85_離婚しましょう、アロイス様
「そもそも、この結婚生活は私たちが関わることのないように、という契約で始まった。私は君に時間を割かない。君との夜の時間も設けない。契約書にも残したのは覚えているだろう」
「……」
「だが、君はその契約を破ったことになる。本来離婚されても文句はいえないような事態だが……私はそこまではしなくていいと思っている。だが、私の要求を全面的に吞んで貰うくらいのことはしてもらおう」
「……」
「今は寝具のギルドで儲けているらしいな。だが、それも長くは続かないだろう。この国の多くの人間と同様、私は睡眠のことを重視していない。特別な道具が無くても得られるものだからな。今は物珍しさで商品を買っている人間もそのうち離れていくだろう。それより、領地開拓に必要な魔道具などの開発に励んで欲しい。ネージュ、君が今までに得た知識は私が望む分野で発揮して欲しいんだ」
「……」
「私の要求を吞むなら、君が望む生活を送ってやっても構わない。ただ、私が今ローハイム家に帰ってきているのは一時的なものだ。またじきに領地開拓に出発する。ああ、君が私と過ごしたいなら、一緒に領地に行ってもいいが。そのためには睡眠ギルドは早めに畳むべきだろうな。何ごとも即断即決出来るならばその方がいい。今日にでも手紙を送るか?」
――ローハイム家の一室。
私は帰ってきたアロイスと二人で話した。
というより、アロイスの考えをつらつらと聞かされた。
そして思った。
私は今、人生の岐路に立たされているらしい。
久しぶりに顔を合わせた私の夫――アロイスは、私が当初お願いした研究発表については認めてくれるらしい。
が、その代わりに私に睡眠ギルドの商売をやめろという。
何故なら、商売をするならばもっとやるべきことがあるから。
睡眠などわざわざ力を入れるようなものではない。それよりも開拓しがいがある商売に専念しろ、自分について来い――。
要約するとそのようなことを言いたいらしい。
あとは、何か……。
『君が睡眠道具に拘るのは私との夜の時間に拘っているからだろう』などと言っていた。
アロイスは、私が寝具を開発したのは彼を誘うためだと認識しているようだ。
(意味がわからなさすぎる……)
私は心の底からそう思った。
目の前のアロイスは何ともない風に話をしているのに、言っている内容が支離滅裂だ。そのギャップでより不気味に感じる。
(例えば私が執拗にアロイスに手紙を送ってたなら、誘惑のため……とかそういう考えが生まれるのもわかるわ。でも、連絡を取ったのはこの一件が最初なのに。少なくとも結婚当初に会ったときはこんな斜め上の勘違いはしてなかったのに、どうしちゃったんだろう。開拓先でよっぽどハードなことでもあって、頭がおかしくなったのかもしれないわ……)
アロイスは普通に家に帰ってきたけど、彼が行くべきはここではなかったのかもしれない。かかりつけの医師のもとなどに行った方が良かったのではないか。
――でも、そういった提案が出来るような状況ではないみたいだ。
アロイスは今後私に睡眠ギルドに携わることはやめろと言っている。
そして、彼はできる限り即断即決を旨としているらしい。明日には断りの連絡をギルドに入れたいのだという。
だから、私も手早く答えることにした。
「離婚しましょう、アロイス様」
「――なに?」
「私は睡眠ギルドの活動を続けたいんです。なのであなたとの事業は出来ません。自分の考えに付いてくる妻が必要ならば、他を当たってください」
そう言った。
私がアロイスと結婚した理由。
もとはといえば、家同士のため――私の裕福ではない実家を援助してくれるとアロイスが申し出たからだ。
だからアロイスの願いはなるべく聞き届ける必要があった。私だけじゃなくて、実家の家族が路頭に迷うのかもしれないから。
だが、結婚した当初と今は状況が違う。
数々の寝具を開発して売り出した結果、今の私にはそこそこの財があるのだ。
離婚して一人になったとしても、充分に実家を養っていけるくらいにはある。
結婚を拒否したり早々に離婚したら、実家の弟の縁談にも影響があるかもしれないと思っていた。
でも、魔術師の研究発表をするという目的があった上で夫の方針と合わずに離婚したという事情があるなら、きっと家名に傷が付くようなことは無いはずだ。
彼と今話した感じだと、これからもアロイスは私に色々と要求を続けてくるらしい。
旦那に行動を制限されるくらいなら、さっさと離婚した方がましだ。
(私、アロイスに家名を出していいかお伺いするのに緊張してた。でも、よく考えたらそんなに深刻に思うようなことではないわよね。アロイスが『ダメだ』って言ったら離婚すればいいだけなんだから。うちの実家の家族は家名を出すことに反対したりしないでしょう。手紙で私のギルドの活動について伝えたら喜んでくれてたし……)
そうだ。
私は、一体何を悩んでいたのだろう……?
