第3話 テルミー、ユアハート!
「…………ニコライ」
「えっ、なに?こわ、やだ」
ニコライも出世頭の騎士である。カインと違って明るく冗談好きなニコライは、女性によくモテる。
恥を忍んでこの男に相談するしかない。カインは悲壮な覚悟でニコライの部屋を訪れた。
「俺は…………恋をしたのかもしれん…………」
椅子の背もたれを前にして、頬杖をつきながらニコライはおお〜と抜けた声を上げる。
「屈強なお縫い子さん?」
「屈強に釦を縫い留めてくれる、凄腕のお縫い子さん」
「それで失恋したと」
「多分そう部分的にそう」
「すでに相手がいたか?」
「いや……独身なのか、恋人がいるのかさえわからん。なんせ名前がわからん。嫌われてる感じはないが何故か名前だけ頑なに教えてくれない」
「ストレートに脈なしじゃん?」
「もしかして脈なしだと交際は難しいか?」
「頭おかしくなっちゃった」
ニコライが頬杖を外す。そうだ。カインは頭がおかしくなった。そうとしか思えない。あの日、耳から劇薬を流し込まれて狂ってしまったのだ。
「カイン、落ち着け。嫌われてないとかいうのもお前だけの主観かもしれんぞ」
「でも、部下たちもそう言ってる」
「信じるなや!おいしっかりしろ、どうしちゃったんだお前。急にこんなポンコツになって」
「ポンコツだから名前教えてくれないのかな」
「情報を整理しよう」
ピッと人差し指を立てる。カインはふりふり動く指先をトンボのようにぼんやり見つめた。
「まず、その子とは何度か話してるんだな?」
「ああ」
「それで名前を聞いたところが、名乗ってもらえなかったと」
「1回目は逃げられ、2回目ははぐらかされた」
「はぐらかされた、とは」
「テルミー、だと。子供に"教えてちゃん"なんて付ける親がどこにいるんだ。しつこく聞いたからカウンターを食らったんだ。はー、失敗した」
人差し指が唇に当てられる。何かを思い出すようにニコライは斜め上を見上げた。
「…………いや、わからんぞ」
「ええ?」
「ルツ女官長のファーストネームを知ってるか」
「知らんが」
「タラゼド様と言うらしい。"襲う鷲"って意味があるって」
「なんだそれ」
「鷲に変身しためっちゃ強い神様なんだとよ。一番偉くて、不老不死なんだって。」
「…………えええ?」
どう考えても娘につける名前ではない。勇ましすぎる。
「生まれる時に死にかけたから、強く長生きしますようにって願いを込めたらしい。他にもいろいろ意味があるらしいが、詳しいことは忘れた」
「…………男ならともかく、娘の名前にするかな普通」
「でも名付けなんて親の一存だろ?死にそうな赤ん坊を見たらさ、生きろ!頑張れ!ってなって、可愛らしいお花の名前なんてつける気にならないのかもよ。もしかするとテルミーちゃんだって、質問できる子になってほしいという親心でつけられた名前かもしれんぞ」
「あるか…………?」
「もしそうだとしたらよ。その子傷ついただろうなあ〜」
「なっ」
「変わってる名前だから1回目は逃げた。でも2回目は名乗ってくれた、としたらよ。お前の態度、どんなふうに感じたかな〜?」
考えもしなかった。
カインの名前は祖父の名前から。兄弟たちも似たようなものだ。名前とはそういうものだとばかり思っていた。
「……話をしないと」
「誠意見せてこい〜!」
ニコライの部屋を出る。テルミーが本名だという可能性に思い至らなかった自分が憎い。
いや、たとえ揶揄われたのだとしても構わない。カインはまだ、一番大切なことを告げていないのだから。
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カインは深呼吸した。
王宮第三宮、北の一角。
死ぬわけじゃない、死ぬわけじゃない。カインは胸の中で唱えて、意を決してドアに手をかけた。
「失礼致します」
一番近くに座って作業していた女性に声をかける。建物の中はほとんどが作業机と簡易な椅子で占められており、奥に広い。所狭しと並べられた衣服と布、ずらりと並んだお縫い子の女性たち。
「作業の邪魔をしてすみません。こちらに栗色の髪のお縫い子さんはいらっしゃいますか?」
「騎士様、ごきげんよう。栗毛はたくさんいますけども」
声をかけた30代前半と思われる女性は、顔を上げたが布から手は離さない。忙しいのだろう。邪魔をして申し訳ない気持ちになる。何か袖の下を持ってくればよかった。
「え?誰?」
「待ってあれ騎士様!?若いっ!」
「やだっかっこいいかもっ」
「えっ見たい見たい」
きゃあきゃあした声が聞こえてくる。ニコライなら投げキッスやウインクを送るのだろう。
「もう少し特徴がないと。誰を探していらっしゃるのですか?」
