第1話 テルミー、ユアネーム!
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お縫い子たちの朝は早い。
「おっはよーん」
「お、おはよっ」
「はよざいまーす」
王宮第三宮、北の一角。
東の空が白み始めるのが遅くなってきた、秋の入り口。
仕事は膨大だ。やっと騎士団の手直しが終わったところで、次は文官の衣服が回されてくる。
たとえ300年残るような衣服を作り上げたとしても、お縫い子の名前が歴史に残ることはない。
服には持ち主の癖が現れる。
例えばある騎士の服。
騎士にしては細身の体格の人だ。几帳面な性格に違いない。袖口や襟元、裾の劣化がほとんどない。とても綺麗に使っている。
だが脇の下の布だけ毛羽立っている。打ち込み稽古をするとこうなる。相当な努力家とみた。
ズボンの右の裾だけ、綺麗に洗われているがうっすらと泥はねの跡。右足で強く踏み込む人だ。
この人はおそらく右利き。そして釦をいじる癖がある。
左の袖の釦だけが、いつも糸が弱くなっている。
日々王宮に勤める人々の衣服が集められ、裁縫、手直し、刺繍、王族の儀礼用衣服まで、細かく分けられた部署ごとに仕事をこなす。
私の仕事は、集められた服の直し。破けたところに布を当て、必要なら刺繍を直す。ほつれたところがあれば繕う。毎日それの繰り返し。
今日も夜まで作業台に向かい、互いに励まし合いながら布に針を通し続ける。そのはずだった。
「仕事中にごめん。お使いお願いできる?」
「ん、なあに?」
紺色に染められた文官の衣服の、背中の小さな虫食い跡を繕っている時だった。顔をあげると、ヘンリエッタが両手を合わせていた。
「騎士団の人たちにこれ持っていって。隊服なんだけど、検針は済んでるから」
「わかった。持ってくね」
「ありがとう〜!お使い行ってたら今日の仕事終わんないからさ。ほんとありがと。ありがと!」
「いいよ!」
籠にどっさり積まれた隊服。一応全てテーブルに出し、しわが目立たないようたたみ直してから持っていくことにする。
一着は軽くても、重なったら相当の重さになる。一番下の自分の服がしわしわになっていたら悲しい。
「行ってきまあす」
「行ってらっしゃー!」
ヘンリエッタは男性が苦手だ。女性から見ても目立つ容姿をしている。
騎士の方々は礼儀正しくていらっしゃるが、それでも目は引いてしまう。
その点、私は安心安全な容姿をしていた。
****************
「お、おあ、お預かりしていた隊服をお持ちしました!」
「はいはいどうも〜。今日はヘンリエッタじゃないの?」
愛想よく対応してくれるがちょっとがっかりした顔を隠せない、そばかすの騎士見習い。10代後半の男の子だ。
「は、はい、今日は私が」
「そっか〜話したかったな〜、残念」
こういうの、ヘンリエッタ嫌がるんだよなあ。
あとそうやって残念とか言う男の子のせいで、勝手に周りの女の子が傷ついて、ヘンリエッタが悪いことになったりしてる。やめてあげてほしい。
「ラムゼイ、失礼だぞ。……お持ちいただきありがとうございます。代わります」
井戸の底で反響するような、お腹に響く低い声だった。
服が積まれた籠を横からひょいと引き受けてくれた騎士。短く刈った黒髪に、青い瞳。
「あ、ありがとう、ございます」
「相当重いですね。大変だったでしょう。少し休まれてください」
「あ、じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
まだ若いのに、位が高い。階級については詳しくないけど、黒地の布に金糸の房飾りがその証。その人が手ずから椅子を持ち出して置いてくれたので、慌てて頭を下げる。
「す、すみません。ありがとうございます」
「いえ」
ちょうど休憩中らしい。建物内の出入りが多く、なんとなく足を引き寄せて小さくなった。邪魔じゃないかしら。
黒髪の騎士は、近くの椅子に座るがすぐに声をかけられては立ち上がり、何か指示をしたあとまた座り、また声をかけられて立ち上がり、また座った。偉くなると忙しいんだなあ。
重いものを持つと手が痺れる。両手を振っていたら、ラムゼイさんが白湯を出してくれた。同じカップが偉い騎士さんにも出される。
やっとひと心地ついた様子で、カップを傾けて考え事をしている。
