第2話 テルミー、ユアシークレット!
カインの朝は早い。
夜明け前の暗闇に、白い息が朝靄に混じって揺蕩うのを見ながら、一心不乱に鍛錬をする。
王室騎士。その名に相応しくあるために続けてきた習慣。
───毎日のように打ち込み練習をする努力家で、体格をカバーするために、右足で強く踏み込んでいること。
───誰もが知っているだろう、あなたの美点です。
この努力を知っている人がいるなんて、思いもしなかった。振り下ろした腕に伝わる衝撃、強く踏み込む右足の痛み。それをわかってくれていたのは、名前も知らないあの人。
汗を拭いながら息を整える。
東の空が白み始めていた。
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カインは食堂でニコライと向き合い、朝食を食べていた。硬いパンに野菜のスープ。
どうやら部下の1人が、カインが落ち込んでいるとニコライに相談したらしい。人選を間違っている。
「まあ元気出せよ」
「雑」
お調子者なのだ、こいつは。カインの深刻な悩みを共有できる相手とは思えない。
「仕方ねえな。俺がひと肌脱ぎまして、お前の悩みを解決してやる」
「はあ」
「質問に答えろ」
「はあ」
ニコライはナフキンを頭にまき、腕を組んで胸をそらした。
「あなたを悩ませているのは人間ですか?」
「はい」
「女性ですか?」
「はい」
「最近知り合った?」
「はい」
「その子のことを考えると、気持ちが高揚し力が湧いてくる?」
「多分そう部分的にそう」
「その子が他の男と話していると落ち込む?」
「……多分そう部分的にそう」
「妹のように思っている?」
「いいえ」
ニコライはぎゅうっと目をつぶり、悩み抜くそぶりを見せ、
「あなたを悩ませているのは…………恋!」
「いいえ」
「あ?」
ニコライは不服そうに眉根を寄せ、ぺちっとカインの額をはたいた。カインはテーブルの下でニコライのすねを蹴る。ついでにナフキンも奪い取る。
「恋じゃなきゃなんなんだい」
「会ったばかりだし、彼女のことは何も知らん。そういう邪な目で見てると決めつけないでくれ」
「会ったばかりの子を駐屯所でナンパして逃げられたんだろ、がっつり邪じゃねえか」
「……おい、部下からなにをどんなふうに聞いたんだ」
「それは置いといて」
ぐいっとニコライは身を乗り出す。
「俺は嬉しいぜ。堅物のお前にも春が来たんだなあ。女性に興味がなかったお前が気になるっていったら相当な人だぞ。行動あるのみだ」
「行動……」
「おいおい弱気になるな!失恋したって死ぬわけじゃないんだから」
「気持ち悪がられないかな」
「逃げられてる時点でキモがられてるんだから、今更だろ!」
アハハ!と笑うニコライの向こう脛を、もう一度強めに蹴った。
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「お久しぶりです。すっかり寒くなりましたね」
あれから10日。また騎士団の隊服を届けるように言われて、駐屯所に来ている。
この間とは場所が違うから会わないだろうと思って、つい勧められるまま暖炉の前で一休みしていたらカインに声をかけられた。
「お、お久しぶりです、カイン様。暖を取らせていただいてます」
椅子を少しずらして、カインが暖まれるようにする。気まずいのに嬉しい。早く帰りたいような、ずっとここにいたいような。自分が2人いるみたい。
「名前、覚えてくださっていたんですね」
「は、はい」
自分は名乗らなかったくせに相手の名前は覚えてるとか、気持ち悪いですよね。うう、ごめんなさい。
話題を変えよう。
「まだ釦はついてますか?」
「ええ。この通りですよ」
左の袖を見せてくれる。なぜか嬉しそう。釦も心なしか嬉しそう。よかったね。
「もうすぐ年末ですね。早いもので」
「ええ、本当に。今年も晩餐会があるものですから、王妃様と王子様のお召し物を仕上げるのに駆り出されています」
「大変なお仕事だ。無理なさいませんよう」
井戸の底から響くような低い声が、今日は高めにチューニングされている気がする。
子供に話しかけるように優しく、あああすごく気を遣わせてしまっている……!