「綺麗な青い目をしてらして」
「ヘンリエッタかな?」
「ヘンリエッタ〜!」
「はぁ〜い」
「あ、違います。ヘンリエッタさんではないです」
ヘンリエッタと呼ばれた若い娘は返事をしたが、自分に用がないとわかるとすぐに作業に戻って行った。癖毛の黒髪とはっきりした目鼻立ちに見覚えがある。たまに隊服を届けてくれる娘だ。
「ジグリットおばちゃまかな?」
「わ、若い方です」
「うち若い子多いんで、ちょっと」
「色白で」
「……もっとありませんか?名前とか、顔立ちとか……」
「…………釦をつけるのが、恐ろしく早くて……」
「ああ、テルミーのこと?」
女性が布を放し、ぽんと手を打つ。それを早く言ってくださいよと顔に書いてある。
「えっ?」
「あれ?違います?早縫いのテルミーですよね?」
早縫いのテルミー。そんな二つ名が。
「テルミー!騎士様が呼んでる!おいでっ!早くっ!みんなちょっと道開けたげて」
探し人は建物の反対側からこっそり出ようとしていたらしい。周りに急かされて何か言われている。
見つかると観念したのか、人と机と椅子を避けながら素直に走ってくる。
「か、カイン様、ご無沙汰してます」
「こちらこそ。いきなり訪ねてすみません」
やいのやいのと若い女性たちが噂をしている。それを年嵩の女性たちが小声で叱る。男所帯とはまるで違う雰囲気だ。
「い、行きましょう。すみません、ちょっと出てきます!」
「行ってら〜」
「騎士様、テルミー早く返してくださいね」
「テルミーいないと回んないよ、うち」
「遅れたら騎士様にも縫ってもらお」
「そうしよそうしよ」
「お、お気になさらず、さあ」
テルミーはカインを外に促した。2人で建物を出て、しばらく人気のない方を選んで歩く。
「……テルミーさん?」
「はい」
「…………私はてっきり、適当にかわされたものだと」
「あ、いえ、そうですよね。普通はそう思いますよね。すみません」
「謝るのは私のほうです。なれなれしく名前を聞き、誤魔化されたと決めつけて失礼な態度を取りました。騎士にあるまじき行為でした。お許しください」
「あ、謝らないで、ください。ほんとに」
ふるふると首を振る。耳が薄紅色に染まっていて、まだ冬も始まったばかりだというのに、故郷の春を思い出した。
「…………テルミー、さん」
「は、はいっ」
「……本当にテルミーという名前なのですか?」
名乗ってくれたの?嬉しさが足元から込み上げる。だがそれはすぐに打ち砕かれた。
「いいえ、あだ名です。……新人の頃教えて教えてってついて回ってたから。みんなそう呼んでます」
「はあ……。では本名は」
「……名前は、ごめんなさい。名乗れません。で、できればもう、お尋ねにならないで」
「……そう、ですか」
「ご、ごめんなさい。カイン様はなにも悪くありません」
「……私に名を知られるのは、お嫌ですか」
「はい」
テルミーは深く頭を下げた。
「非礼をお詫びします。申し訳ありません」
「テルミーさん、顔を上げて」
「カイン様のことが嫌いだからとか、そういうわけではありません。……お気持ちは、私の身に余るものです」
「…………好きな男がいるのですか」
テルミーは顔を上げ、カインをまっすぐに見た。潤んだ瞳、上気したまろい頬。小さな唇が何か言いたげに開いては結ばれる。青い瞳の中に揺れてはまぶたで隠される、こぼれ落ちるような親愛。
「み、身分が違います」
「それが理由なら、私を喜ばせるだけですよ」
あなたは今、どんな顔を俺に向けているのか、わかっているんだろうか。そんな目で見られたら、下心がなくたって勘違いしてしまう。
「あと、私の実家は鍛冶屋です」
「…………ど、どうか私のことはお忘れになって」
カインはそっと小さな手をとった。よく手入れされた、滑らかな指先だ。振り払われない。
「この想いが迷惑なら、どうか手酷く拒んでください」
怖がらせないよう、ゆっくり、ゆっくり、指先に口付ける。嫌がられない。赤く染まった目尻はきっと、寒さのせいだけではない。
「単に裁縫が上手だから、追いかけているわけではないのです」
「……っ、カイン様、」
「癖を見抜いた上で、取れにくいようにしっかり縫い付けてあげようという気持ち、しわになったら可哀想だからわざわざ畳み直してあげようという、その心。……その、優しさを追いかけているのです」
「…………優しいのはあなたのほうです」
「どうか私を見てください。服を通してではなく、私自身を。その上で拒まれたなら、……もうあなたの前に姿を現さないと誓います」
今は駄目なのだ。何を言っても心には届かない。
彼女の憂いを払える男にならなければ。




