最終話 テルミー、ユー!
テルミーは悩んでいた。
カインに縫った巾着袋。
徹夜続きの高揚感で仕上げてしまったプレゼントだが、よく考えたらカインから直接誕生日を聞いたわけじゃない。いきなり贈ったら気持ち悪すぎる。
いや、いきなりでなくても恋人でもないのに手作りの品を贈るのは重い。
迷っているうちに仕事がひと段落し、冬至の晩餐会も無事終わり、カインの誕生日も数日過ぎてしまった。
可哀想な巾着袋。綺麗にできたのに、ごめんね。お前もカイン様のところに行きたいよね。
「というわけでフィン」
「いやいやいや」
フィンの執務室。本当はお縫い子が気軽に来ていい場所じゃない。でも背に腹は変えられない。
「もったいないから」
ぶんぶん頭を振って拒むフィンの腕に、巾着袋をぎゅうぎゅう押し付ける。だがフィンの意志は固く、全く受け取ってくれない。
「カイン殿へのプレゼントなんでしょ!?」
「うん!」
「本人にあげてよ!」
「やだぁっ!重いと思われたくないい」
「嫌われたくないってこと?」
「そう!!」
「だ、そうですよ」
おもむろにフィンが振り向いてキャビネットに話しかける。静かに扉が開いて、筋肉質な手足を屈めたカイン様が出てきた。申し訳なさそうに眉を下げている。
「…………」
「…………」
驚愕してフィンを見ると、悪びれもせずに肩をすくめていた。
「悪く思うなよ」
「う、うらぎりもの……!」
「臆病者に言われたくないね」
カインが黙ってテルミーのそばまで来て、じっと見下ろしてくる。かと思えば、揃えた両手をそっと差し出された。
ぶるぶる震える指で巾着袋をその上に乗せると、カインの大きな手に包まれて、巾着袋は大切な宝物のように指先で撫でられながら上着の内ポケットへと吸い込まれていった。
「ありがとうございます。家宝にしますね」
「い、ああ、お、おおお誕生日おめでとうございました」
「テルミーさん」
カインの瞳はどこまでも静かだった。声も、表情も。指先だけが、握ったり開いたりを繰り返していた。
「私は、波打際で会うだけでは満足できません」
世界中の音が止まったかと思った。耳がきいんとする。
「今の私にはわかってしまいます、人魚姫の気持ちが。……私には捨てる鰭も歌声もありませんが。あなたが嫌う物語を、好きになってしまいました」
「わ、私、カイン様に何も捨ててほしくない」
「ええ、テルミーさんはそんなことで喜ぶ方じゃないってわかってるのに……全部あげるから、全部くださいと言いたくなってしまうのです」
カインの浅葱色の瞳がきらきらと潤んでいた。こんなに綺麗な色、知らない。
「あなたの本心をお聞かせください。……日の入り前、東の中庭でお待ちしております」
「カイン殿。僕がいるって忘れてませんか?」
「忘れていないよ。君が証人だ、フィン」
カインはフィンの肩にぽん、と軽く手を乗せると、身を翻して部屋を後にした。
「……ふ、ふぃん」
「…………観念しな」
フィンは笑っていた。こうなることが全てわかっていたみたいに。
昔からこうだった。テルミーはフィンの腕をぎゅっと掴む。
「わ、わかった。名前言う。……フィンも、それでいいんだよね?」
「もちろん」
「フィン」
「何」
「一緒に来て」
「えーーーーーーーー?」
「お願い」
「やだぁーーーーーーーーっ」
本当に嫌そうだった。
でもテルミーは知っている。フィンはこう見えて面倒見がいいのだ。
********************
どうして人間は、こんなに強欲なのだろう。
釦をいじってしまう癖を見抜いて、強く留めてくれるのが嬉しかった。
毎朝の努力に気づいてくれたのが嬉しかった。
話せるだけで嬉しかった。早朝の鍛錬後、体を拭いてくれるのが天にも昇るほど嬉しかった。
ラムゼイから贈られた、ヘンリエッタの手による刺繍のハンカチには、青い瞳の栗毛のうさぎが刺繍されていた。額に入れて枕元に飾った。
寝不足でふらふらになりながら作ってくれたというテルミーからのプレゼントも、どうしても欲しくて。待っていたがもらえなくて。
フィンに協力を仰いだ。関係を聞いても決して答えてくれないが、どう言うわけかカインにはとても協力的だ。
テルミーは来るだろうか。波打際の恋で満足できなかったカインを、受け入れてくれるだろうか。
