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55_抱き枕は睡眠の役にも立つ優れものである

 リンハイルから許可が出て、寝具店の二号店は無事開店した。

 主に店番をやってくれているのはマーシー、それに他のギルドのメンバーたちで、私は時折様子を見に行くくらいなものだったけど。

 一号店よりも売り場が広くなったこともあり、より盛況になっているようだ。




 そして、ある日ギルドを通してイリスから連絡があった。

 今後の話をしたいから、二人で会いたい――そういう話だった。



 私は王都のカフェでイリスと待ち合わせた。

 昼の陽の中で現われたイリスは、キラキラした表情をしている。



 そして、彼女は近況報告をしてくれた。



 イリスは、今回の研究が評価されて国から表彰されることになったらしい。

「今すぐにという訳ではないが、いずれパーティを行う」と話していた。



 また、睡眠に限らず新たな依頼が沢山舞い込んできているのだという。

 トレーニングと同等の効果を得られる食べ物が欲しい、飲み会の場は好きだけど酔った感覚は苦手だから酔わない酒が欲しい、など……。



(今回イリスが作った商品はノンカフェインコーヒーだけど、その技術は色んな商品に転用することが出来るみたい。イリスは、前世で言うところの食品が持つ細胞の解析を魔法でやれるようにしたらしいから。食事しながら生活の色んなことをクリア出来れば便利だもんね。色んな依頼が殺到するのも頷けるわ)



 私が彼女の話に頷いていると、イリスは真剣な顔をして私に向き直った。



「ネージュさん。私の去就について、漸く決まりました。私は、別の魔術師の家に行きます」



 イリスはそう宣言した。



「あの後、父親と話し合いをしました。私に魔法の力があるとわかれば、もう少し選択肢が広がる。他の魔術師の家に養子として入らせることで、更に魔法の幅を広げることができる。」

「……家に戻ることはしないの?」

「父親は、私の力自体は認めています。でも、一度決めた決断は変えたくないとも言っているんです。『自分は娘を育てられないと思った、別の場所に預けるという決断は間違っているものとは思わない』ですって」

「なにそれ……」

「でも、いいんです。父親とはずっと会わなくなる訳ではないですし……」



 イリスはどこか清々しい顔でそう言った。



「私としても……父親と一緒にいない方が、物事を冷静に進めることが出来る。父親と四六時中一緒にいるときは、息が詰まっていました。でも、彼と離れて、時々成果を持ち寄ったり、そのアドバイスを貰えるなら、今までよりもいい時間を過ごせるだろうと思ったんです」

「……そうか。距離を取ったほうがいい関係でいられるということもあるもんね」

「はい!」



 イリスは笑顔になった。晴れ晴れとした笑顔だ。

 他の家族……兄や使用人たちと離れることにも、思うことはある。でも、今は距離を取った方が先に進める。そう判断したらしい。

 紆余曲折あったけど、この子のこういう顔が見れるなら悪くはないな、と思った。



 そして、イリスが真剣な表情になり、私に向き直る。




「ネージュさん。私は今後別の家に行くことになります。まず王都から離れた地方での仕事を依頼されているので、暫くは物理的に遠い場所へ行きます」

「うん」

「でも……距離が離れるからといって、全ての関係が無くなる訳じゃない。繋がっていることもあります。私が頑張れば頑張るほど、ネージュさんのギルドの力になる。それを励みにするようにします」



 以前にリンハイルが睡眠ギルドの援助を行うと言っていたが、イリスはイリスで彼女の研究での売上の一部を睡眠ギルドに渡すとマーシーに伝えていた。

 子供から分け前を貰うことに最初は違和感を覚えたけど、「魔術師として立派に働く人間の言うことを無にする必要はない、それに対価を受け取った方があの子も喜ぶはず」というマーシーの言葉を受けて、私も同意することにした。




「……それに、私はネージュさんのことをずっと忘れません。ロフト部屋で過ごしたあの夜のことも」



 イリスはそこで言葉を切り、私を少し潤んだ目で見つめる。



「互いに暫くは忙しくて、中々会えなくなるかもしれません。でも……また機会があったら、お茶をしてくれませんか。私は今までコーヒーを沢山飲んできたから、色んなカフェを知ってるんです。睡眠の妨げになることは承知の上ですが、カフェで過ごす時間自体は好きで、ネージュさんにも教えたくて……」