「よろしければ、あの時のお詫びに送らせていただきます」
「え、あ、そんなお構いなく……」
紳士的な気遣いにいたたまれなくなる。肘を差し出されれば手をかけるしかなく、一緒に駐屯所を出た。
エスコートなんて初めて。ときめいてしまう。
「そういえば、変わったソーイングセットをお持ちでしたよね。なんでしたっけ、なにか意匠の施された」
「人魚姫です。母が好きで。寝物語にいつも聞かされていました」
「どんな話ですか?よければ教えてください」
腕のたくましさを意識すると緊張してくるから、話題があるのはありがたい。
「に、人魚のお姫さまが、人間の王子に恋をするのです。彼に会うため、魚の尾鰭と美しい歌声を捨てたのに、結局叶わなかった悲恋の物語です」
「へえ。初めて聞く物語ですね。私の兄弟は男ばかりなので……恋の物語は全てハッピーエンドなんだと思っていました」
色々なんですねえ、おとぎ話というのも。カインがそんなことを呟くので、もう少し詳しく話したくなった。
「人魚姫は足を得た代償に、針で刺されるような痛みに耐えているのです。王子さまは人魚姫の美しい踊りを気に入ってそばに置くのですけれど、痛みには気づかない。子供ながらにずっと思ってました、こんな鈍感な人のどこが好きなのかしらって」
「あはは、あなたの好みではなかったですか?」
「好みどころか、ちょっといやでした」
そう言うと、カインはさらに楽しそうに喉を鳴らして笑った。このことを母に言ったことはない。好きなふりをして聞いていた。
「人魚姫は、全てを捨てて王子さまのところになんか行くべきではなかったのです。だって王子さま、……そこまでしても、なんにもわかってくれないんだもの」
「最後はどうなるのです?」
「王子さまに愛してもらえず、泡になって消えます。自分の全てを捧げても、相手の全てが手に入るとは限らない、そんな悲しいお話です。……でもそのかわり、神様のはからいで人魚姫は永遠のたましいを得る旅に出ます。友達もできます。それだけが救いです」
カインの顔色を窺うが、楽しそうににこにこしていた。私の話の何がそんなに面白いんだろう。
「女性のことを誤解していたかもしれませんね」
冬の陽に透ける耳たぶの産毛と、話すたびにことりと動く喉仏と、カイン・レグナードというその名と。
神様はとびきり気合を入れてこの人を造ったに違いなかった。
「全てを差し出せば喜ばれる、なんて男は思いがちで。……そんなことで喜ぶとは限らないのにね」
「…………そ、そういうお相手が?」
「人魚姫が王子と幸せになるには、どうしたらいいでしょう」
「……波打ち際で会えばいいのにって思ってました」
「本気が伝わらないのでは?」
「ま、真心を疑って尾を捨てろと迫る人なんて、好きになっちゃだめじゃないですか?」
「あなたのために尾を捨てるから好きになってと迫られたら、どうします?」
「…………嬉しくないですが、でも、うーん、私なら、……」
「はい」
「潜水資格を取ります」
カインはのけぞって、大きく笑った。エスコートされている体が一緒に揺れる。楽しい。
少し息をついて、歩幅を合わせてくれるカインと歩く。もう少しで職場だ。
謝るなら、今しかない。
「……名前を聞いてくださったのに、逃げてごめんなさい。さぞ失礼な女だと思われたでしょう」
「知らない男に急に名前を聞かれたら警戒して当然です」
「ああそんな、決して下心を疑ったわけでは。そんな恐れ多い」
両手を振り頭を振り、もう振れるところならどこだって振る。誤解してほしくない。カイン様は何も悪くないのです。
「素晴らしい技術と、仕事ぶりに感激したものですから。それで敬意を表したく、お名前をお伺いしたいと思った次第で」
「……大袈裟ですよ……」
「どうお呼びしたら良いでしょう?もちろん、ご迷惑でなければ」
ごくりと喉が鳴る。ここで断ったらこの人の顔を潰すことになる。見上げると優しい眼差しで微笑んでくれる。
近くで見ると、彼の瞳は緑がかった青色だった。
「て、」
「テ?」
「て、テル、テル、……テルミー、……と……」
「教えて?」
カインの顔が曇る。ああ、違うんです、ごめんなさい。
今すぐ私の頭の中を全部あなたに見せられたら、その悲しいお顔を少しでも晴らすことができるだろうか。
「……ご迷惑だったみたいですね。失礼いたしました」
「あ、……」
違う。ちがうんです。
そっと腕を下ろされる。ゆっくり一礼して去って行く彼の背中。視界が滲むのを、唇を噛んでこらえる。楽しかった気持ちがしぼんでいく。
どうして私はこうなんだろう。