何も不安に思う必要なんてなかった。
自分にとって大事なことは何かというと、第一に眠ること。第二に睡眠ギルドだ。
その活動さえ継続出来るなら、多少環境が変わっても問題ないはずだ。
(ああでも、シエラ、ミリィ、それに他の使用人たち……一緒に過ごしてきたみんなと別れるのは寂しいわね。でも、皆はローハイム家に勤めている使用人なのだから、アロイスとの意見が対立した今は一緒にいるのを期待してはいけないわ)
それに、ピロ……。
ピロは私が実家に連れて行こう。実家の家族は猫嫌いはいなかったはず。
ピロの環境を変えてしまうことになるのは忍びないけど、ピロは順応力のある猫だ。引っ越し先でも私がめいっぱい遊んであげればきっと安心する筈だ。
私は息を吐き、そしてアロイスに宣言した。
「勿論、こうして口にするだけでは離婚出来ないことはわかっています。結婚のときにそうしたように、離婚の際も教会に申請を出す必要があるのですよね?」
「……」
「今からそのための書類を取ってきます。王都に行って……ああ、あと、ギルドでの諸々の作業もあるので……この家に戻ってくるのは数日後になるかも。でもその間はアロイス様はここに留まるのですよね? なら書類にサインしていただくことは可能です。一週間後には晴れて離婚が済んでいるでしょう。何ごとも早い方がいいですから」
「……ネージュ。何を言っているんだ」
面食らった様子のアロイスは、眉を顰めたままに私に語り掛ける。
「今の時間から出掛けるというのか? もう夕方だぞ。それに……何故離婚の話が出てくる?」
「契約を破ったのは離婚に値すると言ったのはあなたでしょう。今までの私は、これくらいならいいだろうという認識のもとで動いていました。ですが、アロイス様がそう思われているなら仕方ないかと思います」
「待て。私は離婚まではする必要が無いと言っただろう」
「でも、私のギルドでの活動は認めて下さらないんですよね? なら致し方ないです。互いの価値観の問題ですから」
そう伝えて、私は一礼して部屋の扉へ向かった。
扉を開けて廊下を歩くと、その途中でシエラに遭遇する。
家具を直していた彼女は、私の姿を見て何らかの異変に気付いたようだった。
「ネージュ様。アロイス様とのお話は終わりましたか?」
「うん。シエラ、私、この家から出て行くことになるわ」
「えっ?」
「これから離婚のための書類を取ってくるわ。数日後にはアロイス様のサインを貰うために戻ってくるけど、それが終わったらお別れね。そのタイミングでピロは私が連れて帰る。今まで沢山お世話してくれて、ありがとう」
「ま、待ってくれませんか」
シエラは私の言葉に狼狽えた様子をしている。
「アロイス様とどのようなお話があったのですか? 私はこれからもネージュ様とずっと過ごせると思っていて、それが変わるというのは……! そ、それに、今から書類を取ってくるのならば、私もお供を……」
「大丈夫よ。私は一人で何度も王都に行ったことがあるもの。それより、シエラはこの家にいた方がいいわ。あなたはローハイム家に務めている使用人だもの」
「しかし……」
彼女はかなり困惑した様子だったが、持っていたベルを鳴らされて我に返ったようだ。そのベルは使用人が皆持っているものであり、主――つまりアロイス――から連絡があったら鳴るようになっている。
「アロイス様が呼んでるみたいね。行ってあげて、シエラ」
「……かしこまりました」
シエラは複雑な顔をしていたが、アロイスの部屋の方へ向かっていった。
私は扉を開けて家の外に出た。




