79_カミラと旦那と私②
(嵐のようだったわ……)
ホテルのロビーには静寂が訪れる。
荒れたダルトンとアマレットがホテルに何かしないか心配だったけど、彼らは一応何もしなかった。
カミラが先導して外に連れ出したのは、スタッフの一人としては助かったと思った。
私は他のスタッフと連絡を取り合い、彼らの使用した部屋を清掃した。
(面倒な仕事ではあったけど、ホテル業をしていれば面倒な客と当たることもあるわよね。私含めたスタッフがそれを学ぶきっかけにはなったかな……)
魔道具も使って部屋をピカピカにしつつ、そう考えることにした。
ホテル自体に被害が出なかったから、幾分楽観的に捉えられる。何も無くて良かったと思った。
作業を終わらせた私は、帰宅のためにホテルのロビーに向けて出掛ける。
今日は他に仕事は残っていない。ホテルはまだ営業開始前であり、これ以降に客が来る見込みは無い。
何もなければもう帰っても問題ないはずだ。
――そう思ったが、宛てが外れた。
「ネージュさん。手間を掛けさせたわね」
「カミラ様……」
ホテルに一人で戻ってくる者がいた。カミラだった。
****
この後もホテルで接客を続けることになるのかと思ったが、そうではなかった。
カミラは馬車を用意していて、私は彼女の勧める場所に連れて行かれた。行き先は落ち着いた雰囲気のある個室のレストランだ。
「先程のお客様たちはもういいのですか?」
「ダルトンはまだごねているけど、一旦使用人に任せているわ。結婚したときの条件と、結婚後に今までやってきたこと――どっちも突きつけられないと判断が出来ないみたいね。まだまだ一悶着ありそうだけど、離婚のために励むつもりよ」
ロビーでのあのやりとりで離婚が決まる、という訳にはいかなかったらしい。
互いに同意が取れるまで大変そうだと思うけれど、カミラはどこか清々しい顔をしている。
「今日は面倒なことを頼んだわ。こちらの食事はわたくしの礼よ。あとこちらも」
「あの、ダルトン様とアマレット様の宿泊分の謝礼は事前にいただいていますが……」
「わたくしたちの事情に巻き込んで厄介事を見せてしまったのだもの。追加で礼くらいさせなさいな」
カミラはそう言って、封筒を渡してくる。
……レストランのコースに加えて、チップを貰えるらしい。
まあ貰えるものなら貰うか、相手の顔を潰さずに済むし、ホテルのスタッフに臨時でボーナスを渡せるし――。そんな風に考えて、ありがたく頂戴することにした。
食事をしながら、カミラは話を切り出す。
「ネージュさん……わたくしにはダルトンとの子供がいるの」
「そうなのですね……」
私は平静を装いながら返す。
カミラにダルトンとの子がいるという情報について、私は既に知っている。ホテル審査に備えているときに身辺調査をした際に知らされたからだ。
でも、カミラの前では黙っておくことにした。水面下でプライベートについて握られているというのは愉快なことではないだろうから。
(むしろ、彼女が自分から身の上話をしてくるというのが意外だわ。カミラの家の事情は、あまり大っぴらにしたくないものかと……)
そう考えているうちに、カミラが言葉を続ける。
「生まれた子には魔力が無かった。十何年も前に他の家に養子に出して、そこではうまくやっていけているみたいで。それは喜ばしいことなのに、わたくしは思ったの。『自分は子供にも必要ない存在なんだ、あと残っているのは夫だけなんだ。夫は魔術師の家を再興するにはわたくしの力が必要って言ってくれる』って」
「……」
「魔力が減退して仕事が続けられなくなって、産んだ子供にも魔力が備わっていなかったこと、今思えばすごくショックだったのね。長年に渡って落ち着いた判断が出来なくなるくらいには……」
カミラはそう言って、ふうと息を吐いた。
