鉄子。ただもんじゃないわよ
鉄子社長は終戦の時に、家族も親戚も家も失った。
もっているのは歌声だけ。16歳だった。
進駐軍のキャンプで自分は歌手だと言い張り、カタカナ英語で歌ってみせた。それを見ていたジャズバンド、ドラフターズのリーダーが気に入り、紅一点の歌手として食い扶持を稼ぎ始めた。
進駐軍から稼いだお金で、錦糸町に小さなキャバレーを始める。建物は焼け落ちた廃屋を安く借りて改装したものだ。
そこにはまだまだ小さい工場の中小企業の社長が集った。赤坂のキャバレーは門前払い、ここは身の丈にあっている、と好評だった。
専務が鉄子社長と出会う10年前の話だ。鉄子27歳。
だんだん大きくなる町工場。お客様の中には上場する会社も現れた。
オリンピックを東京で開催する!と決まった頃、客で集まる社長の1人が
「これからは警察官みたいな事を民間がやるんだってさ。」
「警備っていうらしいよ。」
と口にした。
そこから鉄子の才覚が、まず目覚めるのである。
1966年の東京。鉄子37歳、専務28歳。
テッペキ警備保障では鉄子社長と専務が、警備をしながら聞きかじったクライアントの機密情報をメモにして並べている。
「オニギリス製作所の株は一旦下がると思いますね。原材料のひっ迫で。」
「でも、部品を納品している大手はオニギリスの部品でカラーテレビを作っているし。」
鉄子社長は専務の読みを聞き続ける。
「カラーテレビは高額でも売れるから、オニギリスの株はカラーテレビ売上好調の波に救われるとみます。」
確かに、と鉄子はうなづいたが
「テレビが普及した先に来るのは何だと思う?」
専務は困った。利害関係からの先読みは身に付いたが、世の中の流行りについては分からない。
「ドラフターズはテレビで人気ですね。」
専務が苦し紛れに答えると
「そっちじゃないわよ。」
と鉄子社長はピシッと言う。
「テレビはデパートになるんじゃない?」




