71_カミラの悩みの理由は…
今、私はローハイム家の自室のベッドで、自分に乗り上げてきた生き物を両手で捕まえている。
なめらかな毛皮を持つ猫――ピロは、嬉しそうにごろごろ喉を鳴らしている。
「ピロ……あなたは元気いっぱいね」
「にゃっ」
「夜もこんなに元気いっぱいで……はは……良かったわ」
「にゃにゃーん」
私が両手を離すと、ピロが私の胸の上で前足をふみふみしてドヤ顔をする。とてもかわいい。
ただし、ピロの重みを受け止めている今の私には、「かわいいかわいい」と猫を愛でるだけの体力はなかったが。
今の時刻は夜の二時五十分だ。
昨日は夜の十一台時にベッドに入った。いつもと同じ頃の就寝時間だ。
ただし、今回の寝床には普段と明確に違う点がある。
いつもは中庭で寝てもらっているピロを寝室に連れ込んだのだ。
「ピロ。今日は一緒に寝ましょう」
「うにゃー?」
「あなたが人間よりも睡眠時間を細切れにとって、夜中に運動することはよくわかってる。今回は研究のためにあえて一緒に寝たいの。夜中に何度も目が覚めるってどんな感じか体験したいから」
つまり、一度カミラと同じような条件に身を置いてみようと思ったのだ。
ただし、私は何もなければすやすやと熟睡してしまうので、夜中に目覚めるような仕組みを考えないといけない。
前々から「一度はピロといっしょに夜に寝てみたい」と思っていたので、ピロに協力してもらうことにした。
「ピロはいつも通り、起きたくなったら起きて存分に運動してくれていいわ。そうしないと魔力が発散されないものね。余計な遠慮は無用よ。全力できなさい!」
「にゃー!」
ピロは私の言葉にドヤ顔で頷いた。
結果、今に至る。
ピロは私の寝室に置かれたものの匂いを嗅ぎ、私が普段使っている家具にすりすりして匂いを擦りつけ、気が済んだのか少し眠った後に夜中にガタガタと部屋の中を走り回った。
その音で私は完全に目が覚めた。
(寝れないわ)
正確に言うと、ピロが走り始めたから目が覚めた訳ではない。ピロが物を物色したり、私のベッドの上を通っていったりするたびに、眠りの淵から意識は覚醒していた。
でもまだ寝に戻ることは出来ると思っていたのである。私は何度も枕に意識を預けようとした。
だがピロが魔力を放出しながら運動会した結果、音やら空気の振動やらで目が冴えてしまった。
私はピロに断りを入れ、寝室から出ることにした。
まだ中途半端にしか寝ていないから、程なくして寝室に戻る予定だ。
でも、ここまで目が覚めてしまったのだ。少し気分転換をするのも悪くないと思った。
出掛けるといっても、今は深夜の時間帯である。私は家の敷地内で休憩することにした。
(行くとしたら中庭かな。いつもはピロが寝床にしてるけど、今日はいない。一日くらいなら大丈夫だと思うけど、魔物に荒らされてないか確認しておこう)
そう考えつつ、ぺたぺたと廊下を歩いて行く。
と、角からぬっと人影が現われた。
「ネージュ様!」
「シエラ。どうしてこの時間に起きているの?」
「はっ。今夜はネージュ様が実験のために睡眠時間を削られると聞いて……私はいてもたってもいられず。従者として、今日は念のために待機しておこうと思ったのです」
「え、寝てないってこと……? 寝てていいわよ、別に」
睡眠不足はパフォーマンスにもメンタルにも悪影響を及ぼす。使用人だろうと私に倣って寝不足になることはないのだ。
そう言ったが、シエラは「今日は夜にしか出来ないような作業を重点的にこなしたから問題ない」と主張した。
……まあ、仕事に影響を出している訳でもなく、彼女の気が済むなら一日くらいいいか――と思うことにした。
****
私はシエラを誘って中庭に移動した。
深夜の中庭は静かだ。私や使用人が植えた植物や花が月明かりの下で揺れている。いつもはピロが花壇近くで眠る光景を見ることが出来るが、植物だけが並んでいるのもまた風情がある。
