5 お母さんとお祖母さん
「晩ご飯だって」
小学生に起こされた。
こんなはずじゃなかったのに。
起きてもあゆちゃんは小さいままだ。
……はぁ。
こんなの考えたところでどうしようもなくないか?
もう周りがどうにかなるまで流されてしまおう。
ムクっと体を起こしたまま動かない僕に、「待たせないで」と言った無表情のあゆちゃんは、母が乗り移ったようだ。怖っ。
「……あ、ああ、行くよ」
ダイニングテーブルには三人分の食事が用意されていた。
魚の煮付けとご飯と味噌汁。
泊めてもらうことになったのに、手伝いもせずに寝ていたなんて恥ずかしい。
あゆちゃん――いや、小さくなったお母さん――無理無理!
その小学生のあゆちゃんは手伝ったのかな?
律子さんは魚を焼くか煮るか迷ったとか、味噌汁の具が少なかったとか、色んな話をしているのに、あゆちゃんは一言もしゃべらずにご飯を食べている。
え? 普段からこんな感じなの?
二人きりでも律子さんだけが一人でしゃべっているの?
僕はご飯の対価を支払うように全力で相槌を打った。
自分から話題を振ることはなかったけれど、精一杯、「そうなんですね」を繰り返した。
普段の僕のレベルを遥かに超えたコミュ力を発揮したと思う。
食べ終わった時にはクタクタになっていたから。
食べ終えたあゆちゃんが食器をキッチンへ運んだので、僕も同じように持っていく。
あゆちゃんは麦茶だけ持ってソファーに行くとテレビをつけた。
……えぇぇ。
それはないんじゃないかなあ。
美味しかったまで言わなくても、せめて「ごちそうさま」は言うべきじゃないかな。
――なんて。
僕は人のことを言えた義理じゃない。
「いただきます」も「ごちそうさま」も給食でしか言ったことない。
母と二人で食事していた時は、いつもテレビをつけていて、食卓にはテレビの音声だけが流れていた。
たまに母から、「学校は変わりないか」とか、「連絡事項はないのか」とか聞かれていたけれど。
「ない」とか「うん」とかしか答えなかった。
……ひどい息子だったな。
毎日ご飯を作ってくれることも、掃除や洗濯をしてくれることも感謝していなかった。
他人には素直に有難いと思えるのに――。
「あ、洗い物手伝います」
「あ、ほんまに? 助かるわぁ」
僕がこんなに外面がいい人間だったとは――。今日初めて知った。
◇◇◇ ◇◇◇
この家ではお風呂上がりはカルピスと決まっているのか、僕がお風呂から上がると、あゆちゃんが僕の分まで作ってくれた。
そして縁側というものに初めて座った。
これまで一階に住んだことがないから分からないけど、縁側って面白い。
リビングに続く板間に座って部屋の戸を閉めると、庭に面している板間は外になる。
そこにサンダルがあるから、ここから直接リビングに入ることもあるんだろう。
あゆちゃんはカルピスを飲みながら黙って空を見上げている。
母は空を見上げたことなんてあったかな……?
まあ、大人になってから見上げることがなくなったのかもしれない。
それにしても田舎って結構星が見えるんだな……。
「あゆちゃんは星が好きなの?」
母からそんな話は聞いたことがないけれど。
「別に」
……やっぱり。
「……うさんは、好きなんだって」
「え?」
よく聞こえななかったけど、「お父さん」って言った?
「地上から見る夜の空と違って、宇宙は真っ暗なんだって」
「ええと、光が見えないからだっけ?」
「……」
僕が適当に聞き齧ったことを返したから、あゆちゃんには興味がないと取られたらしく、会話が途切れてしまった。
何か星とか宇宙に関する面白い話はなかったっけ?
僕が頭をフル回転させていると、
「全部の色を混ぜると黒になるんだよ」と、あゆちゃんが話し始めた。
今度は黒か。黒に関する話題……。
「お兄さん、知らないの?」
「いやあ、びっくりしたんだよ。小さいのによく知ってるなぁって」
あれ? そういえば――。昔、母がそんな話をしていたような――。
「僕も小さい時に母から聞いたことがあるよ。母はね、『夜空の空は黒じゃない』ってよく言ってたよ」
そうだ。
そんな話をよく聞かされたんだった。どうして忘れていたんだろう。
「あゆちゃんと話していたら思い出したよ」
「お兄さんのお母さんも夜空が好きな人なの?」
「うん。そうだと思う」
「よく話すの?」
「いや、滅多に話さないんだけど」
「夜空の話しかしたことないの?」
「え? ええと、どうだったかなあ」
――ヒヤシンスがもうすぐ咲きそうよ。ちゃんと観察しないと駄目でしょう?
――スニーカーはよく慣らした方がいいから、運動会の一月前に買いに行こうね。
――今度の休みは動物園に行こうか。
あれ? なんでこんなに色々と思い出すんだろう?
母とはほとんど話をしていないって思い込んでいたのはどうして?
毎日ちゃんと話していたじゃないか。
「お兄さん?」
「……あ! ええと、そんなことないよ。母と色々話したことを思い出したよ。どうして話していないなんて思っていたんだろうなぁ? そういえば、『地球の外に出たら本当の黒が見えるかも』って言っていたなぁ。母は宇宙に行きたかったのかも」
「ふうん。でも確かに宇宙には行ってみたい。宇宙の黒を見てみたい」
「そうだね。きっとものすごく濃い黒色なんだろうね。吸い込まれそうな漆黒っていうか。ブラックホールは光を吸い込むんだよね。もしかしたら、もともと黒には色を吸い込む力があるんじゃないかなぁ。あ、でも、ブラックホールは光を吸い込んで見えないんだよな。見えないっていうのは何色になるんだろうな。黒色なのかなぁ? 透明とは違うよね」
ほとんど独り言のようにブツブツつぶやく僕の話を、あゆちゃんは黙って聞いてくれた。
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