第二話 『襲来ノ相』
里に戻った後、宿にラテを預け、僕はすぐ長老の家へ向かった。
少し離れた崖で落石があり、そのせいで音が鳴っていたことを伝えるためだ。
「……なんと、そんなことがあるのですな。分かりました。里の者には安心して良いと伝えましょう」
長老をはじめ、里の人たちは風によって独特な音が鳴ることを知らなかったようだ。それなら、魔物か何かの声だと勘違いするのも頷ける。
崖下にあるため取り除くのは難しいだろうが、時間が経って岩が水の流れによって少しずつ削れてきたら、そのうち音は鳴らなくなるだろう。
雲量の減少についても、岩が削れて水量が復活したら問題ないと思われる。
そう伝えると、長老は少し困った顔になった。
「そうですか……。でしたら、雲が戻ってくるのはずいぶんと先になりそうですな。普段通りの雲読みができないと、色々と困るのですが……」
長老によれば、雲読みは単なる占いの枠に留まらず、生活基盤として必須とのこと。
天気の先読みやさまざまな危険の察知に加え、温度や湿度が大きく変わらないこの地で農業を行う際の種まきや、収穫時期の目安まで分かるとか。熟練の雲導師ともなれば、数年先の水害や蝗害まで予測できるという。
こうなると、できるだけ早く、あの岩を取り除く方法についても考えないといけないだろう。今のところ、何も思い浮かばないが。
そしてここからが問題、里付近の魔物の活性化。
崖沿いを歩きながら森を観察していたが、特に変わったところは無かった。ラテが近くにいたから魔物があまり近寄ってこなかった、というのも大きいと思う。
それでも、手がかりを得るには森の中に入って調べてみるしかない。
話が一段落ついたとき、長老がそういえば、と切り出した。
「この里には雲読みの塔があります。よろしければ寄っていってくだされ。今の時間なら、まだ雲導師が数名残っているはずですから」
確かに、長老だけでなくさまざまな人たちから話を聞けるのは有意義かもしれない。それに雲読みをしているところも直接見学させてもらえるそうだ。
雲読みの塔までは長老の息子だという男性が案内してくれることになった。彼も長老と同じく現役の雲導師だそう。
案内してもらっている最中、軽い世間話をしていたのだが、そのときに五年前渓谷の向こうからやってきたというグリフォンの話をしてくれた。
「えぇ、たしかに一頭のグリフォンが五年前、渓谷を飛び越えてやってきたことがありますよ。でも、特に被害などはありませんでした。里からは離れていましたし、森の中に降りていったと思ったら、数分くらいで戻っていきましたから」
特に変わった行動などはなかったかと聞いたが、それもないとのことだ。
グリフォンが渓谷の向こうにある山岳地帯からこちらへやってきたのは、今生きている人が記憶している限りではこの一回だけだそう。
何かあるのかと踏んだのだが、今のところ有力な手がかりはない。
そんな話をしていると、渓谷に面した円形の広場の向こうに山岳地帯が見えた。
夕日に照らされ、グリフォンらしき生き物が飛んでいる影が見える。目を凝らして、なんとかグリフォンぽいと分かるくらいの遠さだ。
実は、僕はラテ以外のグリフォンを生で見たことがない。夕日も相まって、とても神秘的だった。
「良い眺めでしょう」
彼はそう言った。
「この里の者は皆、物心ついたときからこの光景を見ているのです。グリフォンは身近でありながら、尊敬と畏怖の対象でもあるのです」
彼はこちらを振り返って笑った。
「ですから、グリフォンと協力して調査をされているというあなた様が来なさると聞いたときは、多くの者が浮き足立ちましたよ。……それでもまさか、お一人で飛んでいらっしゃるとは、驚きました」
僕も苦笑いで頭を掻いた。
僕だって、一人で向かってくれと聞いたときは耳を疑った。神話にも登場する雲導師の暮らす里で、しかも結構危険そうな異変が起こっているというのに、だ。
浮蛇島の一件を解決までもっていってからというもの、上層部の僕に対する扱いが今までに輪をかけて雑になっている気がする。逆であってほしかった。
美しい景色に背を向けて、また雲読みの塔へ向かって歩き出した。
「見えてきましたよ。あれが雲読みの塔です」
彼が指差す先には円柱型の塔があった。
高さは四階建てくらいだろうか。塔の外壁は隙間が作られている構造のため内部が見える。中にある螺旋状の階段で上がっていくようだ。屋上には柵が設けられており、二人の人影が見える。
塔の扉の前にも人がいた。彼は雲読みの塔の門番的な人らしい。
しかしその人はこちらを見つけると、笑顔ですんなり通してくれた。現役雲導師でもある、長老の息子がいるからだろう。
螺旋状の階段を上がって屋上へ出ると、そこにいた二人の人物が会釈をしてくれた。
一人は眼鏡をかけた壮年の男性、もう一人は若い女性だった。
二人とも里の人に多い白を基調とした服だが、それに加えて腰に深青色の細帯を巻いている。
そして首からは、淡青色の石が通された長めの首飾りをしていた。石の数は二人で違っていた。
「あれが雲導師の正装です。首飾りに通している石は呼空石といって、雲導師になってから何年経ったかを示しています」
なるほど、つまり石が十個以上通されている男性は歴が長く、四個の女性は四年目ということか。
雲導師の二人は、何も道具を持たずに夕暮れ時の空を見上げている。
道具に頼らず、己の目のみで雲読みを行うのだそう。
「……やはり、雲が少ないですね」
女性の雲導師が呟いた。
僕も空を見上げてみたが、雲は空の一部分に、砂を撒いたように薄く広がっているだけ。
「数ヶ月前まではこんなことはなかったんですがね。雲読みができなくなるのもそうですが、雨が降らないことで生活用水が不足してきているのですよ」
案内をしてくれている長老の息子が困った顔で言った。
それはますます大変だ。川を塞いでいる岩がかなりの大岩でなければ動かせるかも、とは思ったが、まだ詳しく分からない以上、余計な期待をもたせる分けにはいかない。
「う〜ん……?」
男性の雲導師が空を見上げて首を傾げた。
「あれは……いや、もう少し、こう……」
なにやらぶつぶつと独り言を呟いている。
「どうした?」
長老の息子が歩み寄って尋ねると、彼は東の空に浮かぶ雲を指差した。
「あれです。薄いですが、『襲来ノ相』のような……」
カンカンカンカンカンカン!!!