東の中庭へ足を向けながら、カインの心臓は痛いほど打っていた。
木立の中、濃紺の文官の裾が見える。
フィンの腕にしがみついて、テルミーは立っていた。……フィンはどうしてそんなに嫌そうな顔をしているんだ。
羨ましい。くそ、羨ましい。俺がそのポジションになれたらよかったのに。
テルミーが涙目でうかがってくる。可愛い。泣いてほしくないのに、それでも可愛い。どうかしている。
「テルミーさん。……フィンも。来てくださってありがとう。私の想いにはもうお気づきでしょうが、」
「か、か、カイン様っ!」
「はい」
「わた、わ、わたわたしのな、なま、え、ううう」
いつになく緊張して吃っている。
「な、なな名前を、私の名前を、あなたに、お、お伝え、したくて、それで。わ、私の名前聞いてからに、してください。カイン様の、お、お気持ちがかわりないかどうか」
「はい」
フィンがテルミーの背中をさすっている。カインの心はちくちくした。
「ジャ、ジャス、うう、うーっ」
「頑張れ。頑張れ、できる。お前ならできる」
「ひっ、ううう、ジャス、ううっ」
過呼吸を起こすのではないかと思うほどに、呼吸が乱れている。薄暮の中でもわかるほどに顔は真っ赤で、こめかみに髪が一筋張り付いていた。
「ジャス、うううううう」
「いいです。もう結構です」
カインは静かに遮った。
「申し訳ありません。フィンも、巻き込んでしまいすみません。あなたにとって苦痛なことを強要したいわけではなかった。ただ俺は、」
す、と息を吸い込む。首まで真っ赤になっている涙目のテルミーを見る。こんな風に苦しんでほしいわけでは断じてなかった。
「俺は、あなたの気持ちが知りたいだけだったんです。あなたに恋をしたから。…… 俺はね、テルミーさん。あなたとの恋を世間が許さないとしても、賜った剣を鍬に持ち替えてあなたと生きて行く覚悟を、とっくに決めています。あとはあなたが、うんと言うか、いいえと言うか。それだけです」
がくりとうなだれたテルミーを、フィンが支える。カインも駆け寄ってテルミーの脇に手を入れて支えると、体の震えが手に伝わってきた。
「ジャスティスプリンセスティアラマーメイドです」
「……………………………………ん?」
「わ、私の名前。う、じゃ、うう、ジャスティスプリンセスティアラマーメイド・アンドルフィンです」
真っ赤になって震えながら、はっきり言う。いや、聞き取れてます。
え?名前?
「偉いぞ。すごいぞ。よくやった。本当によくやった!僕はお前が誇らしいよ」
フィンがテルミーの頭を抱き寄せ、優しく背中を撫でている。テルミーも素直に頬を寄せ、大人しく撫でられている。
「ちょっと、フィン。距離が近いのでは?」
思わず刺々しい口調になる。ああ、すまないフィン。君を責めたいわけじゃ、
「僕はイノセンスライトニングキングペガサス」
「ん?」
「イノセンスライトニングキングペガサス・アンドルフィン。双子の兄です」
銀縁の丸眼鏡をくいっとあげながら名乗りをあげるフィンの顔をまじまじと見つめる。
へえ……。そうか。今までアンドル・フィンだと思ってた。
「か、カイン様」
「は、はい」
「ごめんなさい。私の名前、こういうのだから。みんなに秘密にしてるんです」
「あ、いえ、俺のほうこそ、無理に聞き出してしまい」
「カイン殿。わかってるとは思いますが」
「も、もちろん。誰にも言ったりしない」
名付けは親の一存だから、まあ……ジャスティス、……えーとなんだっけ……マーメイドだって、うん。
「じゃ、後はおふたりで」
しがみついていたテルミーを引き剥がし、フィンは逃げるように背中を向けた。
「フィン、あ、ありがとう!」
「どういたしまして。じゃあすみませんがカイン殿、妹の話を聞いてやってください」
「ありがとう。フィン、この借りは返す」
「大袈裟な」
ふ、と笑ってフィンは歩いて去っていく。銀糸の房飾りが背中で揺れていた。
「俺、あなたに謝らないと」
「カイン様が謝ることなんて、なにも」
「自分のことばかりでした。あなたの名前を知りたい、お近づきになりたい、そればかりで」
「…………嬉しかったです。本当は。私がもっと、自信があったら、あ、あなたに、す、すす、好き、好きって、言えたのだとお、思います」
好きって、言われたあ……!
