60_ネージュのホテルステイ②
ホテルの部屋に案内されて一人になって、私は荷物を置いて天井を見上げた。
部屋自体の質はいいと思う。
調度品も落ち着いているし、ベッドも綺麗だ。
でも、さっき起きたことへのモヤモヤはまだ残っている。
グラスに入った液体を口にする。水だった。
ただの水ではない。スタッフ曰く王都外れの湧き水から取れた清純な水らしく、こちらは素直においしかった。
(はあ……)
ホテルスタッフの対応について、良かったところと悪かったところが頭の中で回っている。
サービスに差をつけられたところは悪印象だ。
でも、誰であってももてなしたいという気持ちも嘘ではないのだろう。
(スタッフが言ってたけど、女性の魔術師は魔力が低い……というのはそんなに周知のことなのかしら。年を取ると弱まる、みたいに言ってたけど)
もしその状況が変わるようなことがあれば、ホテルのサービスも変わるようになるだろうか。
何故年を重ねると魔力が弱まるのか、その理由がわからないとなんともしがたいけど。
私は長いこと知らなかったけど、女性の魔術師は活動期間が短い……と他でも言われているのは聞いたことがある。イリスとリンハイルの確執があったときにそう聞かされた。
この世界でも女性は男性よりも体力が低い。魔術師だとそれが如実に差として表われるということだろうか。
睡眠ギルドのメンバーにも女性はいるけど、魔法を使える人はいなかったから、そのあたりの事情について詳しくは知らないのだ。
(でも……思えば、このホテルで不満を感じたところは、ホテルのサービスとして差別化出来る箇所ということになるかもしれない。私たちのホテルでは男性と女性で極力サービスに差をつけないようにしたいな)
そう思いつつ、私は伸びをして外に出る。
目指すところは商店だ。
ここは都会の喧騒からは少し離れた場所にあるが、それでも多少長い時間歩けば商店が集まった場所に辿り着く。
私は目的地で目当てのものを買い、宿の自室に戻った。
(ああ……栓抜きを忘れてたな)
どうしよう、ロビーに借りに行くかと思った一方で、今なら魔法でどうにか出来るかも――という考えが浮かぶ。
私は瓶の栓に向けて魔力を放った。
ぽんと音がして栓が抜ける。便利だ。
これはノンアルコールワインの瓶である。
このホテルステイは二泊する予定だ。
お酒を飲まなかった場合と、飲んだ場合――二つのパターンでそれぞれ眠ってみることを考えている。今日は飲まない日だ。
ワインを始めとしたアルコールは今日は口にしないつもりだ。
でも、せっかくホテルに滞在してるのだから、少しは非日常の気分を味わいたい。
という訳で、ノンアルの商品をいくつか買いにいったのだ。
グラスにノンアルワインを注ぐ。グラスの中で液体が揺れて、じゅわっと泡が立つ。
私はグラスを傾けてワインを口にした。
泡立ちや味わいはワインに近いけど、アルコールの独特の風味を感じない。
ディープなお酒好きにとっては物足りないかもしれないけど、私にはこれで充分だ。
昼から綺麗な景色を見つめつつ、お酒っぽいものを口にする。普段は味わえないような優雅な気持ちになる。
(これ……もとはイリスが作ったものなのよね)
瓶を見つめて私はふとそう思った。
店で私が手に取ったのは、手紙でイリスから聞いた商品だ。
思えば――イリス自体はお酒を飲めないはずだ。前世よりは締め付けが緩いとはいえ、飲酒には年齢制限があり、イリスはまだ飲める年齢ではない。
だから彼女は自分の感覚で商品を開発したんじゃなくて、酒の飲める大人と密に協力して作ったのだろう。
(他の人に沢山質問しないといけないのは大変だろうに、イリスはやり遂げたんだよね。……私もあの子に恥じないように睡眠ギルドの商売を盛り上げていきたい。そのためにもホテルのことを調べないとね。……あ)
部屋の机の引き出しを開けると、あるものが見つかった。
なるほど前世でもこういうのはよく見たな――と思いつつ、私はメモに追記する。
(折角だし、私もやってみようかしら。……いや、でも、今はその時じゃないかもしれないわ。まだ泊まる日も残ってるし、この後出掛けたいし……もう少しゆったり出来るときにやってみようかな)
そんな風に今後の予定を練りつつ、私はワインに舌鼓を打った。
