25 本音で話そう
律子さんは帰り道のことを考えて小型のライトを別に持って来たらしく、お父さんに手渡している。
「タオルも一応持ってきたけど、この雨じゃったらすぐに濡れるかもなぁ」
律子さんは、すぐにでも家に戻ることを考えているんだ。
そりゃそうか。
雨の中、突っ立っててどうするって話だもんな。
……ただ。
お父さんと僕はあゆちゃんが何をしにここまで来たかを知っている。
あの鬼気迫るあゆちゃんを見た僕とお父さんは、さっき中断した会話を再開するべきだと感じている。
あゆちゃんの両親が揃っている今、あゆちゃんが――それにおそらく律子さんも――ずっと胸の奥で沸々とたぎっていた思いを吐き出して、ちゃんと話し合うべきなんじゃないかと。
だから、お父さんとあゆちゃんは、この場を立ち去れずにいるんじゃないかな。
「健一さん……?」
……あ。
お父さんは決心がついたみたいだ。
「家に帰る前に、ちょっとだけ話しておきたいんだ」
「え? 何を? 家に帰って着替えてから――」
「あそこの木のロープに結んである願掛け組紐を、あゆみが片っ端から解いて捨ててたんだ」
「は? あゆみ――何をしとん? 何でそんなことしたん? 何でそこまで願掛け組紐が気になるん?」
ここであゆちゃんとお母さんを喧嘩させる訳にはいかない。
「あの。あゆちゃんが小さい頃、この阿智神社に家族で来たことがあるんですよね?」
「は? あぁ、そうじゃな。来たことあるなぁ」
「でも、その時、願掛け組紐を結ばなかったんですよね?」
「そうじゃったかな? あんまり覚えとらんけど」
律子さんは本当に記憶があやふやな様子だ。
あゆちゃんが我慢できずに割り込んできた。
「せんかったよ」
「あ、そうじゃった?」
「あゆちゃんは、その時、ちゃんと願掛けしておいたら、ご両親が離婚しなかったんじゃないかって、そう考えていたんじゃないの?」
「え?」
「……!」
律子さんとお父さんがあまりに驚くので、「ただの勘なんですけど」と言い出しづらくなってしまった。
「あゆみにはちゃんと謝らないといけないと思ってたんだ。大切な子ども時代を台無しにしてしまって――。小学生なんて、何の心配もせずに楽しい毎日を送るべきなのにな。そりゃあ悩み事もあるかもしれないけれど、せいぜい学校のこととか友達のことだけでいいはずなのに。親のことであれこれ思い悩ませるなんて、本当に酷い父親だよ」
律子さんが心配そうな顔をしている。
お父さんが何を言うつもりなのか予想がついているみたいだ。
あゆちゃんは久しぶりに会ったお父さんが深刻な話をし始めたので、ちょっと戸惑っているようだ。
「あゆみはもう十歳になったんだよな。大きくなったなぁ……。四年生ならちゃんと理解できると思うから、本当のことを言おうと思うんだ。お父さんとお母さんが離婚したのは――」
あゆちゃんがビクンと体を硬直させたせいで、お父さんが言い淀んでしまった。
「健一さん――」
「いいんだ。あゆみ。離婚して、お母さんと二人だけにして悪かった。寂しい思いをさせてごめん。律子は優しいから何も言わなかったんだろうけど、お母さんを責めるのは間違っている。お母さんはちっとも悪くないんだ。もちろん、あゆみも、これっぽちも悪くないよ? 全部お父さんが悪いんだ。お父さんはね、結婚している時も、離婚してからも、全然いい父親じゃなかったんだ。結婚している時はお母さんのことを放ったらかしにして家庭を顧みなかった。あゆみは楽しいことだけを覚えていてくれたみたいだけどね。それはお母さんのお陰だと思う。あゆみの前では喧嘩しないように気をつけていたけれど、あゆみが小さい頃はしょっちゅう喧嘩をしていたんだ。お父さんのせいでね」
あゆちゃんが信じられないと目を見開いている。
「離婚してからも、本当はあゆみに会いに来るべきだったのに、お父さんは自分が情けなくて会いに来れなかったんだよ。お父さんのせいで離婚しちゃって、あゆみに寂しい思いをさせていると思うと、なかなか――ね。でもまさかお母さんのことを誤解して、あゆみが怒りを抱えたまま暮らしているとは思わなかったんだ。お父さんがもう少しお前のことを気にかけていたら、こんな辛い時間を過ごすことはなかったのにな。本当にごめん」
