52_睡眠ギルドのコーヒーとは、商品とは(リンハイル視点)②
イリスと会うのは数日ぶりである。
僕としては、今生の別れになってもおかしくない、くらいの気持ちで彼女に別れを告げたつもりだった。
この子に自分の意図が伝わらなかったのか――と、僕は心中で苛立ちながらイリスに声を掛ける。
「イリス。何故ここに現われた?」
「…………」
「もう僕は君と住まないと言ったよね。前々からそういう話をしていて、君はその未来を回避するような行動を取らなかった。今更決定を覆してくれと言いに来たのか?」
「……違います」
イリスはそう宣言した。
イリスが僕に対して怯えたような表情を見せるのはこれが初めてではない。現に今も彼女は少し怯んだような様子を見せている。
でも、今までとは違うと感じられることもある。
今まで僕と会話するイリスは消え入りそうな声で喋ることが多かったが、今の彼女は声に芯をがあるようだ。
イリスは、彼女の持つバッグに手を掛けた上で、再度僕に要求を言った。
「リンハイル様。私はここに、魔術師の取引相手として参りました。なので、応接室にあげて欲しいのです」
「取引相手……?」
「この家まで来るのは、通常の取引相手では出来ないこと。なのでネージュさんを初めとした睡眠ギルドの方たちは来ていません。代表として私が来ました」
「代表……」
「『子供であっても一人前の魔術師として教育する』と言っていたのはあなたですよね。リンハイル様、あなたに見せたい商品があるのです。私と交渉して下さい!」
****
確かに、僕はイリスのことを一人の魔術師として扱おうとした。そうなるように育てた。
僕の今までの目論見がうまくいったとは思っていない。が、今の彼女としては一人の魔術師として、対等に交渉したいらしい。
僕は許可することにした。
イリスが身内だから、ではない。僕は機会があればどんな商品であっても一度は見てみることを信条としているからだ。その上で見所が無さそうならば追い返すまでのことだ。
話は聞くけど、あくまでも商品の話だけだ。それも手短に――と伝えると、イリスは重々しい顔で頷いた。
僕はイリスを家の応接室まで連れて行った。
イリスが持ってきた荷物を見せてくる。
それを見て、僕はまばたきした。
イリスのバッグの中には片手に収まる程度の小袋が複数個並べられている。
この小さな袋自体が商品、という訳ではないのだろう。魔術師は大きな品物でも小さくして運ぶ技術があるのだ。
「イリス、荷造りの魔法を使ったんだね。これはどこで解凍すればいいんだ?」
「こちらは小さいものが入っています。応接室のテーブルの上で解凍すれば問題ないです。ですが……こちらは、空き部屋で解いてください」
「空き部屋……?」
「その中には大きい物が封じられているんです。成人男性が寝転がれるくらい、大きなものが」
****
イリスが持ってきた小袋の中には、商品の取り扱い説明書が入っていた。「それらの道具を想定通りに使った上でその有効性がわかれば、睡眠ギルドへのクレームは取り消して欲しい」というのがイリスの主張だった。
その説明をした後、イリスは家を後にした。
ハートウィック家に戻ってきた訳ではない、という彼女の主張は一応は本当のようだった。
イリスは持って回った言い回しをしたが、要するに彼女が持ってきたものは寝具だった。
イリスの小袋には魔法がかかっており、魔法を解くとベッドが出てきた。
今使っているベッドと同じくらいの大きさのものだ。成人男性である僕も問題なく身体を横たえることが出来るだろう。
僕の家の空き部屋は日当たりが悪い部屋だったが、イリスは「その方が好都合です」と言った。
なんでも、新たな形の目覚ましを試してみて欲しいんだそうだ。
「光目覚まし……マットレス……ベッドパッド。ふむ、新たな素材の枕やシーツもあるな……」
空き部屋で魔法を解くと、様々な寝具が姿を現した。
僕はベッドを作り、間接照明を置き、光目覚ましとやらをセットする。
睡眠ギルドの指示したことは忠実に守るようにした。
その上で、完膚なきまでに効果が無いことを示して、商売をお引き取りいただく。それがいいだろう。
(あとは……)
イリスの持ってきた袋はまだあった。
彼女の言う通り応接室で魔法を解くと、テーブルの上に出たのは、缶だった。キャニスターというやつだ。
それに同封されている紙を見て、僕はその説明に従うことにした。
****
「……うーん」
イリスが帰った後も研究を続けていたが、頭が少々朦朧としてくる。
これは、眠気だ。
ということは……今はもう、寝る時間か。
僕は時計をちらりと見やる。
「…………?」
おかしい。
時計を見ると、まだ日付が変わる前だった。
僕は長年のコーヒーの摂取により、眠る時刻は概ね深夜、日付が変わって三時間ほど経った時間だ。意図的にそういう体質にした。
追加の眠気覚ましのコーヒーを日付が変わった後に飲むこともあるが、それなしでも今の時間は眠くなることはない。そのはずだった。
(何か普段と違うことがあるとすれば……イリスか?)
