24 雨の中
お父さんが走り出したので、僕も慌てて追いかけた。
ずぶ濡れのあゆちゃんがポカンとこっちを見ている。
お父さんはあゆちゃんに駆け寄ると、「ほら、これを持って」と自分がさしていた傘を渡し、持ってきたタオルであゆちゃんの顔や頭を拭き始めた。
僕は自分の傘をお父さんが濡れないようにさすぐらいしかできない。
「あ! 君! これで律子に知らせてくれないか。心配しているだろうから」
「あ、はい!」
子機もどきの携帯を渡されていざかけようとしたけれど、番号を知らない。
「あの」
「ん? あ、知らなかったのか。0864の――」
言われた通りにボタンを押してかけると、ワンコールで律子さんが出た。
「あ、あの、恵人です。あ、はい。いました。はい。ええと、ちょっと待ってください」
保留を押すほどでもないと思い、お父さんに尋ねた。
「あの、律子さんもこっちに来るって言ってますけど」
するとお父さんは僕が持つ受話器に向かって大きな声で話し始めた。
「すぐに連れて帰るから大丈夫! 君は家で待ってて!」
僕が携帯を耳に当てると、律子さんは、「もう出るから」とだけ言って電話を切った。
「あ。あの、電話、切られちゃいました。もう家を出てこっちに向かったみたいです」
「はぁ。相変わらずだな。ほんと、人って変わらないな」
お父さんはやれやれと言いながらも手を動かしている。
一枚目のタオルをそのままあゆちゃんの頭に乗せ、乾いた二枚目のタオルで、あ彼女の顔を優しくトントンと当てるように拭いている。
律子さんとは色々あったようだけど、あゆちゃんのことは今でも変わらず大事に思ってるんだ。
そんな気持ちが見ているこっちにも伝わってくる。
あゆちゃんはまだ放心状態なのか、一言もしゃべらずにお父さんにされるがままになっている。
大好きだったお父さんに念願叶ってやっと会えたというのに、感極まると何も言えないのかな?
「あゆみ。ひとまず――え?」
お父さんが足元を見て驚いたので、僕も自然とそこに目がいった。
……は?
地面にはボロボロになった組紐がかなりの数転がっていた。
まさか――これって、あゆちゃんがやったの?
「あゆちゃん――どうして――」
あぁそうか。
あの子の願い事が叶わないように邪魔をしたかったんだ。
あの時、お父さんの新しい家族が願いを込めて編んだ組紐を、ここから取り外したかったんだ。
どれがあの子の組紐か分からないから、いっそ全部外してしまおうって――。
濡れて締まった組紐を、子どもの小さな指先で解くのは大変だっただろうに。
きっと引っ掻くようにして結び目を緩ませながら足掻いていたんだろうな……。雨に濡れていることにも気がつかないないほど。
「あゆみがやったのか?」
お父さんの方が泣きそうな顔で、あゆちゃんに聞いている。
「…………。お父さんが離婚すればいいのにって――そう思って。お焚き上げの前にあの紐を外せば――あの子どもの願いが叶わずに離婚しちゃえば――そうしたら――」
「ごめん! あゆみ!」
お父さんが皆まで言わせなかった。
「全部お父さんが悪いんだ。離婚したのもお父さんのせいなんだ。お母さんだけじゃなく、あゆみまで傷つけてしまって、本当にすまない。ごめんな。恨むならお母さんじゃなく、お父さんを恨んでくれ。それだけのことをしてしまったから――」
「うわーん」
あゆちゃんが大声をあげて泣き出した。
十歳の子どもらしくボロボロ泣いている。
せっかく拭いてもらった顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになって。
しばらくすると、ヒックヒックとしゃくりあげながらも、なんとか泣き止もうと、あゆちゃんは自分でタオルでゴシゴシ目を擦っていた。
お父さんはあゆちゃんが落ち着くまで肩をポンポンと叩くだけで言葉をかけなかった。
ひとしきり泣いてスッキリしたのか、あゆちゃんは泣き止んだ。
「あゆみ、ほら。お母さんが持たせてくれたんだ。あゆみの傘」
お父さんはそう言って水玉模様の傘を開いてあゆちゃんに渡した。
「あっちの建物の屋根を借りようか」
お父さんが拝殿の大きな軒下の方を指差した。
◇◇◇ ◇◇◇
雨はさっきまでの土砂降りからは幾分ましになりはしたものの、相変わらずザーザー降りだ。
屋根があるので傘を畳んだけれど、地面に激しく打ち付けるように降る雨と、今のこの状況との二重苦で気分は最悪だ。
日も沈みかけているのか、来た時よりも暗くて、じきに暗闇に包まれそうだ。
それでも、雨音がうるさくて話をしようという気になれないのは幸いかもしれない。
お父さんもあゆちゃんも、何をするでもなく、黙ったまま雨の降る様子をぼんやり見ている。
こういう時、第三者の僕はどういう立ち回りをするべきなんだろう?
二人だけにしてあげるべき?
それとも、場を和ませるために他愛のない話題を振るべき?
二人と視線がぶつかるのが怖くて、俯き加減でモヤモヤしていたら、遠くの方に灯りが見えた。
その灯がどんどん近づいて来る。
カッパを着て傘をさした人がライトをあちこち照らしている様子から、あゆみちゃんを迎えに来た律子さんだとピンときた。
「――みぃ!」
やっぱり!
「あゆみぃ!」
「おーい! こっちだ!」
お父さんが大きく手を振って合図しているけれど、暗闇と雨粒のせいで僕たちの姿は見えないかも。
「おーい! こっちだー! 拝殿にいるんだー!」
お父さんの大声に律子さんが反応して、こっちを向いた。
ばしゃばしゃと泥水を跳ね返しながら、ぬかるんだ地面を走ってくる。
拝殿までやって来た律子さんは、ものすごく息が苦しそうだ。
きっとここまで体力が持つ限り走ってきたに違いない。
「あゆみ――」
「律子。あゆみならこの通り無事だから。とりあえず君が落ち着いて」
「え? あぁ、うん」
お父さんは鬼気迫る律子さんの顔を見て、よくないことを言うと思ったのかな?
止められた律子さんが黙ったままじっとあゆちゃんを見ている。
律子さんが持ってきたライトを下に向けているせいで、四人とも、互いの表情はほとんど見えない。
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