54_魔の一撃って②
私は努めて軽く聞こえるように心を砕きながらリンハイルに話しかける。
正直なところ、リンハイルが「商売を続けてくれていい」と言ったのだから、それはその方針を守って欲しい。言質取ったりというやつだ。
マーシーがさっさと話を進めたのも、とりあえずこちらの有利な条件で契約してもらおうという算段だろう。
リンハイルは寝具店への苦情は取り下げること、これから睡眠ギルドに援助してくれることを約束してくれた。
それは良かった。
それはそれとして、気がかりなところは今の時点で払拭しておきたかった。
「リンハイル様、ご体調のほどは如何でしょうか」
「体調……?」
「ええ。私どもの寝具が役立ったと言われていましたが、私の目には、顔色が芳しくないように見えたので。……見当違いな指摘でしたらすみません」
私はそうリンハイルに質問した。
青白い顔をしたリンハイルは、ふっとその雰囲気を緩める。
「いや、確かにあなたがたの作った品物は多大な益をもたらしたよ。見た目には現れないから違いがわからないかもしれないが……最初に会ったときと今とでは、確かに変わったことがある。恐らく、あのマットレスだな。あのマットレスが、僕の……いや、魔術師に連綿と続く呪いを解いてくれたんだ……」
(この人、何言ってるのかしら……?)
私は内心でそう思った。
確かに、私はマットレスも含めてイリスに商品を届けてもらった。リンハイルは寝具店で作られたマットレスの使い心地に感動しているらしい。
それ自体は嬉しいんだけど、あのマットレスはあくまでも「寝心地のよいマットレス」であって、あらゆるものを浄化する効果などは宿っていないはずだ。
魔術師に続く呪いが解かれた云々の話は、リンハイルの思い込み、プラシーボ効果的なやつじゃないか。
当初は寝具店の活動を否定していたリンハイルがプラシーボ効果の影響を受けるのは変な感じがするけど。
私が怪訝な表情を何とか表に出さないように努めていると、リンハイルは体勢を変えた。
まず、彼の右手は頭に向かった。
次に、首。
その次に、肩。
最後に……腰。
「ネージュさん。年若いあなたにはまだわからないことかもしれないが……僕の身体は、長年痛みに苛まれていた。頭が痛くて、首が痺れて、肩は重かった。腰には針が刺さっているみたいだった。その痛みを打ち消す魔術を掛け続けるのが、僕のモーニングルーティンだったんだ」
「そうだったのですか……?」
「魔術師として長年の活動をしてきたからこその痛み……なんですかね?」
「そうだよ。『魔の一撃』と言い伝えられてきた、研究畑の魔術師が抱えることになる痛み。僕は数年前にそれに襲われたんだ」
リンハイルのその言葉を聞いて、私はイリスが言っていたことを思い出す。
魔術師にいつか訪れると言われる終焉で、それが起きたらそれまでのように活動を続けるのは非常に難しくなる――そう言っていた。
リンハイルは、ふっと笑みを浮かべて私の方を向く。
「朝起きる度に憂鬱だった。この痛みからはもう一生解放されないのだろうと。だが、イリスが持ってきた睡眠グッズを使ったら、痛みをほとんど感じなかったんだ――」
「おお……」
「夢なのかと思った。念のために何日間か試してみた。起きている間に痛みが再発することもあったけど、毎日あのベッドで眠る度に痛みが消えていく。……あなた方が睡眠グッズを開発してくれたおかげで、僕は『落ち着いて考える』時間を取り戻すことが出来たんだ」
「そうなのですか……。ちなみに、一番役に立ったと思えるグッズは何でしたか?」
「ふむ……マットレス、かな。あのマットレスを使うと使わないとでは、痛みの回復効果が劇的に変わる。そう感じたよ」
リンハイルの言葉を聞いて、頭の中で咀嚼して、やっと私は合点がいった。
そうか。
イリスが以前言っていた、魔術師に訪れる「魔の一撃」というものは、腰痛のことだったんだ。
私たちの作ったマットレスが身体に合っていたから、腰痛、ついでに全身の痛みも治っていったんだ。
(魔の一撃って……なんでファンタジックな名前にして隠してるのよ。もっと大々的に医者とかに相談しなさいよ。そうすれば割とすぐに治ったかもしれないのに……!)