彼が言い終わる前に、突然里の入り口の方からけたたましい鐘の音が聞こえてきた。
物見櫓にいる見張りの人たちが非常事態を知らせているのだろう。
屋上にいた全員が急いで塔を降りると、里の入り口の方から物見兵が一人走ってきた。
「魔物の群れです! 小型ではありますが、色々な魔物が群れになって、一斉に里まで来ています!」
長老の息子は頷くと、僕に向き直った。
「申し訳ないですが、私は現場に向かいます。……心配しないでください。ここは魔物の生息地に隣接していますから、これまでも何度か経験しています」
彼は軽く微笑んでそう言うと、真剣な表情に戻って里の入り口の方へ走っていった。
里の周囲に張り巡らされた堀と防護柵のおかげで、里の中には魔物が入ってきていないし、人々も冷静な様子だ。
中には物見兵ではなさそうな人が、家から弓矢を持って出てきて走っていく様子も見られた。こういった事態に慣れているというのは本当のようだ。
僕は邪魔にならないよう、足早に宿屋へ向かい、ラテと合流する。
ラテは落ち着かない様子でそわそわしている。近くに寄って安心させようとした、そのときだった。
「魔物が侵入したぞー!」
その叫び声に、僕は驚いて里を見やる。
里の人々も慌てふためいており、まだ外にいた女性と子どもたちもすぐに家の中へ戻っていく。
ラテがある一点を向いた。
何かに気付いたのか、と思い僕もそちらを見ると、里の中で動く影が一つ見えた。
体格や大きさは狐のように見えるが、真っ黒な体に赤い目、泡を吹いて牙を剥き出しながら走る様は、さながら魔狼のようだ。
戦える人たちは前線に行ってしまい、対処できる人がいない。もしどこかの家に侵入でもしてしまったら……。
僕はラテを見た。ラテも僕を見ていた。
戦闘経験はほぼないが、そうも言っていられない。
ラテに指示を出すと、彼女はあっという間に駆け出して大きな翼を広げた。そのまま羽ばたいて飛行体勢に入ると、地面のすぐ近くをまっすぐ飛んでいく。狐が羽音に気付いて振り返った頃には、ラテはすぐそこまで迫っていた。
狐は更に牙を剥き出し、口を大きく開けてラテに飛びかかった。ラテは空中でひらりと身を捻ると急旋回。狐が体勢を立て直すより早く、その曲がった嘴で狐を咥えると高く舞い上がり、西へ飛んでいった。
殺しはしないように言ってある。里から離れたところまで連れていってくれ、とだけ指示をした。
どうやら、里の中まで侵入してきた魔物はこの一匹だけだったようだ。
ほどなくしてラテが戻ってきた頃には、里に襲来した魔物たちは半分近くが討たれ、残ったものは西の方へ駆けていったとのこと。
「里の者を助けていただいて、本当にありがとうございます」
騒動が一息ついた頃、やってきた長老の息子がそう言って僕に頭を下げた。僕としては、放っているわけにはいかなかっただけである。
里の人々も口々にお礼を言いに来てくれた。子どもたちは狐と戦っていたときのラテの動きを真似てはしゃいでいる。
里に来た魔物は狐型の魔物や角の生えた兎など、森に多く生息している魔物だった。
被害は軽微で、怪我をした人が数名いるものの、重症者はいないそうだ。里の中にいた人々にも怪我はなかった。
被害が少なく済んだことを喜びながら、僕は内心で嫌な予感がしていた。
あの狐のように小型から中型くらいの魔物であれば、大型であるグリフォンを見た瞬間に逃げ出すはずだ。実際に森では一度も襲われなかった。
そして、泡を吹きながら狂ったように走っていたあの挙動。闘争心を剥き出しにしているというよりは、何かから必死に逃げてきてパニックになっているような感じ。
おそらく、森に彼らより強大な存在がいるのではないだろうか。その存在に追い立てられて里までやってきたとすれば、理屈は通るだろう。
明日は本格的に森に入る必要がありそうだ。ラテと一緒とはいえ、不安が増していくばかり。
宿に戻る僕の背中に一筋の汗が伝った。
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