19 尾道②
決行の土曜日がやってきた。
律子さんには自然な形で外出すると言った方がいいと思い、朝食後におっかなびっくり切り出した。
「あの。今日もあゆちゃんと一緒に図書館に行こうと思うんですけど」
「あ、そうなん?」
もう一押ししないと。
昨日、散々考えた言い訳で勝負だ。
「ついでに岡山まで行って後楽園を見学したいんですけど」
「ん?」
ヤバい。唐突過ぎたかな?
「あ、この前のお祭りでもらったお金があるので、電車代とお昼ご飯代は大丈夫ですから」
「あー、まぁ岡山までならそんなにかからんもんなぁ。でもあゆみは――」
「一緒に行く」
「え?」
あゆちゃんの返事がいつもと違うってことが、僕にも分かる。
律子さんが驚くのも無理はない。
でも、あゆちゃんが意思表示をしただけでも嬉しかったのか、すぐに、「ほんまに?」とニコニコしながら聞き返している。
「うん」
「ほんなら、ちょっと待って」
律子さんは二階に上がったかと思うと、タタタタとすぐに駆け降りてきた。
「はい、これ。さすがにお祭りのお釣りはしれとろぉ」
見慣れた千円札を二枚、僕に差し出した。
「え? いいんですか」
「そりゃ、あゆみの世話もしてもろぉとるし、なんかあった時のためにも持っといて」
めちゃくちゃ嬉しい!
これは助かる。
「はい! ありがとうございます」
「せっかくなら、お昼も岡山で食べられぇ」
「はい。あまり遅くならないように気をつけます」
「夜は雨らしいけど、降り出すんは晩かららしいから、晩ご飯までに帰ってきたらええわ」
「はい」
やった! 晩ご飯までなら余裕だ。
◇◇◇ ◇◇◇
「じゃあ、行ってきます」
「気をつけてなぁ」
律子さんに送り出されて歩き出すと、二人とも自然と歩調が速まった。
急ぐ必要などないのに、何かに急かされている気がするのはなぜだろう。
「あゆちゃん。いよいよだね」
「……」
あゆちゃんは歩きながら無言でじっと僕の目を見た。
「と、とにかく、お父さんに会えるかどうか、会っても想像した通りじゃないかもしれないけれど、とにかく、区切りをつけることにはなると思うし、なんというか、まあ、とにかく、暮らしぶりは確認できるから、色々と分かるよね」
「とにかく」言い過ぎ。
目的地に到着するまで、悪いことを考えないよう勇気づけるつもりだったのに。
これじゃあ、あゆちゃんに緊張が伝わってしまって逆効果だよ。
「うん」
あゆちゃんの方が覚悟を決めている感じだ。
倉敷駅に着くと、下見した運賃をもう一度確認して切符を買った。
……ふと、あの母の残した回数券が頭をよぎった。
あの回数券で電車に乗ったら令和の世界に戻れるんじゃないか――そんなことを思ったけれど、少なくとも今じゃない。
試すくらいいつでもできる。
今日はあゆちゃんと一緒に尾道に行かなくっちゃいけないんだ。
余計なことは考えないようにしないと。
僕が心の中で、ああでもないこうでもないと考えている時は、不思議とあゆちゃんに見透かされてしまう。
今も、僕が思考を放棄していても何も言わず、現実に向き合うまで待ってくれている。
「あ、ごめん。ごめん。じゃあ、行こっか」
「うん」
あゆちゃんに子ども用の切符を渡して、改札を通った。
通った瞬間、世界が一変するようなことはなく、振り返ってもさっき立っていた場所がそのまま見えた。
自動改札にもなっていない。
「はぁ」
「……?」
「あ、なんていうか、これから結構長いこと電車に乗るからね。あ、トイレ! トイレに行っておこうよ」
「うん」
苦し紛れにしても酷いけど、あゆちゃんは素直にトイレに向かってくれた。
ホームで電車を待っていると、「次の三原行きは四番と五番でお待ちください」とアナウンスが聞こえた。
えっと? どういうこと?
よく見ると、一番線のホームには中央付近に人が集まっている。
そこからしか乗れないということ?
「あゆちゃん。とりあえずあっちに行こうか」
「うん」
よく分からないなりに、とぼとぼ歩いていたら電車が入ってきた。
二両しかない!
慌ててドアの前まで行くと、人が降りてきた。
乗り込んだ車内は空いていたので、あゆちゃんと二人並んで座ることにした。
電車は数分置きに停車し、数人が降りたり乗ってきたりした。
聞いたこともない駅名の、こぢんまりした駅をいくつか過ぎたあと、「次は福山、福山です」と、やっと知っている駅名が出てきた。
「岡山、倉敷、福山、広島なんだね」
……う。
「それが何?」という、あゆちゃんの無言の視線が痛い。
「はは、どうでもいいことだよね」
いつもなら停車駅を調べて、あと何分で到着するかスマホを見るところだけど、それができない今は、つまらないことを口にして退屈を紛らしたいみたいだ。
もう無理せず黙っていよう。
◇◇◇ ◇◇◇
尾道駅に到着すると、結構な人数が電車を降りた。
僕たちも降車した人の流れに乗って改札へと向かった。
改札を出たところに大きな周辺地図があったので交番を探す。
……よかった。駅前にあった。
「あゆちゃん。交番でこの住所への行き方を聞いてみよう」
「うん」
スマホで撮った住所は、この時代に合わせてちゃんと紙に書き写してある。
階段を降りると交番は目の前だった。
電車を降りてからは、ひたすら「交番」「交番」「交番」と心の中で唱えていたから、何も考えずに交番に向かって直進しているけれど、いざ交番に入るとなると、コミュ障の僕が常用している壁がモクモクモクっと顔を出してきた。
普段の僕なら絶対にない選択肢だから。
躊躇する気持ちが足に伝わって、あゆちゃんに遅れてしまった。
ん? と振り返った彼女を心配させたくなくて、「無人じゃないといいね」などと自分を鼓舞して前を向いた。
交番のドアを開ける前に中の様子が見えた。
タブレットではなくちゃんと警察官がいた。
「すみません」と言いながら入ると、警察官が素早く僕とあゆちゃんを見た。
「ん? 迷子?」
……確かに。そう見えるかも。
「あ、違います。地図を買ってなくて、この住所への行き方を教えてほしいんですけど」
「あ、兄弟だった?」
「いえ、従姉妹です」
「あ、そう。ああ、夏休みかぁ」
「はい」
警察官は、「なんだそうか」と納得したらしく、大きな地図を机の上に広げてくれた。
紙で見ると新鮮だなぁ。
「ええと。ここか。添田さんね」
……!
すごい。警察が使用する地図だから?
全部の戸建てに名前が入ってる!
あゆちゃんのお父さんの家は、尾道駅から直線で三、四キロあった。
歩くと一時間以上かかるかもしれない。
「バスがあそこから出てるから、ここのバス停で降りるといいよ」
「ありがとうございます。あ、ちょっとだけメモしていいですか?」
ボールペンを借りて、バス停からの道を簡単にメモした。
「ありがとうございます」
「気をつけてね」
「はい」
交番を出ると、一気に緊張が緩んだ。
何も悪いことしていないのになぁ。
バスの案内所で、簡単にメモした地図を見せながら、乗り場と降りるバス停の停留所を聞いた。
バスを待っていると、十分ほどでバスが来た。
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