 頬を染めたイリスが私に彼女の希望を教えてくれる。

 私は、勿論、と答える。

 そして、追加でイリスにあることを伝えるようにした。



「イリス。そう言ってくれるのは嬉しいわ。でも、私のこと以上に、イリスに忘れて欲しくないことがあるの。それをこれから教えるわ」

「……は、はい。それは、一体?」

「いっぱい眠ることを忘れないで。私のことは忘れてもいい。でも、『寝るのが何より大事』ということは心に留めておいて」

「おお……」



 イリスはちょっと戸惑った表情をしている。私が睡眠関連のことを喋るときによく見る表情である。

 だが相手が戸惑っていようが伝えなくてはいけないことはあり、睡眠関連のことは最たるものだと思っているので、私はイリスの様子に構わず会話を続けるようにした。



 イリスは、ぎゅっと拳を握って私に宣言する。



「わ、忘れません。ネージュさんのことを思うとき、セットであの日のベッドや枕のことを思い出しますから。思い出すだけではなくて、私は寝具を既に買っています! 新しい家に行っても使えるように、二号店の新商品も全部揃えましたから」



 イリスは二号店に行ってくれたらしい。しかも、彼女によると、他の魔術師にも試しに使って貰えるように寝具を何個も発注したのだという。マーシーもギルドのメンバーもみんなも喜んだだろう。

 私としても、イリスが眠る意思を見せてくれるのは嬉しい。



 ――でも、それだけでは足りないのだ。



 そう思った私は、イリスへの言葉を続けた。



「ありがとうイリス。でも、それだけじゃ足りない。イリスの寝心地はまだまだ改善の余地があるわ。今回はそれを伝えようと思ったの。はい、これ」

「これは……?」




 私は持っていた紙袋をイリスに渡す。

 中身を検めたイリスは、目を丸くしていた。



 ――柔らかく、かつ弾力のある素材。

 そして、それを触り心地のいいボアシーツで包んだ筒状のもの。



「これは……枕ですか? 随分と大きい感じがしますが」

「正確に言うと、抱き枕ね」

「枕を、抱く!?」



 イリスは私の言葉に驚いた様子で、抱き枕をしげしげと眺めたり、つついたりしている。

 この世界はもともと睡眠関連のグッズが無かったから、抱き枕という概念を知るのも今が初めてだったのだろう。



「イリス。私と一緒にロフト部屋に泊まった日、イリスは私に抱きついていたじゃない?」

「あ! そ、それはもう……すみません。睡眠が大事だと沢山聞いていたのに、ネージュさんの睡眠を邪魔するなんて、あってはならないことでした……!」



 ガクガク震えながら恐縮するイリスに向かって、私は気にしないように改めて伝えた。



「あの日のことを言ったのは、別に責める為にじゃないわ。ただ、イリスの寝方の癖について言いたかったの。イリス……あなたは横向き寝タイプね」

「横向き寝、タイプ……?」

「人間の寝方は一定じゃない。仰向けで寝るか、うつぶせで寝るか、横向きで寝るか、人によってそれぞれの傾向があるの。横向きで寝る人は、体圧分散のために何かを抱くのが有効だと聞いたことがあるのよ。それもあってイリスは私に抱きついてたんじゃないかと思うの」

「体圧……」




 私はイリスにざっくりと説明した。

 人間が寝ている間、その数十キロの体重は寝具が受け止めることになる。その体重がうまく分散しないと身体に負荷がいき、腰痛などの身体の不調を引き起こすことになる。



 魔術師はデスクワークが多いため、質のいい寝具を使うといっても身体の不調になる可能性がある。それを防ぐためには、日頃の運動が必要だ。それに加えて、体圧をうまく分散出来るものもあればなおいい。



「私も自分用に作って試してみたことがあるの。抱き枕を抱いて眠ると、枕が体重を受け止めてくれて気持ち良く眠れるわ。それに、何かを抱いて眠ると冬は暖かくていいわよ。肌触りのいいものを抱いているとなんだか安心するしね。そう思ってイリス用に作ってみたの」

「これを、私のために……?」

「イリスの頑張りに沢山助けられたわ。あなたがいないと睡眠ギルドは継続出来なかった。でも、頑張りすぎないようにして、沢山休んでね。私は魔術師として活躍しているところだけじゃなくて、寝ているあなたを見るのも好きよ」



 私はイリスにそう言った。



 イリスは抱き枕と私に交互に目線をやりつつ、頬を赤らめる。

 最終的に、私に視線を合わせて呟いた。



「……ありがとうございます。ネージュさんの睡眠についての造詣の深さにはいつも驚かされます。――でも、ひとつだけ言いたいことがあります」

「なに?」

「私が横向き寝というネージュさんの推測は、確かに正しいのでしょう。でも、それだけではないです。私はあの夜、ネージュさんの傍にいたかった。その理由の方が大きかったんです、きっと」





 こうして、イリス――私と睡眠ギルドに大いに力を貸してくれた少女は、一時的に私と離れることになった。

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