籠の隊服を騎士たちが持って行く。腰を浮かせて、イニシャル順になってますと声をかけ、また腰を下ろす。
「わざわざ並べ替えたのですか?」
「いえ、ついでですから」
彼はそうですか、と返事しながら右手で袖口をいじっている。あ、と思わず声が出た。
「どうしました?」
「な、なんでもないです」
見つけた。この方だったんだ。
きっといつも打ち込み練習をしている、右足で大きく踏み込む癖のある、几帳面で努力家の方。
「あ、……しまった」
「あらら」
糸がよれて、金色の釦が落ちかけた。そりゃあ、あんな扱いをしていたら取れるのも無理はない。すっごい引っ張ってたもん。
「つ、付けましょうか?」
「大丈夫です。自分で出来ますから」
「で、ですが、私、あの、お縫い子なので」
ふ、と笑う。生真面目な目元に柔らかさが宿る。首元のホックを外しながら、
「確かに。ではお願いします」
「すぐ、すぐに終わりますよっ!」
ポケットからソーイングセットを取り出す。瑠璃色の布地に絹糸で人魚の刺繍が施されている。観音開きに開くと、中に小さなハサミや針、色とりどりの糸が収納されている。
「綺麗ですね」
「ありがとうございます。母の手作りです」
服を受け取ると、まず古い糸を切って抜き取る。布に近い色の糸を取り出し、針の穴に二重に通して折り返す。
「……早いですね」
そうでしょう、そうでしょう。騎士の言葉に吐息だけで微笑んで返事をする。釦付けなら誰にも負けません。
糸を3回まわした後、もう一度布地に潜らせて補強する。バッテンを描くように糸を詰めた後、端を切って始末。
「できました。どうぞ」
「やはりすごいですね。本職の方というのは」
「あ、ありがとうございます」
照れちゃう。お縫い子は裏方だ。クライアントから直接仕事を褒められることは滅多にない。
最高。気持ちいい。今日はよく眠れそう。
「で、ではこれで」
「はい。ここまでご苦労様でした」
騎士がビシッとかっこよく礼をしてくれたので、いつもより背中とお腹に力を入れて礼を返した。
スキップでもしたいくらいウキウキな気分で職場に戻る。途中顔見知りやそうでない人まで、釦が取れかけていたら片っ端から声をかけてつけ直してあげた。
「あ、帰って来た」
「おっかえり〜ん」
「ただいまっ!」
「遅かったじゃん。サボり?」
「ないないこの子に限ってサボりとか」
「釦とか付けてあげてたら遅くなっちゃった」
「えー、誰?」
「わかんない。ご、5人くらい」
「それでこの時間?ヤバ」
「早」
「ねえ5人に釦つけてたって!」
「化け物」
「怖」
帰ったら、口々にみんなから賞賛される。気持ちいい。最高。生きててよかった。
ヘンリエッタが厨房からミルクをもらって待っててくれた。ラムレーズンもついてる。
やったー!
「ありがとぉ、助かったぁ」
私はその日、とても幸せな気持ちで眠りについた。
彼の名前を知りたかったが、お縫い子の仕事を続けていれば、服が回されてくることもあるだろう。
それまで気長に待っていよう。
****************
王室騎士団の隊服は装飾が多い。あくまでも貴人に仕える公人であるからして、身だしなみも職務のうちだ。
よって騎士の多くは、簡易なソーイングセットを持ち歩いていることが多い。いかなる理由があっても、乱れた服装で尊い身分の方々の前に出るわけにはいかないから。
「おいカイン、その癖まだ治ってねえの」
「あー、」
会議に出席した後、ニコライに声をかけられた。
「癖ってなかなか治んねえなあ」
「無意識なんだ。気をつけてるつもりなんだけど」
「でも前はしょっちゅう取れてたじゃん。最近縫い直してるところ見ないかも。寛解した?」
「病気みたいに言うなや。癖は治ってない。縫ってもらったんだ、凄腕のお縫い子さんに」
「裁縫に凄腕とかあるの」
あの人と会うまで、カインもそう思っていた。
「まず糸の強さが違う。屈強だ」
「釦に使う言葉じゃねえ〜」
「俺がいじり倒してもびくともしない。そう言う隊服があと2着ぐらいある」
「屈強な釦が?」
「そうだ」
「へえ。もうその人に専属になってもらえよ」
「そうだな」
「おん?」
「この快適さを知ったらもう戻れん。頼んでみよう」
「ええー、マジか。カインも冗談とか言えるようになったんだ。パパ感激しちゃう」
「いくらくらいで引き受けてくれるかな?」
「やだあっ、本気だあっ」
ニコライがふざけて両腕で自分をかき抱き、くねくねと怖がってみせる。