カインは溶けそうだった。2回も言われた。
いや「す」は「すき」の5割を占めるのだから、すすで1好きとカウントできるはず。
ということは3.5好きをもらったということで、3.5好きはおおよそ1大好きに匹敵すると考えられるから、ああ、これはもう完全にそういうことだと思ってよい。
結婚だ。
ぐっと足に力を入れる。腑抜けるな、カイン。男を見せろ。
なるべく優雅に見えるよう気を払い、片膝をついて跪く。
「あなたをお慕いしています。この想いを受け取っていただけますか?」
テルミーは、いやジャスティスおひめさまアクセサリーマーメイドは、赤く染まった頬を手の甲で冷やしながら、両膝をついてカインの視線に合わせた。
「はい、はい……!喜んで……!」
「…………ありがとうございます」
まだやれる。倒れるな。鼻血もこらえろ。
カインは心臓に手を置いて頭を下げる。
「あなたのことをもっと知りたい。俺のことも知っていただきたい。まずは交換日記からお願いいたします」
「こ、交換日記!?」
「すでに購入しておりますので、明日届けに参ります」
「……あ、あの、名前……こんなですけど、カイン様はいいのでしょうか」
「俺はあなたの名前を知る前から、あなたのことが好きでした」
顔を上げると、すぐ近くにテルミー、いやジャスティス、うーん、テルミーの方がしっくりくる。テルミーの顔が近くにあった。
「……こういう時は、」
「はい?」
「女性は跪かなくていいんですよ」
テルミーははにかんで、胸元のリボンを指先でいじる。それやめて。可愛いから。
「…………知ってます」
伏せていた目を上目遣いに見上げ、カインを見つめてくれる。
「したくてしました。嬉しかったから」
カインはそのまま横に倒れた。
慌てたように覗き込んでくるテルミーが眩しい。優しくハンカチで鼻を押さえてくれる。鼻血ですか。俺はよくやった。よく耐えた。
恋に溺れる、とはよく言ったものだ。溺れた先がこのひとでよかった。
*************************
「……お名前は、誰がお付けに?」
「母です。ジャスマメって呼ばれてます」
ジャスマメ。
「兄はイノペガ」
イノペガ。
「力強く、人の記憶に残る名前にしたかったのだそうです」
テルミーはため息をついた。首を横に振る。その仕草が、フィンにそっくりだった。
「母のことは尊敬しています。私たちを裁縫の腕で養ってくれました。私がお縫い子になったのは母の影響です」
冷たい風が、桃色に染まった空へと抜けていく。細く浮かぶ白い月が、テルミーのよく手入れされた小さな爪を思い出させた。その手はいま、カインの手の中で温められている。
「この名前のおかげで、とっても苦労しました。雇ってくれるところがないんです。どうやら私の名前は、不真面目で能力が低い印象を与えるみたいです」
「ですがあなたの技術があれば、どこだってやっていけるのではないですか」
「逆なんですよ。人並みの仕事では認められないのです。名前が霞むくらいに働かないと、居場所を作れませんでした。おかげで王宮お抱えのお縫い子になれたと思えば、悪いことばかりでもない……そう思うようにしています」
カインの知らない苦労だった。名前のことを語るときのテルミーは苦々しげで、苦労がしのばれた。
「テルミーと呼ばれた時は嬉しかったな。私が獲得した呼び名です。必死になって働いた、私の成果。……フィンも同じ苦労をしてます。だから私たち、他人のふりをしてるんです。兄弟の話をしたら、名前がばれる。名前がばれたら馬鹿にされる。実力や内面を見てもらえなくなる。……だから誰にも家族の話はしない。それが私たちの約束なんです」
庭園の木々が、だんだん黒く影になっていく。テルミーは何度目かのため息をついた。
「フィンは母と折り合いが悪くて、もう何年も家に帰ってません。母のことは嫌いじゃないけど、ジャスマメじゃなくてテルミーって呼んでと言うと、泣くんです。……この名前は愛せません。名前のことも、親のことも、隠して生きてきました。……うちはそういう家族です。カイン様に胸を張って紹介できる家族では、ない……」
手の中のテルミーの指先が、じんわりとぬくい。
カインはうつむいたテルミーの顔を覗き込んだ。
テルミーは泣いていなかった。どんなに苦しそうにしていても、涙を落とさない。
そんなところが愛おしいのだと伝えたら、あなたはどんな顔をするだろうか。
「結婚相手は唯一選べる家族です」
「選べる、家族……」
「あなたが、胸を張って人に紹介できる家族に俺がなれたら幸せです。……あ、いや、すみません。急ぎすぎました。まずは交換日記からですね」
