23 あゆちゃんの行きそうなところ
「健一さん? なんで……?」
「あゆみは? その様子だと、まだ帰ってないんだね?」
「……あ」
「電話をもらって、タクシーと新幹線を使って来たんだ。それでも一時間近くかかったけど。あっちの家の方は大丈夫だから。もし向こうの家にあゆみが来たら、妻から私に電話があるから」
あゆちゃんのお父さんは家電の子機のような電話を取り出して、「ここにかかってくるから」と、律子さんを安心させている。
昔の携帯なんだろうな。
「あ、君――」
お父さんが急に僕の方を向いたので、なんて挨拶したらいいのか分からなくて軽く会釈だけした。
「とにかく部屋に入ろう」
◇◇◇ ◇◇◇
ソファに律子さんとお父さんが向かい合って座ったので、僕はダイニングテーブルの椅子に座った。
僕にとっては祖母と祖父なんだけど、どうしてもあゆちゃんの両親にしか思えない。
「それで、喧嘩して出て行ったって言っていたけど。どんな話か聞かせてもらえる?」
……そんなの傷心の律子さんには辛過ぎる。
僕が、ここは僕が話さないと。
「あの。今日のお昼頃、僕とあゆちゃんで、尾道までお父さんに会いに行ったんです」
「……え?」
「すみません。律子さんにも内緒で、あゆちゃんが行きたいところに連れて行ってあげたくて――。でもいざお父さんの家に着くと、外からリビングの様子が見えて――。小さな子どもが阿智神社の願掛け組紐みたいなのをお父さんの腕に巻いているのが見えて――。あゆちゃんは家族で阿智神社に行って願掛け組紐を結びたかったみたいなんです。その夢を叶えることができなかったのに、その――。お父さんの新しい家族は神社で願掛けをして結んで、家に帰ってもまだ結んでいるんだって――それでショックを受けたようなんです」
「あ――」
お父さんが、「あの時か」と思い出したようだった。
「それで僕が律子さんにそのことを話して謝っていたら、あゆちゃんが怒り出して。『どうしてお父さんに会いに行ったらいけないんだ』って。その――お二人が離婚しなかったらお父さんと一緒に暮らせたのにって」
お父さんを絶句させてしまった。
はっきり言いすぎたかな。
「本当に僕が軽率でした。申し訳ありません」
「あゆみはお父さん子じゃったからなぁ」
律子さんがポツリとつぶやいた時、シャーッと雨が降り出す音が聞こえた。
「あれ? 早いな。降り出すんはもっと遅いと思ぉたのに。あゆみは――」
あゆちゃんは傘を持っていない。
今頃濡れているかもしれない。
三人とも同じことを考えて心配になった。
「あゆみが行きそうなところは? 手分けして――あ」
お父さんが何かを思いついたらしい。
「――願掛け組紐なら、もしかして」
そうだ!
あゆちゃんはずっと願掛け組紐を結びたいと思っていて、今日も子どもがそれを持っているのを見て――。
「もしかして、あゆちゃんは阿智神社に行ったんでしょうか?」
僕がそういうと、お父さんも、「そうかもしれない。私が行くよ」と立ち上がった。
「僕も行きます!」
ほとんど反射的にそう叫んでいた。
「ほんなら――」
律子さんも行こうとしたのをお父さんが止めた。
「もしかしたら家に戻ってくるかもしれないから。君は残って」
「そ、そうじゃな」
僕とお父さんが玄関を出ようとしたら、律子さんが大急ぎでタオルと傘を持ってきてくれた。
「あゆみを見つけたらすぐに電話するから」
「あぁ、うん。頼むわ」
消え入りそうな律子さんの声が胸に突き刺さる。
本当にごめんなさい。
「じゃあ、行こうか」
お父さんが背中をポンと叩いてくれたおかげで、「はい」と返事ができた。
◇◇◇ ◇◇◇
二人並んで歩いていても、傘をさしている分、微妙に距離が空いて助かった。
「君と初めて会ったのも阿智神社だったね」
「あ、はい」
あの日、あゆちゃんが阿智神社に行ったのは、お父さんと一緒に願掛け組紐を結べなかったことがずっと心残りだったのもあるだろうけど、多分、一緒に出かけた時の思い出が強烈に輝いていたからだと思う。
だからあの日も、『いつの日かお父さんと一緒に願掛け組紐を結べますように』と願掛けしたかったんだろうな。
あの時は、それすらできずに帰ることになってしまったけれど。
「あゆちゃんは小学校の入学式の写真もお父さんと一緒に撮りたかったと言っていました」
「……そうか。耳が痛いな。あゆみには悪いことしたと思ってるんだ。でも、私のことを嫌いになっていなってことは、律子は離婚の原因を何も話していないんだな」
……え?
「こんなことを子どもに言うのはどうかと思うけど、あゆみは君には心を開いているようだから知っておいてほしいんだ。離婚の原因は私の浮気なんだよ」
……ショック。
人当たりが柔らかくて優しそうないい人だと思ったのに。
でも、そっか。
あゆちゃんがお父さんのことをずっと好きなままでいられるように、律子さんは何も言わなかったんだ……。
なんかそういうの――優しさのせいで律子さんがあゆちゃんに嫌われるなんて――悲し過ぎる。
「転勤先で律子と出会って結婚したんだけど、どうしても田舎に馴染めなくてね。会社はいろんなところの出身がいるし、みんな丁寧語で話すから標準語を使っていても特段、何も言われないんだ。でも親戚付き合いや近所付き合いはそうはいかない。想像していた以上にストレスでね」
分からなくもないけど。
だからって浮気するなんて。
「そんなことで浮気するかって思うよね」
え? 顔に出てた? 傘越しでも分かるほど?
「あゆみの前じゃ、格好いい父親として振る舞っていたけれど、実際は外面がいいだけのハリボテ人間さ。本当は気弱で頼りない男っていうことは、律子だけが知っていたんだ……。離婚しても誰にも言わなかったんだろうな。優しい人だから」
「……」
うん。律子さんが優しい人なのは確かだ。
「ハァ。さすがにきついね。坂道を急ぐとこのザマだよ。ハァ。ハァ。自分の歳を思い知らされるね。あ、見えてきた」
もう夕方の六時を過ぎているだろうか。
晴れていたらまだ明るいはずの時間だけど、雨が降っていると薄暗くて日が落ちたように感じる。
山頂には誰もいなかった。
――というか、ライトアップされていないから、周囲の状況がよく見えない。
このまま日が暮れたら真っ暗になりそう……。
雨も降っているし、神社の社務所も閉まっているから、この時間に観光しようと来る人はいないみたいだ。
空振りだったかな――と思ったら、願掛け組紐の結びどころの大木の側で動いている人影が見えた。
「……あゆみ? あゆみか? あゆみ! あゆみぃ!」




