20 尾道③
バスを降りると、そこからは歩いて五分もかからないはず。
メモを見ながら知らない街を歩いているなんて。
高一にもなって、初めての夏休みの冒険だ。
あゆちゃんは――うーん。少しだけ緊張しているかな? よく分からない。
一応、メモには隣の五軒の名前も書いておいた。心の準備ができるように。
「……あ」
その五軒目の表札が目に入った。
井上さん。
「着いたの?」
あゆちゃんが、僕が足を止めた『井上』という表札を見て怪訝な顔をしている。
「ええと。もうすぐだね」
「……」
今歩いている住宅街の細い道路は、車がすれ違うのも難しいくらいの幅だ。
車があまり通らないっていうことは、抜け道にも使用されていない生活道路なのかもしれない。
ここに住んでいる人たちが使用している道路なんだ。
歩いている人の姿はないけれど、もしいたら近所に住んでいるってことだろう。
田舎って、見慣れない顔の人間を見たらどう思うんだろう?
声をかけてくるかな?
……はぁ。
ここにきて余計なことを考えてどうするんだ。
『渡辺』
僕とあゆちゃんって多分、浮いているよね。
『山中』
家の中から僕らを見かけて変に思うかな?
ブロック塀で囲まれた家もあったけれど、大半は生垣などもなく、カーテンが開いていたら道路から家の中がよく見える。
『塩崎』
……あ。次だ。
……………………。
『添田』
祖父の家はちょうど十字路の角にあった。
道から一メートルほどのところに玄関があり、表札がかかっていた。
目隠しになるようなフェンス等はないので、このまま角を曲がればリビングの様子が見えるかもしれない。
でもそれは、言い換えれば僕たちも家の中から見られるということだ。
……大丈夫かな? もし目があったら?
あゆちゃんのお父さんじゃなく、あの時見かけた小さな子どもだったり、奥さんだったりしたら?
絶対に招かれざる客だよね。
「あ、あゆちゃん――」
あゆちゃんが表札を凝視している。
自分の本当の名前は『添田あゆみ』だと言っていたあゆちゃん。
その苗字で暮らしている家族をどう思っているんだろう。
「あのさ。とりあえず家に人がいるかどうか、通り過ぎがてら見てみようか」
「……」
だよね。分かるよ。
今、色んな感情がぐちゃぐちゃに湧いて出ているよね。
一番の理想は奥さんが子どもを連れて出掛けていて、あゆちゃんのお父さんだけが留守番しているケースだけど。
「もしかしたら道路沿いに植木とかあって家の様子が見えないかもしれないし。あんまり期待しないで行ってみよう」
僕は見えないことを期待しているように思われたかな。
「じゃ、じゃあ、行こうか」
いつまでも角で立ちっぱなしという訳にはいかない。
もし家の中からお父さんがあゆちゃんに気がついたら――尾道まで会いに来たくらいだから、絶対に家から出てきてくれるよね。
でももし家族が一緒だったら――どうするだろう?
僕が踏み出さないから、あゆちゃんも動かない。
ここまで来たんだ。行くしかない。
「行くよ?」
「……」
あゆちゃんは返事をする代わりに僕のTシャツの裾を掴んだ。
オッケー。
角を曲がって道を歩くだけ。
僕たちは通りすがりのただの歩行者。
そう言い聞かせて歩く。
角を曲がると、植木などもなく家の中の様子が見てとれた。
通行人のことなど気にする様子がなく、カーテンが全開になっている。
リビングの話し声が漏れ聞こえてきたのと、子どもを膝に乗せたあゆちゃんのお父さんの姿が見えたのは同時だった。
楽しそうに笑っている三人家族は道路の方を見向きもしない。
あゆちゃんのTシャツの裾を握る手に力が入っている。
あゆちゃんの足が止まりかけている。
……ここで立ち止まっちゃいけない。
……あ‼︎
アレにあゆちゃんが気がつく前に離れなきゃ。
僕は咄嗟に左右を見て車が来ていないことを確認し、あゆちゃんの手を引っ張って反対側に渡った。そして来た道を戻った。
……あゆちゃん、ごめん。
お父さんのあんな笑顔を見せちゃうなんて。
泣いていないよね……?
「あ――ええと――今日のところは――帰ろうか」
「……」
ともすれば早足になりそうなところをグッと堪えて、意識的に余裕がある素振りで歩く。
あゆちゃんは何も言わずに僕の隣を歩いている。
ここから一刻も早く遠ざかりたいのに、バスは待てど暮らせど来なかった。
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