74_コンシェルジュ・ネージュ③(カミラ視点)
簡単な説明をした後、ネージュは部屋を去って行った。
この部屋の中にあるクローゼットには、いくつかの道具が入っていた。
一つはナイトウェア。
大浴場で館内着が用意されていたが、寝室ではまた違った服が用意されているようだ。
他には、寝具。
ガーゼケットやタオルケット、そしていくつかの種類のシーツがある。ベッドには既にシーツがセットされているが、好みで他のものも選べるようだ。
そして、わたくしが彼女に質問した枕もあった。
中の材質が固い枕、柔らかい枕、高いものに低いもの……複数の枕がある。
「こちらを試してみた上で、自分に合うものを使ってください」と言っていた。
(……家で使っているのは、一般的な高さの枕だった。でも、それだと首が痛くなることもあった。あの痛みは避けられないものかと思っていたけど……もしかして、寝具の種類によっては違うのかしら?)
わたくしはじっとクローゼットの中を見つめた。
選択肢が沢山あるというのは評価に値する点だ。
だが、わたくしが泊まるのはこの一日だけ。
どう頑張っても、全ての寝具を試すことは出来ない。
どうしても悔いは残るのだ。
客にそういう気持ちを持たせるようなサービスをするというのは……。
――。
(ちょっと待って。……今、わたくしは何を考えたのかしら? 宿泊客がホテルのサービスを全て味わえないなんて、当たり前のことなのに。どんなレストランでも頼めるメニューは全体の中の一握りだわ。でも、それをこれほどまでに残念に思うことはないのに……)
そんな風に思うのは……
用意された寝具たちを見て、心が弾んだからか?
全てを試してみたいと思ったからか?
――まさか。
今までのことを思い出せ。寝床につく度に今度こそと思って、そして駄目で、苦しんだことを。
(もう夜遅い時間だわ。一日の疲れが溜まっているから、思考も鈍っているのかもしれないわね……)
そう考えながら、わたくしは部屋の中を改めて見回した。
少し思考をリセットしよう、寝具の他にこの部屋に何かないか。
選んだのは机だった。
物書き用の机の抽斗の中を調べていないことに気づき、わたくしはそっと手で開ける。
(……!)
中に入っていたものを認めて、わたくしの頭が一瞬燃え上がるようにカッとなった。
――魔法で動かせる知育パズルだ。
以前に面会で話したとき、こんなものはいらないと明言したもの。
(わたくしの意見を汲んでくれることもあったけど……明確に嫌がったものをわざわざ部屋に置いておくなんて。同じように魔法を使えなくなった者だって沢山いるのに、そういった客が来て傷ついてもいいということね)
そう考えて、深く息を吐いた。
一応、机の中も確認しておいて良かった。
表面上取り繕っていることは認める。だけど、このホテルにはホスピタリティが足りていない。
そういう宿をうちのギルドが認めることは難しいだろう。
(まあ、仕事はまだ続いている。明日出立するまで、審査は念のために継続するけどね……)
そう考えつつ、わたくしは寝る支度をした。
歯磨きと着替えを済ませ。
洗面所に用意された錠剤を飲み。
寝具を選び。
照明を消して、ベッドの中に潜り込んだ。
(……疲れたわ。今日一日……)
気だるい身体を引きずって、マットレスに沈み込む。
……なんだか、どこまでも沈んでいくと錯覚するくらい、身体が寝具に包み込まれているような気がする。
(どうしてかしら……。いつもは、寝るまでにもっと時間が必要だった。だけど……、今日は、寝る、というより、落ちる、ような。…………)
****
太陽の光を感じて、ぱちりと目を覚ました。
(……?)
違う。太陽ではない。
ベッドサイドに備え付けられた照明が光っているのだ。この照明は夜には消えていた筈だが……。
(レストランが開く時間より余裕を持って目覚められた。この時間に予めセットされていたというの……?)
カーテンを開いて外を見ると、今日は雨が降っているようだった。
いつも寝覚めが悪いけれど、雨の日は特に悪い。
でも、今日は違う。
わたくしは、朝陽と共にすっきりと目覚められた。
――いつぶりなのだろう。頭が重くなくて、身体が軽くて……気持ちいい朝を迎えられたのは。
伸びをして、髪を指で触る。
……いつもは絡まった髪を梳かすところから始まるのに、今朝は髪の障り心地も不思議と良い。
こんなに身体の調子がいいのは、結婚する前まで遡るような……。
魔術師として魔法を毎日研究していた、若い頃――あそこまで遡る。
魔術師のコーヒーを飲む文化から、あの頃は寝不足がちではあった。でも、研究が一段落ついたときはゆっくり寝られた。そういう日の目覚めに似ている。
(……待って。あの頃みたいな感覚になっているということは。まさか……)
心の中で、あれこれと逡巡した。
が――ここまで来たら、やってみようと思った。
ネージュの用意したあのパズルを。
(……!!)
魔法をまた使ってみたいと何度も思った。そのために密かに家で魔法のリハビリをしようとして、でも出来なかった。わたくしはいつしか魔力を練れない体質になっていた。
今生ではあの日々は戻ってこないだろうと、そう思っていたのに。
どうしてだろう。
ホテルが用意したパズルは、触れずともわたくしが思い描いた形に動いてくれた。
かつて魔法を練習していたあの頃のように。