「で、では結婚を前提とした交換日記を」
「はい。よろしくお願いいたします」
「よろしく、お願いいたします」
カインはそっとテルミーの頬に両手を添えた。テルミーの顔が上を向いて、きら星のような瞳が何度か瞬く。薄く開いた唇から、白い吐息が立ち上る。
晩冬の夕暮れは体を冷やして、唇の熱さを鮮明にした。
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恋人になったからといって、日常が一変するわけではない。
テルミーの朝は相変わらず早い。
空がまだ暗いうちに起きて着替えをすませ、湯を沸かし、カインに会いに行く。
鍛錬をすませた彼の背中を拭いて、……拭いたあと、肩甲骨の下に並ぶみっつのほくろにキスをおくる。これは恋人特権。
カインが身支度をすませる間に、話をする。そのときのカインの声は少し高くて、甘い感じがした。これも多分、恋人特権。
「あなたはジャスティスって感じじゃないし、マーメイドって雰囲気とも違う」
「………………」
「俺があなたにつけるなら、そうだな、フロマージュエンジェルかな」
「…………え?」
「マシュマロラビットとか、たんぽぽハニー、うーん、ぷるぷるパンナコッタも捨てがたい」
「そ、そそんなこと言う、人だとは思ってなかった」
「俺も自分がこんなこと言うとは思ってませんでした。お母様の気持ち、少し分かるかもしれません。特別なひとは特別な名前で呼びたくなるのかも」
「とくべつ……!」
とくべつ、とくべつって言われた。スペシャル、プレシャスってことだ!わお!
これはもう完全に、恋人関係のなせる技!!
「あなたを見るたびに、何かに似てるな、なんだったっけな、って思ってたんです」
「なにか……?」
「ええ。マシュマロでしょ、実家で生まれた子ウサギでしょ、プディング、パンナコッタ、故郷に降る初春の雪、風にそよぐたんぽぽの綿毛。俺の好きなありとあらゆるものに、あなたは似ている」
うさぎ?たんぽぽ?テルミーはじわじわと恥ずかしくなった。いつかカインに、好きなものを聞きに行ったことがある。これってつまり、自惚れていいんだろうか。
「……なんて呼ばれたいですか?」
「……その、なかで?」
「なんでも。あなたの好きな呼び方で、あなたを呼びたい。俺になんて呼ばれたい?」
「じゃ、じゃあ」
「はい」
「テルミー、と」
「テルミーさん」
「と、時々は、マシュマロとか、ハニーって」
「あはは!」
「なっ、笑わないでくださいっ!カイン様が言ったんじゃないですか!」
「ははっ、ごめんなさい。可愛くて」
可愛い。可愛い?可愛いってなんだっけ。可愛いって言ったこの人今?かわいい?河合?皮?強飯?
「可愛いですよ、本当にあなたは。俺、テルミーさんが可愛くて仕方ないな」
「ゲシュ、ゲシュタルト崩壊してきた……」
「どうしたんです?」
「可愛いって、どういう意味でしたっけ」
こんなふうにだれかに見られたことがない。
瞳が潤んで、目尻が赤くなって、唇が微笑みとも泣き出しそうとも言えない形で震えて、こんなに優しい顔で見つめられたことなんかない。
こんな、こんな、大好きって視線だけで叫ぶような、そんな目で見ないで。
「可愛いの意味を聞くの?」
「お、教えてください。言われたこと、ないから。可愛いって、母のための言葉で、私のための言葉ではなかったから」
カインは少し迷った後、テルミーの頭を優しく、優しく撫でた。そのまま片手で頭を包んだまま、ゆっくり自分のシャツの胸に押し当てる。
「…………聞こえますか?」
最初はよく分からなかった。早鐘のように打つ鼓動が、自分のものではなくカインのものだと気づいた瞬間に、テルミーは彼の背中に腕を回していた。
「……わかっていただけたでしょうか」
「か、可愛いと、ドキドキするのでしょうか」
「はい。あなたといると、ドキドキします」
「カイン様」
「はい」
「私の音も聞いてください」
テルミーの左脇のあたりに、熱くて優しい手が回ってきた。
「……テルミーさん、俺のこと相当可愛いと思ってますね?」
「っ!、ふふっ、」
「これはすごい。世界一狙えるかもしれない」
「可愛いの世界一?」
「可愛いの世界一」
今度こそふたりは吹き出した。もう笑いが止まらない。胸をくっつけあったまま、肩を震わせて笑い合う。
そっか。恋って、この世であなたが一等賞ってことなんだ。
最終話まで読んでいただきありがとうございます。
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あなたにとって可愛いの世界一はいますか?