****
ワインを飲み終わった後、私は部屋を出てホテル内を見学した。
廊下やロビー、建物を出たところにある庭園、ホテル内のレストランの雰囲気……などなど。
スタッフに私の目的は告げていない。あくまでも客として行ける範囲だけだが、私は気付いたことをメモしていった。
今日はホテルのレストランは遠慮した。ここのレストランはお酒を頼むのが必須だったからだ。今日はアルコール有のお酒を飲まないようにしているから避けることにしたのだ。
夜ご飯はホテルから行ける距離にある場所のカフェで軽く済ませた。
ホテルに戻ってくると、随分とレストランの方が賑やかになっている。
(他の客たちが戻ってきたんだ)
このホテルのレストランは、室内とテラス席どちらもある。今日は丁度いい気候だからか外で食べる者が多いようだ。
例の狩りのオプションに行ってきた客も多いのか、調理された魔獣でバーベキューをしているようだった。
人間だけでなく、ここには客のペットもいるようだ。大型犬が客の近くに寄り添い、魔獣の肉を羨ましそうに見つめていた。
…………。
(……勉強のためとはいえ、他の人をジロジロ見てたら気を悪くするわよね。雰囲気を味わったらそろそろ行こう)
****
風呂を済ませた。
これで寝る準備は出来た。
私は寝間着に着替える。
いよいよ就寝の時間だ。
が、下の階からガヤガヤと声が聞こえてくる。
レストランでの宴会はまだ続いているのだろう。
私がベッドに入ろうとしている今の時間は、恐らくこのホテルに泊まる者の平均値より早いのだろう。まだ寝るような時間ではないから、賑やかにしていても問題ないという訳だ。
(でも……寝室まで声が届くというのはどうなのかしら。ちょっと防音が甘いのかな)
このホテル的には、歓声を聞いた上で「自分も酒が飲みたい」と考えた客にレストランに集まってもらう――そういう効果を期待しているのかもしれない。
賑やかな声に混ざって、犬の声がした。
先程見かけた、客が連れてきた飼い犬のものだろう。
(……)
私が頭に思い浮かべるのはピロのことだ。
このホテルは、人間だけが泊まることを許されている訳ではない。犬も宿泊OKにされている。
が、猫は駄目なのだ。
猫は人間の言うことを聞かない、しつけも出来ない、爪とぎなどで室内を荒らしてしまう、というのが理由だ。
(でも、仮に猫の宿泊OKだったとしても、ピロは難しいかもしれないな。ピロは魔力が高いからか、夜中にエネルギーを発散するためによく運動するみたい。一緒に寝たとして私は二、三時間くらいで目が覚めちゃうだろうし、部屋に音が響いたら他の客にも影響が出ちゃうだろうし)
ピロは私の大事な飼い猫だ。
でも、睡眠を我慢してまで一緒にいることはないと思っている。我々は違う生き物であり、それを無理に埋める必要は無いと思っているからだ。
(でも……たまにピロと一緒に昼寝すると、あったかくてふわふわで気持ちがいいのよね。そして、私が離れるとちょっと寂しそうに目を見開くの。ピロと一緒にずっと寝られたらいいだろうな……)
今は睡眠ギルドのために色々と作業をしないといけない時期だ。日中の活動のためにも、私はしっかり睡眠を取らないといけない。
そう思い、私はベッドの中に潜り込んだ。
布団をかぶり、目を瞑り、そして頭の中で呟く。
(ピロ……どうしよう。ホテルに泊まってるのに、ここのベッドより家のベッドの方がいいわ。家の寝具周りを充実させすぎるとこんなこともあるのね……)
今私はアルコールを摂っていないから、頭はスッキリしている状態だ。
その状態でこのベッドを使うと、「マットレスが薄い」「寝間着がゴワゴワしている」などと気付くことが山ほどある。
ここに限らず、ホテルで宿泊する日は酒を飲んでから寝る人間が多いだろう。宿泊施設側でも酒を飲んで貰うことを推奨しているからだ。
(それって、お酒を飲んで頭をぼーっとさせた方が寝入るのには楽だから、って事情もあったりするのかな……)
それなら、お酒を飲むのも仕方ない……とは、思えない。
アルコールを摂取すると眠りは浅くなるからだ。つまり寝起きには良くないのだ。
でも旅先でお酒を飲みたいという気持ちもわかる。どちらも両立出来ればいいんだろうけど……。
そんなことをつらつら考えつつ、ホテルで過ごす夜は更けていった。