私たちは中庭のベンチに腰を下ろし、会話をする。
「今日はピロを寝室で寝かせてるから、もしかしたら小型の魔物が来てるかもって思ったけど……大丈夫そうね」
「いつもはピロが睨みを聞かせているので、ここには番人がいると認識して、ピロが不在でも魔物たちも手を出さないようですね。あの子は働き者です」
「そうね。ピロが毎夜魔力を放出しながら見張っててくれてるってことは、身を持ってわかったわ。ふう……」
「今日はピロとご一緒されてるのですよね。ネージュ様、お身体は大丈夫ですか?」
一日くらいなら大丈夫、と私は頷く。
ただしピロとずっと一緒に寝るのは難しそう、とも言っておいた。今日は実験だからいいけど、この調子で睡眠を妨害されると少々厳しいものがある。
「猫と人は生態が違います。致し方ないことなのでしょう」
「一緒に寝れるものならそうしたいけどね。でも、生態が違うからこそこういう実験も出来る。ピロには助けられているわ」
「……ネージュ様。以前も申し出ましたが、私どもも実験に協力することは出来ないでしょうか。ホテルの審査は無事に通って欲しいと思っています。家のことは他の使用人に任せて、私はネージュ様と共に実験に専念するというのは」
――今、ホテルがどういった危機に直面していて、私が何をしたいのか、シエラにはもう話してある。
「女性は年齢を重ねると体力も魔力も損なうものなのか」と聞いたら、「使用人においてもその傾向はあります」と浮かない顔で答えていた。
故に、女性の使用人は歳を重ねると引退するか、自分では作業をせずに若い使用人に指示を飛ばす立場になることが多い。
「でも、私は可能な限りネージュ様のお傍でお役に立ちたい」と言っていた。
今、思い詰めたように私に提案をするシエラの頭には、あのときの懸念があるのかもしれない。
私は肩を竦めてシエラに返す。
「気持ちはありがたいけど……家を放っておくのは良しとは出来ないわ。それに、あなたが実験に付き合ったからといって有用な結果が出るとも限らないもの」
私はそう言いながら、白湯を飲んだ。身体がじわりと暖まる。
これはシエラが「寝不足のつらさを補えるように」と淹れてくれたものだ。
暖かい飲み物を口に含むと身も心も落ち着いていく気がする。
(ああ、でも……体調の悪さが完全になくなる訳ではないわね。仕方ないけれど)
私は今、連続で二、三時間程度しか眠れていない。
頭は痛いし、目は乾いているし、シエラと話している今も油断すると意識がフッと薄れていきそうになる。
睡眠の回復力の強さは、睡眠不足になったときに思い知る――それを実感した。
(カミラは、普段から中途覚醒が多いって調査書に書かれてあった。毎日これくらいしか眠れないなら、イライラとか不安は避けられないよね……)
それに加えて――私とカミラの境遇は同じものではない。
彼女は私のことを可哀想だと言っていた。
でも、自分の認識としてはそれは違う。
私は自分の好きなものに囲まれて日々を過ごしている。ピロはかわいい飼い猫であり、仕事に協力してくれる頼もしい仲間だ。
シエラを初めとした使用人たちも、私の好きなことを認めてくれるし、私のことを気遣ってくれる。
カミラ……彼女は、どうなんだろう。
調査書から見えてくる、彼女の普段の暮らしは……。
(…………)
それにしても、眠い……。
実験のためにわざわざ中途覚醒をしたのに、抗えないくらい、眠い。
なんだろう。
今生で、私はこんな風に夜中に無理矢理目を覚ましたような経験はない。
でも、この強い眠気には心当たりがある気がする……。
「…………あ」
私はあることを思いついて、ぽつりと声を漏らした。
傍らのシエラが、どうしたのですか、と聞いてくる。
「他の飲み物を用意した方が良かったでしょうか? 今からでも用意します。夜食でも何でも、何なりとお申し付け下さい」
「違うわ。私……わかったかもしれない」
「……何を、ですか?」
「色々よ」




