第4話 凪紗と田中隼人さん(後編)
田中さんは、左の肩から肘の部分にかけて……異常な程、曲がっていた。
右の肩から左までは、正常。左だけ異常に……。
「何か左腕だけを酷使されるお仕事をされてますか?」
私は田中さんにお尋ねした。
今後の施術に関わるから。
理由によっては、私の手に負えない場合もある。
「……分かりますか? 実は、獣医師をしているんです」
「えっ? そうなんですか?」
これが、始まりだった。
牛さんのお尻から左手を突っ込み、腸を調べるのだと言う。
そのため、田中さんは、自分の左肩の近くまで……牛さんのお尻に腕を突っ込むため、sまるで職業病のように、ご自身の肩が曲がってしまっていたのだ。
「色々、マッサージに行ってみましたけど……そこまで聞かれたのは初めてですよ」
田中さんはそれ以来、うちを御贔屓にして下さる。
「いえ……知っておかないと、施術に影響するので」
私は当たり前の事を答えた。
――
――
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「では、お着換えお願いします」
「はい、分かりました」
私はそっと、襖を閉める。
田中さんは月に1回、必ずメンテナンスとして来て下さる。
150分のコースで入られるので、他にお客様を入れることが出来ない。
……でも、売り上げ的には、十分。
時間も午後からの施術になるので、午前中は色々と準備をこなしている。
「お願いします」
襖の向こうから田中さんの声が聞こえる。
「――失礼します」
150分。温熱を使ったリンパ流しがスタートする――
――
――
――
「……田中さん。……お疲れさまでした」
「あっ……はい……寝てました」
眠気眼な様子で、ははっと田中さんは笑った。
「いやぁ……今回もありがとうございました」
「いえいえ、だいぶ左腕も良くなってきたんじゃないですか?」
「凪さんの所でお世話になってるお陰ですよ」
「……何言ってるんですか。しっかり毎月、来て頂けているからですよ」
田中さんは「距離感」が上手い。
変ないやらしさを、私は感じる事が無い。
「じゃ、また来月もお願いします!」
「暑いので……お体、大切にされて下さい」
「はい、それじゃ失礼します」
(ほんと、爽やかだよなぁー……)
(CMとか出てそうだもんなぁー)
ハリアーが右折して、見えなくなるまで私はお見送りをする――
「ふぅー……」
お付き合いが長いお客様といっても……正直、150分は長い。
(ほんと、良い人だ)
「さて……片付けだー」
私は蒸し暑い、サロンの中へと戻って行った。
「リラクゼーションサロン凪」は、女性専用サロンにしている。
4年前、初めて自分でサロンをオープンさせた時
なりふり構わず、誰でも入れた。
これまで沢山のお店で働いてきたけれど、独立して自分で責任を持ってやるのは初めて。
良くも悪くも……沢山の事を、経験できた。
ドタキャン……
暴言……
数々の体験を経て、今は「女性専用」としてひっそりと運営している。
田中さんは、一番初期からのお客様。
ご自分の体のメンテナンスと割り切って、通って頂いてるのが分かるので……お断りをする事無く、ずっと続いている。
本当に良いお客様の1人。
「さてっ」
田中さんが来る日は、どうしても終わりが遅くなる。
時計を見ると、もう夕方6時になろうとしていた。
(……今日は久し振りに)
私はジャージに着替えて、家を出る。
スーパー「スズミヤ」とは逆の方向に歩くこと5分。
信号を渡った先に、私の目的地がある。
その名も、居酒屋「さと」
私はここのママさんが大好きなのだ。
「営業中」の立て札を確認して、ガラリとドアを開ける。
「こんばんはー……」
「あっ! 凪ちゃん! いらっしゃい」
奥からママの、大きくて温かい声が響く。
今日の仕事後の一杯は、「さと」で――




