょうね」
そう言って、ネージュは私のおもちゃをつんと指先で触った。
彼女が近くにいるのが嬉しいのか、ピロはその指にそっと猫の手を伸ばす。ネージュはピロの柔らかそうな肉球をむにむにと揉んでいた。
「馴れたものだな。……君が飼うことにした猫なのだから、当然か」
「うーん? でも、アロイス様にもかなり懐いていると思いますよ」
「……そうか?」
「アロイス様は中庭によくいるからかもしれないですね。よく顔を見せてくれる人にはピロは懐きますよ」
「……」
「使用人みんなはピロを可愛がってくれますけど、アロイス様がどう思うかはわからないと思っていました。でも、ずっとピロのいるところに来るなら、お好きなんですよね。それなら良かったです」
ネージュの言葉に、私は視線を足元に向ける。
彼女の言うことは、事実だけを追うならば合っている。私はよく中庭を訪れるし、ピロとも顔をよく合わせる。なんなら、今のこの家の中で一番一緒にいる時間が長いのはピロかもしれない。
でも、それはこの猫のことが好きだからという理由からではない。
「猫は嫌いではない。だが、私はそれ以上に……使用人に会いたくないんだ」
「え?」
「だから私はここにいるんだ。室内にいると、使用人が来ることが多いからな」
ローハイム家で療養を続けてから、病状ははっきりとした進展もなく、私の毎日は停滞していた。
だからだろうか。いつもと違うことをやりたいと無意識下で思ったのか、私はネージュに本心を口にした。
ネージュは不思議そうな顔でこちらを見ている。
「シエラやロージー……使用人たちと何かあったんですか? 私にとっては、みんな忠実に働いてくれるありがたい存在だと思っていたのですが」
「いや、君の言う通りだ。彼らは私の命令以上に尽くしてくれる。使用人としては申し分ない」
「では、何故……」
「彼らは、ローハイム家の使用人としてここにいるからだ。今の私は、当主としての機能を果たせていない」




