26 回数券
翌日。
目覚めた途端に昨夜の出来事が一気に蘇った。
暗闇の中、ザーザーと降る雨音とドドンと響く雷鳴。濡れた足元のジメジメした不快感。
地面に横たわる祖父の姿は現実離れしていて――。
両手で思いっきり頬を叩いた。
パンという音がモヤモヤした不安を取り除いてくれた。
しっかりしろ。
祖父は救急車で運ばれて入院したけれど、深夜に家に戻って来た律子さんから、大丈夫だと聞いたじゃないか。
雷に直撃されていたら危なかったらしいけど、祖父はほんの一瞬感電しただけで、救急車で運ばれている時に意識が戻ったらしい。
念の為一晩入院するだけだとも。
あゆちゃんも起きたかな?
心配しているよね。
リビングに行くと既にあゆちゃんがダイニングテーブルの椅子に座っていた。
その顔つきから、律子さんに全部聞いて一安心したらしいことが分かる。
今まで言えなかったことを前部吐き出したし、離婚についてもお父さんが、あゆちゃんのことを子ども扱いせずに真剣に話してくれたしね。
なんだか吹っ切れたような、スッキリした顔をしている。
……ん?
どっちかっていうと、ちょっと嬉しそうにも見えるんだけど?
「あ、恵人君。昨日はありがとぉな。あゆみを連れて帰ってくれて。健一さんは、午前中の検査で問題なかったら今日の午後にも退院できるらしいわ。さっき奥さんがわざわざ知らせてくれてなぁ。それでな、退院する前にあゆみに会いたいんじゃって」
あぁ、そういうことか。
「あゆちゃん。じゃあ、お昼過ぎに一緒に病院に行こうよ。お互い顔を見たら安心できると思うし。ね?」
「うん」
うわぁ。素直に行きたいって返事するようになったんだ。
「ええと――律子さんは――」
「私はええわ。ちょっと用もあるし。悪いけど、あゆみを頼んでもええ?」
「はい」
僕の祖父でもあるから、僕自身、回復したことをこの目で確かめたい。
◇◇◇ ◇◇◇
祖父が入院した倉敷中央病院は、家からゆっくり歩いても十五分程度だ。
病室に入れるのは一時を過ぎてからだと聞いたので、一時前に家を出た。
いざ病院に着くと、あゆちゃんの表情が強張ってしまった。
……そうだよね。
律子さんから、「病室に奥さんがいる」って聞かされたもんね。
まだお父さんの新しい家族と会うには心の準備ができていないのかな。
「ここで待ってる」
あゆちゃんはそう言って、一階の広い待ち合いの隅の方に座った。
うーん。本人がそう言うなら仕方がないか。
「じゃ、ここで待ってて。お父さんの様子を見てきてあげるから」
「うん」
そう言ったものの、いざ病室の前まで来ると僕も緊張してきた。
僕自身の関係性を聞かれたら何て答えればいい?
嘘はつきたくないけれど、答えようがない。
「どなたのお部屋をお探しですか?」
看護師さんに声をかけられてしまった。
「あ、ええと。添田さんです。ここで合っているみたいです」
慌ててノックしてドアを開けた。
病室は四人部屋で、それぞれのベッドがカーテンで仕切られている。
祖父はカーテンを開けて退院の支度をしていた。
すぐに僕に気がつき、「やあ、昨日は迷惑をかけたね」と笑って挨拶をしてくれた。
……しまった。
お見舞いに来て、第一声は何ていうのが正解?
ほんと、いつもなら事前にチャッピーに聞いておくのに。
すっかりスマホデトックスされちゃってるよ。
せめてNGワードくらい律子さんにでも聞いておくんだった。
「退院おめでとうございます」とかは駄目なのかな?
「あ、ええと。よかったです。問題なくて」
恥ずかしい。
高校生にもなって、こんなぐだぐだな挨拶。
「心配かけたね。でも、よかったよ。あゆみとちゃんと向き合えて。何も知らずにいたら、この先何年もあの子が辛い思いをしていただろうから」
「ええと、三峰さんに名前を聞いたのに――そうそう、恵人君だっけ?」
「あ、はい」
この人が奥さんか。
なんか、何というか、普通の人だな。
「主人がお世話になりました」
「え? いや、僕は――」
「救急車を呼んでくれたんでしょう? 本当にありがとう」
「あ、はい。それだけですけど」
ほとんど部外者の僕に、夫婦してニコニコと優しく接してもらうと、なんか申し訳ないというか、なんか――なんかなんだよな。
「あ、あの。あゆちゃんも一緒に来たんですけど、気恥ずかしいのか、今日は会わなくてもいいみたいなこと言ってて――」
「え? そうなの? 私のせいかな……。せっかく来てくれたのに悪いことしちゃったなぁ。あ! じゃあこれを渡してくれる?」
奥さんがバッグの中からゴソゴソと取り出して僕にくれたのは、JRの回数券と、お父さんの携帯の番号が書いてある手書きの自宅周辺地図だった。
「あゆみちゃんに、『いつでも来てね』と伝えてくれる?」
「はい。必ず伝えます」
奥さんの優しい笑顔を見ると、あゆちゃんもいつかはこの人と普通に話せる日が来るように思えた。
きっと大丈夫だと。
◇◇◇ ◇◇◇
一階の待ち合いに戻ると、あゆちゃんはまだ緊張が解けていなかった。
あゆちゃんも、いつもの僕のように、ああでもないこうでもないと考えているんだろうな。
「あゆちゃん」
そう呼びかけて隣に座ると、「どうだった?」と聞かれた。
いつもならそんな風に積極的に聞いてこないのに。
あゆちゃん――やっぱり少し変わったな。
「ものすごく元気そうだったよ。あ、はい、これ。お父さんの奥さんから預かったんだ。倉敷駅から尾道駅までの電車の回数券。いつでも好きな時に遊びに来てって。あ、それからこれも。お父さんが電話を持っていたの覚えているよね? あの電話の番号だって。いつでも直接お父さんが電話に出てくれるからね」
「ありがとう」
あゆちゃんは電話番号のメモと回数券をじっと眺めてから、大事そうにリュックにしまった。
ふふ。この様子だと、二つともあゆちゃんの宝物になりそうだな。
……ふぅ。
昨日なかなか寝付けなかったせいか、座ると眠気が……。
……あれ?
そう言えば……宝物の回数券て…………。
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