私は内心がくりと脱力した。
……でも、その正体を聞いて、ある程度今までの謎は氷解した気がする。
前世でぎっくり腰のことを魔女の一撃と呼ぶのだと聞いたことがある。今世でも同じような発想で名付けられたのだろう。
研究畑の魔術師がよく発症するのは、デスクワークが多くて、体勢をあまり変えないからだ。
身体をある程度動かしていれば身体の凝り及び痛みはある程度回避出来るはずだけど、「いずれ魔術師は痛みに襲われるから、若いうちに詰め込まないと」という考えが蔓延していた。それ故に身体の痛みから逃れられない、という悪循環に陥っていたのだろう。
身体の痛みから解放されたらしいリンハイルは、息をついて私に話を続ける。
「思えば、最初にこの店に来たときの僕はかなり正気ではなかった。身体の痛みを誤魔化すのにも疲労して、頭がうまく動いていなかった……。最近はゆっくり眠れていて、研究も前よりもスムーズに進んでいる。で、今までの僕の過ちに気付かされたよ。他の人間に……子供に、誤ったやり方を勧めていたかもしれない、と。この目のクマはその影響だ。けしてあなたがたの寝具のせいじゃない」
「そうなのですね……」
一応、今のリンハイルの調子が悪そうなことについては理解できた。
睡眠ギルドに対して文句がないということも。
でも……私はひとつ、リンハイルに伝えたいことがあった。
「ハートウィック様。マットレスの名前を挙げて頂き、ありがとうございます。しかし……私が思うに、それよりも睡眠への影響が強い商品があります」
「ほう。それは?」
「ノンカフェインコーヒーです。あれが無ければ、同じ寝具を使っていても入眠に時間がかかり、身体の回復もうまくいかなかったかもしれない。そして、あれを開発してくれたのは、イリスなんです」
「……そうか」
リンハイルに私の思ったことを伝えた後、しまった、イリスに敬称略をつけるのを忘れていた――と気付く。リンハイルに対して同様、イリスにも敬いの言葉をつけるべきだった。
でも、リンハイルはそのことはあまり気にしていないようだ。彼は顎に手を当て、何か考え込んでいるような素振りを見せている。
「君ももう知っていることだろうが、イリスに対して……僕は辛い当たり方をした。僕の全ての対応が正しいものだったとは、もう思わない」
「それならば、彼女に対して何か働きかける予定もあるのですか?」
「……それは、これから考える。今すぐに結論を出すことはしないよ」
リンハイルはそう答えた。
それで、その日のリンハイルの店への訪問は終わった。
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睡眠ギルドはこれからも活動出来そうだ。それは良かった。
今心残りがあるのは、イリスのことだ。
父親・リンハイルに勘当された後も、イリスは彼のことを慕っているように見えた。
リンハイルの考えの全てに同調することはなくて、最終的には彼女は睡眠ギルドの側に立ってくれたけど、ギルドのために働いている最中もリンハイルを責めるような言葉は無かったのだ。
今のイリスは、睡眠ギルドで研究をしつつ、まだ正式にギルドに所属している訳ではない――という状態だ。
なんでも、睡眠ギルドで主に扱うような寝具の開発とイリスの魔法形態は微妙に相性が悪いらしい。だから、所属するにしても別の場所を選んだ方がいいのではないか、という話が出ているようだ。
彼女が作成した商品――ノンカフェインコーヒー――の技術は魔術師界で話題になっているという話を聞いた。
今は不在のイリスは数日後に魔術師の集まりに出て、技術の説明をする予定らしい。
彼女は一つ懸念があるといっていた。
魔術師界は父親、リンハイルの影響が強い。商品自体が評価されるとしても、イリスが家を離れたと知ったら他の魔術師は難色を示すかもしれない……そんな風に彼女は語っていた。
(でも、今のリンハイルは、以前とは違う結論を出すかもしれない。魔術師界で築いた彼の地位は本物なのだろうし、彼の後ろ盾があった方がイリスにとってもいい方向に向かうかも。向かわない可能性もあるけど……そのときは、また改めて考えよう)