「うっ。うぅぅ」
とうとうあゆちゃんが泣き出してしまった。
お父さんが、「あゆみ、本当にごめんな」と言いながら、あゆちゃんの頭をタオルの上からポンポンと叩いている。
「お前が外した願掛け組紐は神社の人にちゃんと謝って、丁寧にお焚き上げをしてもらおう。明日、お父さんと一緒に神社に謝りに行こうな」
あゆちゃんは泣きながら、「うん」と返事をした。
「落ち着いたら、天気のいい日にお母さんとあゆみとお父さんの三人で、またここに来よう。その時は、三人でお願い事をして組紐を結ぼうな?」
「うん」
「お母さんと仲良くしてくれるかな?」
「うん」
「健一さん――」
「律子。本当に悪かった。お前には迷惑をかけて、苦労をかけて、本当にすまないと思っている。あゆみの父親像を壊さないようにしてくれていたんだろ? そんな必要ないのに――。あゆみのためだもんな。お前はほんと、優しいな」
「もう、そんくらいでよかろぉ。真っ暗じゃが。はよぉ家に帰って着替えたほうがええわ。健一さんも電車の時間があるじゃろ?」
「そうだな。あゆみ。これからは、お父さん、ちゃんとあゆみと会う時間を作るから」
「うん!」
ゴロゴロゴロと遠くで雷が鳴った。
「まだまだ降りそうじゃな。雷も鳴っとるからはよ帰ろう」
「うん」
あゆちゃんも律子さんに対して素直になっている。
よかった。
◇◇◇ ◇◇◇
何だか三人がいい雰囲気なので、僕はなるべく気配を消していたんだけど、本当に忘れられたみたいだ。
ライトをつけた律子さんとお父さんの間をあゆちゃんが歩いていて、三人の少し後をついていく僕の足元が暗いんですけど……。
それでも何とか三人についていっていると、神社を出るところで三人がパタっと立ち止まった。
「あ、この桜の木――。暗くてよく見えないけれど、ここにある桜の木じゃなかったっけ? あゆみが小学校に入学したら、ここで記念写真を撮ろうって話してなかったっけ?」
「あ、そうそう! ここの桜の木じゃわ。覚えとったん?」
「そりゃあね」
大人二人が感慨深げに見上げている大木は、僕にはただの大きな木にしか見えない。
二人がライトで照らしているけれど、雨が邪魔でよく見えない。
枝が伸びていて葉っぱが茂っていることがかろうじて分かるくらいだ。
二人は桜の木だと知っているから、記憶の中で桜が咲いている風景を思い描けるんだろうな。
「……撮った」
「ん?」
「ここで写真撮った!」
あゆちゃんがお父さんに話しかけている。
そういえば、あゆちゃんと律子さんが桜の木の下で写っている写真があったな。
あれ……? そういえば、あの写真。
今思うと、なんだか懐かしいような……。
僕がぼんやりしていると、興奮したあゆちゃんが、桜の木の下に行って、「こう。こうだよ」とわざわざポーズをとった。
「あゆみ! 雷が鳴っている時は木の近くにいちゃ駄目だぞ」
そう言ってお父さんがあゆちゃんを木から離した時だった。
ドドンという雷鳴がしたかと思ったら、お父さんが倒れていた。
「お父さん!」
「健一さん!」
嘘――? え? 雷が木に落ちたの?
そういえば、木から離れていても地面を伝って感電するっていう話を聞いたことがある。
まさか。
「律子さん! 救急車! お父さんが携帯を持ってるから、あ、えっと」
携帯を内ポケットに入れるのを見ていたので、仰向けに倒れているお父さんのポケットから携帯を取り出した。
119にかけたら、「事件ですか? 事故ですか?」と聞かれた。
「あの! 雷が落ちて、それで感電したのかもしれないです。倒れてしまって――」
電話の向こうで、意識があるのかとか色々聞かれて、僕は律子さんと一緒に一生懸命答えたらしいけれど、後から思い返してもこの時のことはよく思い出せない。
ただ、救急車が来るまでの時間が異常に長く感じられたことだけ、はっきりと覚えている。
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