「本当はね……ずっと家の状況には不満を持ってたの。でも、わたくしの子供にも、実家にも、長年相談出来なかった。でも、思い切って相談してみたら話がどんどん前に進んだわ。ネージュさん、あなたのおかげよ」
「……いえ。私は何もしていません」
「あなたたちのホテルに対して嫌がらせみたいに否定したのに、こちらのことを快くもてなしてくれた。あなたがコンセプトを貫いていなかったら、わたくしはずっと苦しんでいたままだったでしょう。……あの部屋、よく眠れたわ。あんなに深く眠れたのは何年ぶりかわからない」
「本当ですか! ……私どもと致しましては、そう言ってくださることが何よりの励みです。大変なこともありましたが、カミラ様の意見があってこそホテルの施設の細部を詰められたのだと思っています。ありがとうございました……!」
私はそう言って破顔した。
カミラと最初に面会したときは本当にどうしようと思った。他の人間が審査員であればとも考えた。
でも……審査が通った今となっては、自分にない意見を貰うことでホテルの質の向上に繋がったものと考えている。
(寝具や施設を充実させたとして、カミラがどこまで受け入れてくれるかは賭けだった。ここまで態度が変わるなんて予想外だったな)
それほどまでに、満足な睡眠が取れない、という状況は苦しいものなのだ。
私も睡眠不足の日々を経験したことはある。けれど、カミラは年季が違うようだ。ともすれば年単位で苦しんでいたのだろう。
そこから解放されたら、ここまで心持ちが変化してもおかしくはない。
――やはり睡眠はすごい。
しみじみそう考えていると、対面のカミラが唇を引き結び、私に向き直る。そして口を開いた。
「身体が休まったから、自分のことを落ち着いて思い返すことが出来たの。わたくしは……酷い物言いをしたわ。あなたのホテルにも、あなた自身にも……」
「先程も言いましたが、カミラ様の助言がホテルの施設づくりの助けになったと考えています。なので、そこまで言わずとも……」
「いえ。ホテルのことを思って言った訳ではないの。あれは、嫉妬よ」
「え……?」
「魔力を失ったわたくしは、魔術師の仕事を続けることが出来なかった。なのに、あなたは若い身分で魔道具を含めた新しい商品を次々に開発して、ホテルまで開こうとしている。それが気に入らなかったのよ」
「……そうだったのですか。ですが、寝具たちは私だけで開発出来た訳ではありません。ギルドメンバーや協力者の力が無いと、とても完成までは持って行けませんでした」
「わかっているわ。でも、あのときはそのこともわからないくらい、余裕が無かったのね……」
そう呟いたカミラは、テーブルの上のティーカップに指を翳した。カミラが指先を軽く動かすと、中の紅茶にさざ波が立つ。魔力を放出したのだ。
「わたくしは、ダルトンと離婚する。これから話し合いが必要にはなるけど、諦めないつもり。それが終わったら……また魔術師になるために励みたいの。現役時代から随分と時が経ってしまったけれど、それでも頑張りたい。ネージュさん――あなたのおかげで、希望を見せてもらったから」
カミラは語った。
ホテル審査の仕事自体はそこまで嫌いな訳ではない。だが、自分は体調面の不調を多く抱えており、それに伴って冷静な判断が下せているか怪しい面もあった。
これまではダルトンの存在もあって仕事を続けていたが、今後は仕事を辞した上で進退を考えたいと。
「そうなのですね。私どもが生活の変化の一端になったなら、光栄です」
「ええ。あなたに教えてもらった栄養学……参考にさせて貰うわ」
カミラから依頼の手紙が届いたとき、追伸で「あのホテルに泊まると魔力が回復したのだが、どういった仕組みなのか」と聞かれたのだ。そのため、私は答えた。彼女が言うところの栄養学というのはそれを指しているのだろう。
「――そうだ。その関連で、あなたに伝えないといけないことがあるの。ネージュさん」




