73_コンシェルジュ・ネージュ②(カミラ視点)
この食事のメインディッシュは肉と魚を選べる。そして、どちらにも合うように赤ワインと白ワインが用意されている。
特異なところは、ノンアルコールが用意されていることか。
ワインの味は好きだ。だが、酒を飲むと頭がぼうっとしてしまう。それでも審査のため、ホテルのサービスを調べるために飲む。
そんな生活を送っていたが、酔わないワインがあるのならばそれを選んでみたい。
ノンアルの赤ワインを選ぶ。
渋い味が喉を通っていく。
(おいしい……)
アルコールで頭がふらつかないだけ、丁寧に調理された食事の味が沁みていくような気がした。
食事が終わった後、ネージュがテーブルからわたくしを先導する。
「お食事の後は、一日の疲れを流すお風呂はいかがでしょうか」
「風呂……寝室に行くということね」
「寝室にも風呂場はありますが、この宿には大浴場がございます。よろしければそちらをどうぞ」
この建物には銭湯のような風呂場があるとネージュは主張した。
(ネージュは……このホテルの主な客層は貴族であると分かっているのかしら? すしづめの風呂をありがたがるのは庶民の発想だわ。減点ね)
わたくしは心の中で採点をした。
誰に対して商売をするか、よくよく調べるべきだ。ネージュも含めて睡眠ギルドの連中はそれがわかっていないのだろう。
ホテルを開くのは初めてらしいが、やはり素人だなと思う。
頭の中でそう考えていると、ネージュがある場所に導いた。
「こちら館内ウェアでございます」
ネージュが指し示したのは大きめのクローゼットだ。その中に、薄手のワンピースのような服が入っていた。
今着ている服から着替えて、館内ウェアにすることを推奨している――そうネージュは言った。
(外出のための服を捨てて、この簡素な服にしろというのね。手抜きだわ。パートナーがいる人間のことをなんだと思っているのかしら。……ああ、そうか。ネージュはわたくしの提案するコンセプトは却下したのでしたね)
それを思い起こして、改めて失望する。
そんなわたくしの心情を知ってか知らずか、ネージュは「湯浴みはおひとりの空間でどうぞ」と廊下に待機するようだった。
わたくしは審査をひとりで続けるようにした。
(ふむ……)
風呂場に入ったら、着替え場所に魔導具が置いてあった。「プライベートを守りたい方のために」と書いてある。
これは自分の姿を他者が見られないように小さな結界を張るものだ。
使うと霧の中にいるように見えづらくなるが、「他に誰かがいる」ということ自体はわかるので、室内でぶつかるようなこともない。しかし、裸体や体型がはっきりとわかることは避けられるだろう。
(一応、貴族の体面については考えてあるのね)
そう考えつつ、浴場への扉を開く。
身体を洗って浴槽へ近づくと、あることに気付く。湯の中にこぽりと小さな泡が浮かんでいる。
(普通の湯ではない……?)
浴槽の近くの壁には説明書きが貼ってある。「ぬるめの湯にゆっくり浸かってください」と。
(風呂に浸かると疲れが取れるという知識はある。けど、ぬるめの湯ですって……? そんなものに何の意味があるのかしら?)
湯浴みをするときは熱い湯に入ることが多い。
身体に熱が行き渡れば疲労回復効果がある――その知識は人々の間に浸透している。
(それはそれとして……わたくしは普段は氷の飲み物を飲んだり、ひとりでいるときは食べてしまうこともあるのだけれど……仕方ないわよね。何もなくともぼうっと熱くなることがあって、それは氷を食べれば収まるんだから)
そんなことを考えつつ、白い湯を見つめる。
今は仕事だ。自分の好みは一旦置いておいて、とりあえず審査は行わなければいけない。
そう思って、わたくしは身体を湯の中に入れた。
やはり、この温の温度は低い。
入っていても身体が熱くなる心地がしない。
――が、そのまま入っていると異なる思考が頭に浮かんできた。
(気持ち、いい……?)
身体の外側ではなく、内側から暖められているみたい。まるでヒーリングの魔法を受けているときのようだ。
熱い湯に入っているときは、数分入っているとのぼせてしまうから早々に出ることになる。だが、この湯は長い時間入っていられる。
(何故かしら。ぬるめの湯にゆっくり入っていると……身体中がほぐれていくような感じがするわ)
熱という刺激が少ないからだろうか。普段の緊張状態が落ち着いていくようだ。
それに加えて、内部から湧き上がるような温かみもある。
推奨時間分湯に浸かったわたくしは、風呂からあがった。
あのような低い温度の湯、なんの効果も無いだろうと思っていたが……想像とは違った。
着替えて暫く経っても、ずっと入浴時の熱が続いているようだ。
「お待ちしておりました。部屋はあちらになります」
大浴場を出た先の廊下にはネージュが立っていた。わたくしの入浴が終わるのを待っていたようだ。
個室に向かう廊下は、淡いオレンジ色の照明が使われている。ホテルのロビーもこの色に近かったが、この廊下のライトは照度を絞られているようだ。
なんだかどこか夢の中にいるみたいな、まどろみに誘われていくような心地がする。
ネージュに部屋の扉を開けられた。
扉の向こうの個室の中。入り口付近の扉を開けると化粧室がある。それに加えて、風呂もだ。
わたくしは大浴場の洗面所で既に化粧直しをしている。だが、この個室の中でも出来るようだ。化粧用の道具が入った棚がある。
(パートナーがある者に配慮しろと言ったわたくしの助言……多少は考えたのかしらね。ま、こちらは大浴場と違ってプライベート用の魔道具は置いていないみたいだから、片手落ちだけれど……おや?)
櫛やタオルなど、この部屋には宿泊者用のアメニティがある。
それに加えて、アメニティの傍には錠剤の入った小瓶があった。
(『用法用量はよくお守り下さい』……何かしら、これは?)
小瓶の傍には説明書きの紙が置いてあった。『眠りで悩みを抱えている方へ』と書いてある。
……悩み。
それなら、抱えている。色々と。
小瓶については後でよく読んでおこうと考えつつ。
メインの場所……寝室に入った。
目に飛び込んでくるのは、大きなベッドだ。わたくしのような成人女性だけでなく、大柄の男性が数人で寝転んだとしても問題ないような広さである。
他にいくつもホテルの審査をしたことがあるけど、どの宿もベッドはもっと小振りだったはずだ。
「ネージュさん。随分とベッドが大きいわね」
「私どもは、快適な睡眠にはベッドの広さも大事だと考えておりますので」
「その割には肝心なものが無いわよ。あなた、枕はどうしたの?」
わたくしは彼女にそう指摘した。
ベッドはやけに広いのに、枕が置いていなかった。枕なしで眠るなんて、首が痛くなってしまうだろうに。
……いや、わたくしは枕ありで寝ても首が痛いことはよくある。でも、無ければもっと症状は悪化することだろう。
「睡眠が大事と謳っている割に、枕は忘れたということかしら。これから客に買ってこいとでも言うつもり?」
「ご安心を。カミラ様――こちらをご覧下さい」
「……!」
「お客様の気に入る夜は、それぞれじっくりと探求していただく――私どもはそう考えています。勿論、スタッフに確認したい場合は、遠慮なくお聞きくださいませ」
そう言って、ネージュは深々と頭を下げた。