イリスが持ってきた小袋の中に、コーヒーのキャニスターがあり、豆が入っていた。今宵の夜はこのコーヒーを飲んで欲しいという説明が添えられてあった。
僕はそれに従い、コーヒーブレイクの時間はそれを飲むようにした。
(あの豆に睡眠作用のある魔法でも掛けられているのか?)
本当は研究を続けたかったが……これはいけない。
瞼が重くなる。
身体に力が入らない。
もう、眠る以外のことは出来そうにない。
(…………)
いつも使っている研究室兼寝室から移動して、普段は使っていない部屋に移動する。
そして、イリスが持ってきた寝具に潜り込んだ。
****
太陽だ。
と思ったら、違った。
部屋の中に朝陽と見まごう程の光があって、僕を照らしている。これはイリスが持ってきた目覚ましが作動したのだ。
僕は上体を起こす。
顔を洗って、朝のコーヒーを飲み、一息つく。
(もしかして……まだ夢の中にいるのか?)
そんな風に考えて、鏡をじっと見る。
そこにはくっきりと僕の顔が映っている。頬をつねると痛みもある。これは現実だ。
でも、頬をつねるまで身体に何の痛みもない、というのが僕にとっては不自然な状態だった。
朝に起きて、頭が痛くない。目も乾きを覚えない。
今まで、起きているときはずっと身体に深い痛みがあったのに。
朝起きたらその痛みを消す回復魔法を自分に打ち込むのがルーティンになっていたのに。
僕はいつも使っている研究室兼寝室に移動した。
昨日の続きから研究を始める。
……一定時間が経過した。
昨夜の数時間の成果より、今朝起きてやった作業の方が、ずっと捗った。
夜を徹しているときよりも、朝早く起きた方が、何倍も進みが早い……。
それは認めたくない事実だった。
だが、認めざるを得なかった。
そして、今までの自分の行動に対する疑問が、ぶわっと沸いてくる。
身体が回復した分、頭がフルスピードで回転しているのを感じる。
(もしかして……僕は、何年も、何十年も、間違ったやり方をしていたのか? 夜に無理やり起きるより、早めに寝て朝に研究すればずっと捗ったんじゃないか?)
滑らかに動き続ける頭が、僕の過ちを詳らかにしていく。
イリス曰く、今回送られた睡眠ギルドのグッズは大半がギルドのメンバーが作ったものだが、コーヒーは自分で作ったらしい。
このコーヒー、味は確かにふつうのコーヒーと同じものでありつつ、得られる効果は通常と違うものだった。
コーヒーを飲んだ後は目が冴えるのが常だったが、イリスの作ったものを飲んだら、眠気がやってきたのだ。
これがあれば、コーヒーの味わいを楽しむのと同時に、眠りを妨げない効果も得られる――。
この商品をイリスは魔法を用いて開発したらしい。僕と別れた後のごく短期間で作ったようだ。
イリスを夜を徹して鍛えたこともある。
遅れを取り戻さないといけないと、そう思っていたから。
――もしかして、それが駄目だったのでは?
身体へのダメージがどんどん蓄積されて、取り返しのつかないことになっていたのでは?
現に、僕と別れた途端にイリスは成果を出すことが出来た。
(イリスを駄目にしたのは、何よりも僕が原因だったのか……?)
「……そんな……」
その結論に達した僕は呆然として、思わず声をあげて机から立ち上がった。
そして、よろよろと普段使っているベッドに倒れ込む。
(……イリスが持ってきたベッドの方がずっと寝心地がいいな……)
そんなことを考えながら。




