10 祖父
翌日も律子さんから、「ごめんな。今日もサボり。これで食べてな」と、ランチ代の二千円をもらって退屈な留守番が始まった。
家に閉じこもって律子さんの帰りを待つのはもう無理なので、今日は出かけようと昨晩から決めていた。
さすがにあゆちゃんと一緒にどこかに遊びに行って、食事込みで二千円内に収めるのは無理ゲーだ。
この時代のコンビニの値段があまりに安くて驚きはしたけれど。
僕一人なら昼食はおにぎりで凌いで夕食を待ってもいいけど、あゆちゃんにそれをやると児童虐待だしね。
昨日は何も考えずに弁当とデザートとお菓子まで買ったから、お釣りは二百円ほどだった。
……となると。
僕自身が持っているお金が鍵だ。
でもなぁ。
お札を見るとめ息が出てしまう。
律子さんがくれた千円札と僕が持っている千円札は全然違う。
令和の千円札はこの時代には存在していないお札だ。
この人――千円札の人って誰だっけ? あまり気にしていなかったから思い出せない。
こっちの一万円は渋沢栄一だったはず。
はぁ。googleが使えれば画像検索できるのに。
とにかく、使えない。
支払い時にうっかり出そうものなら偽造紙幣だと通報される。
いやいや。デザインが違うから、せいぜいゲーム内の紙幣を間違って出したと笑われるぐらいか。
つまり使えるのは硬貨だけ。
あ。五百円玉もちょっと前に新しくなったんだった。
えぇぇ。
百円以下の小銭だけ? 渋い……。
数えると八百九十七円だった。
詰んでるな。
それでも一日中家にいるものなんなので、やっぱりあゆちゃんを誘って遊びに行きたい。
入場料の必要なところには行けそうにないけれど、動物園とかって、小学生無料だったりしないかな?
そもそも動物園がどこにあるのかなんて知らないし。調べることもできないし。
バスや電車に乗るとなると往復で結構かかるよなぁ。
おっとっと。
肝心のあゆちゃんは何をしているんだろう?
一階に降りると、あゆちゃんはキッチンにいた。
「何してるの?」
「麦茶沸かしてる」
……あ!
何も思わず飲んでいたけれど、当然、麦茶を作ってくれる人がいたんだ。
この家の麦茶は、ペットボトルの麦茶の味とは全然違って美味しかった。
夏になると、母が毎日大きなやかんで麦の粒を煮出して麦茶を作っていたっけ……。
煮出した麦茶は麦の香りがして僕は好きだった。
マイボトルに入れて学校に持って行っていたほど。
この家で飲む麦茶も香りの良い麦茶だった……。うちの麦茶と同じで……。
それにしてもほんと、僕は駄目なやつだな。
普段から家の手伝いをやっていないから、付け焼き刃のフリすらできない。
居候のくせに手伝いもしないなんて、情けない。
あゆちゃんは偉いなぁ。
麦茶を沸かすことぐらい子どもでもできるのに、僕は一度も自分からやろうなんて考えたことがなかった。
母が一日中忙しくしていたことは知っていたのに。
あゆちゃんは昨日律子さんと喧嘩をしたのに、やるべきことをちゃんとやっている。
振り返って僕は……ちょっと恥ずかしい。
「頑張ってね」
やかんをコンロにかけておくだけで頑張るもなにもないけれど、とりあえず適当なことを言って外に出た。
僕がこの家の玄関から出てきたところを見て、驚いた顔をしている男の人がいた。
バッチリ目が合ったので、外したら負けだと思った。
でもそうなると、次はどうしたらいい?
こっちから声をかけるべき?
歩き出すこともできずにいる僕に、男性の方が声をかけてきた。
その途端に思い出した。
あ、知っている人だ。
あの人は――あゆちゃんのお父さんだ。
「君。この家に住んでいるの?」
ものすごく答えにくい質問なんだけど。
「夏休みなんで」
またしても間抜けな回答。
僕ってコミュ障以前の問題かも。
「あ、ええと。私のことを聞いているかな? あゆみの父親なんだけど」
これまたどう答えたものか。
僕が逡巡している時間が長過ぎて、答えないという選択をしたみたいに捉えられてしまった。
「もしかして――。あゆみの義理のお兄さん――だったりする?」
ああ、そういう――。
律子さんが再婚して、僕が相手の連れ子だと思ったんだ。
これはさすがに否定しておく必要がある。
「いえ」
「そっか。じゃあ――会ったことないけど、律子の方の親戚?」
畳み掛けるように質問しないでほしい。
何て言おうかと迷っているうちに、相手が勝手に話を進めていく。
「昨日、あゆみと一緒に阿智神社にいたよね? 君たちは気が付かなかったもしれないけど、すれ違ったんだよ? 君たちはもう帰るところみたいだったし、いきなり声をかけるのも――ね?」
え?
いやいや。「分かるよね?」的な感じを出されても……。
でもまさか気づいていたとは。
こっちを見ていたようには見えなかったのに。
新しい家族の手前、気づかなかったフリをしたのかなぁ。
それもなんだかなぁ。
「君、歳は?」
は? 急に何?
「高一です」
『十五歳』というより『高校生』って言った方が大人っぽく受け取ってもらえそうでそう答えけど、虚勢を張っているって思われたかも。
「高校生か。友達と遊びたい年頃だよね。小学生の相手をしてくれて嬉しいよ。ちなみに――あゆみとはどんな話をしているの?」
はぁ? 何が聞きたいの?
「四年生にもなったら、どんな話をするのかなあって思ってね。記憶の中のあゆみは本当に小さくて赤ちゃんの延長でしかないから――」
「どうして急に知りたくなったんですか?」
たまたま顔を見たから懐かしくなったの?
じゃあ、あそこで会わなかったら、この先何十年ずっと忘れていたままだった?
「離婚してから会っていないのはどうしてですか? 連絡すら取ってないですよね? 本当にあゆちゃんに興味があるんですか?」
「それは――」
僕にこの人を責める権利なんてないのに、どうして突っかかってんだろう。
「高校生相手に言うことじゃないけどね。確かにずっと会っていなかった。あゆみに恨まれている気がして後ろめたかったんだと思う。情けないよね。あゆみのことは全部律子が――親権も律子が持っているし、手放した私に口を出す権利はないし――」
「父親なら口を出せばいいじゃないですか! 父親なんでしょう? 血が繋がっているんでしょう?」
「……」
ヤバいヤバい。最悪だ。もう何してんだろ。
「すみません」
それ以上この人の顔を見ることができなくて家の中に逃げ帰った。
どうしてあんなに腹を立てたんだろう。
あんなことを言うなんてどうかしている。
僕のお父さんがもし病死じゃなくて離婚しただけなら、きっとあゆちゃんのように探してでも父親に会いに行ったと思う。
親の方は違うのかな……。
……あ!
リビングであゆちゃんの顔を見て焦った。
あんなに会いたがっていた父親が会いに来てくれたのに!
どうしよう……まだいるかな……。
あゆちゃんに言うべき?
今にもピンポンと玄関のベルが父親の来訪を告げるんじゃないかと身構えたけれど、鳴ることはなかった。
それでも、まだ立ったまま様子を窺っているかもしれない。
そう思うと、いても立ってもいられなくなった。
外に出るともう姿はなかった。
ごめん、あゆちゃん。
あの人にも謝りたい。
僕の、母方の祖父にあたる人なのに。
はぁ。
こんな駄目な息子で孫で、本当にごめんなさい。
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