その後ろから不審そうにニコライを見ながら、若い騎士見習いがカインに報告した。
「レグナード様っ、あのお縫い子さんが来てますっ」
「ありがとう。今行く」
「えっ!?ええ!?」
「じゃあなニコライ。用事ができたから」
「おま、ほどほどにせえよ!!」
小走りで向かいながら、ニコライに手を振る。
果たして彼女は、あの時と同じ場所で足を縮こめながらちょこんと座っていた。
耳にかけた栗色の髪が、頬に向かってくるりんと跳ねている。
何かに似てる。なんだっけ。あのちょこん感。うさぎのしっぽ?たんぽぽの綿毛だっけ。
「ご苦労様です」
「あ、こ、こんにちは」
カップを両手で持って指先を温めていた。綿毛が寒がっている。カインは暖炉に薪を足しながら話しかけた。
「あなたがあのとき縫ってくれた釦、まだ生き残ってますよ。とても助かってます」
左の袖を見せる。ああ、と彼女は返事をしながら覗き込んだ。一瞬だけ表情が引き締まり、仕事の顔になる。
「いと、糸を余計に重ねてるんです。糸始末をする前に、布に潜らせて補強してたりもします」
「……そういう服が、この間のものとは他に、もう2着ほどあるのです」
「ええ、同じように補強して縫いました」
「……この前初めてお会いしましたよね?私の癖を知ってたんですか?」
「ふ、服を見ればわかりますよ、癖くらい」
こともなげに話すが、カインでもそれが普通でないことくらい薄々わかる。
「……あなたの届けてくれた隊服はしわが少ないような気がするんです。わざわざアイロンをかけてくださっているのですか?」
「い、いいえ!まさか。畳み方にコツがあるんです。肩と前身頃のところで上手く畳めば、しわが目立ちにくくなります」
「それを毎回?」
「は、はい。私がお届けするときはそう、ですね」
「イニシャル順にして?」
「戻すときにそうしてます」
カインはしばらく何も言えなかった。ぱちぱちと瞬く彼女の青い瞳が、不思議そうにカインを見返してくる。
「……どんな魔法を使ってるんですか?」
「ふふ、お、面白いですね。魔法なんて、使ってません」
「いいえ。魔法みたいですよ。あなたの手入れした服は他のと違う」
「ふく、服には個性が宿ります。その個性に合わせて手入れをしているだけです」
照れくさそうにしながらも、しっかり答えてくれる彼女が好ましい。くるりと跳ねた髪が、彼女が動くたびにふよふよと顔の周りで動いた。
「教えていただけませんか。服を通して、気づいたことを全て。聞いてみたい」
「そ、そんな大層なことじゃありません。私が気づいたのは、」
「気づいたのは?」
無意識に身を乗り出していた。顔がぐっと近くなり、怖がらせまいと身を引こうとして、動けなくなる。
彼女はにこにこと人懐っこい笑みを浮かべた。
「あ、あなたが毎日のように打ち込み練習をする努力家で、た、体格をカバーするために、右足で強く踏み込んでいるのだろうということ、隊服を綺麗に手入れ、している几帳面で、真面目な方、だということ、そ、それなのに釦をいじる癖はなかなか治らない方ということ、そして、一介のお縫い子の仕事に深く関心を寄せてくれる、お優しい方だということ」
可愛い顔で劇薬を流し込まれた。目の前がチカチカする。
「…………私が気づいたのは、そんなところです」
「……そんなことまで、解るんですか。服だけで?」
「誰でも知っているようなことを、ぺらぺらと、恥ずかしいですね。ごめんなさい。きっとみんながわかっている、あなたの美点です」
耳が赤くなっている。それでいて妙に堂々と言い切った。綿毛だと思ってたらとんでもない。
「……私の名前は、カイン・レグナードです」
「え、あ、素敵なお名前で」
「あなたのお名前をお聞きしても?」
青い目が見開かれてびくりと肩が揺れた。ものすごく動揺している。きょろきょろと忙しない。
「な、な、」
「ナ?」
たしかに騎士が職場でナンパなんておかしいけれど、さっきのあなたの言葉の方がよほど、よっっっぽどですよ。
「な、なの、名乗るほどの者では、ございません!」
「えっ、ちょっと、待っ……!」
引き留める間もなかった。
勢いよく立ち上がると、身を翻して走り出す。足が速い。脱兎の如くとはまさにこのこと。
小さな背中が遠ざかっていくのを、カインは呆然と見送るしかなかった。
どうしてもやめられない癖はありますか?




