210 いくつもの偽り
エリオンは唯一の女の従者に、自分の正体を打ち明けた。なぜカリマを仲間に加えたか包み隠さず伝えた。男たちに自分の正体を明かさぬよう、守ってほしいと。
カリマの誇りを傷つけたかと思ったが、少女は落ち込むことなく納得したらしい。男たちより力で劣る自分が認められた理由がわかり、すっきりしたようだ。
カリマは、エリオンの期待以上の働きを見せた。
人前で「エリオンさまぁ」と猫撫で声で腕を絡ませれば、エリオンも「困った娘だ」と顔を崩し、その柔らかな頬をさすってみせる。
当然、六人の男たちは面白くない。
セオドアは益々眉を吊り上げ、ニコスの顔色は沈み、ジュゼッペは頬を膨らませる。カリマを歓迎したはずのセルゲイまでもが「エリオン様だけずるい!」と不満を露わにした。
ただ一人、フランツ老だけが「師匠も若い男じゃからな」とほくそ笑んでいた。
ホアキンも当初「残念だなあ。カリマちゃん狙ってたのに」と軽口をたたいていたが、ある日、エリオンにそっと尋ねた。いつものおどけた調子ではない。
「ねえエリオン様。カリマちゃんに、無理させてない?」
「……若い娘に過酷な旅をさせている自覚はある。彼女が望むなら、今すぐにでも故郷へ返してやりたいが」
「そうじゃなくてね。カリマちゃん、本当は故郷のマルセルが好きなんじゃないかな。あ、気を悪くしたらごめんなさい」
エリオンは、とっくに気づいていた。カリマはマルセルの前でこそ、見せつけるようにエリオンの恋人を演じるのだ。女として、その健気で歪な抵抗は痛いほど伝わってくる。
「……そうなのか。マルセルはラサ村をまとめる頼もしい若者だ。彼女が彼を想うなら、それは喜ばしいことだ」
エリオンは本心で二人に結ばれてほしいと願っている。カリマに、もっと素直にマルセルへの気持ちを打ち明けろと、けしかけているぐらいだ。
「えっ、そう来る? 普通、自分の女が他の男を想ってたら、嫉妬したり腹が立ったりしない?」
エリオンの顔面が、さっと白くなった。自分が女だと知られたくなくて、カリマに恋人を演じてもらっているのに。
「……私という立場の人間が、嫉妬などという醜い感情を露わにするわけにはいかない」
「変なこと言って、ごめんなさいね。まあ、あたしには難しいことはわかんないけど。……あたしも、カリマちゃんが可愛いから好きなの。それだけ」
ホアキンは軽く肩を叩いて去っていった。その後に残された言葉が、毒のようにエリオンの耳にこびりつく。
(嫉妬? そうよ、前世の私はずっと、アトレウス様に嫉妬していた……現世でも同じ、私が戦っている間にも、あの男ネクロザールは城で美女を侍らせ……いや、私は女を捨てた!)
エリオンは心を定めた。嫉妬深い前世のアタランテは、このゴンドレシアにいてはならない。
教会のアタランテ像を破壊するだけでは足りない。
その元凶を今こそ消滅すべきなのだ。
村長の館で夕餉をすませると、エリオンはセオドアを別室に呼び出した。
「アルゴスの古都に赴く決意をした」
その言葉に、ネールガンドの剣士の目が輝いた。
「では……いよいよ、真のアタランテ様の御姿を探し求めるのですね!」
エリオンは悲しげに眉を寄せ、セオドアの期待を真っ向から打ち砕く「嘘」を口にした。
(彼は。古都で真のアタランテの姿を探索すべきと主張してきた。だからこそ、彼を説得しなければ『偽りの』アタランテを消すことはできない……)
「許してくれ、セオドア。私はお前を、これまで騙していた。アルゴスの古都に、真のアタランテ様はもう、いらっしゃらないのだ。今からお前だけに明かそう」
セオドアは訝し気に眉を寄せる。
「エリオン様は日頃、我らの結束が大切とおっしゃる。私だけが師の秘密を持つことはできません」
「そのように誠実なお前だからこそ、私は信じて打ち明けられる。どうか聞いてくれ」
若者は静かに、尊敬する師匠の悲痛な告白に耳を傾けた。
「私はニコスと出会う前に大陸中を周り、古老たちから伝説を聞き集めた」
「それは伺っております。伝説によると、真の聖妃は偽りの魔女に乗っ取られ、その魔女が魔王ネクロザールを地獄から呼び寄せたと」
「古老たちはこうも告げた。偽りの魔女は真の聖妃を憎むあまり、アルゴスの都にあるすべての聖妃像を破壊し尽くしたという。……いくら探し求めても、真の聖妃はもう見つからないのだ」
セオドアの顔が青ざめた。
「……エリオン様、なぜそれを早く教えてくださらなかったのですか?」
「すまぬ! すべては私の弱さゆえ。アルゴスの古都に希望を見出すお前を思うと、今の今まで打ち明けることができなかった」
セオドアは長く沈黙し、やがて絞り出すように問うた。
「ではなぜ、今さら古都へ? 聖妃様がいらっしゃらぬ都に、何があるのです」
「私たちはこれまで、偽りのアタランテ像を破壊してきた。その像がある限り、第二第三の魔王を呼び寄せるからと」
エリオンは唇をぎゅっと噛む。
「古都の壁画だ。偽りの魔女が全魔力を込めた壁画が残されている。それが魔王の力の源泉であり、第二、第三の魔王を呼び寄せる元凶なのだ。これを破壊せぬ限り、真の平和は訪れない……ずっと恐ろしかった。お前を絶望させるのが、怖かったのだ」
エリオンの緑の瞳が、わずかに金色の光を帯びる。その悲痛な気迫に、セオドアは圧倒された。
「真のアタランテ様はもうおられない……その事実を、なぜ私だけに?」
「お前こそが、聖王と聖妃の血を引く正当な末裔だからだ。卑怯な私を許してくれ。もはや私には皆を率いる資格はない。壁画さえ壊せば、私は……」
「なりませぬ、エリオン様!」
セオドアは勢いよく立ち上がった。
「非才の私には、師の深い苦悩のすべてを理解することはできませぬ。しかし、今や大陸中の人々がエリオン様に希望を託しているのです。魔王を滅ぼすまで、我らの奉仕に終わりはありません!」
彼は部屋を出ようとして、足を止めた。
「真の聖妃様の不在。その秘密、生涯誰にも明かしませぬ。エリオン様が、末裔である私を信じ、託してくださったのですから」
「……セオドア、すまぬ……」
エリオンは顔を覆って頭を下げる。全身を震わせた。
「エリオン様、あなたは我らの師! そのような姿は見せてはなりません。今からアルゴスの古都に行く。それだけを命じてください」
弟子に促され、エリオンはゆっくりと頭を上げた。
「では、もう一度命ずる。アルゴスの古都にて、偽りの魔女を破壊せよ」
セオドアが部屋を去り、仲間にアルゴス行きの準備を命じる気配が階下に消えていく。
エリオンはその場に崩れ落ち、自らの肩を抱いた。
(ああ……私は、誠実なセオドアさえも騙した。彼の誇りと良心を、自分の目的のために利用した……!)
わかっている。自分は高潔な奉仕者ではない。
ただ、アトレウスが自分を屈辱に陥れるために描かせたあの忌まわしい壁画を、この世から消し去りたいだけなのだ。
己の復讐心のために忠実な弟子を欺いたエリオンは、暗い部屋の中で一人、激しく身を震わせ続けた。




