第一話 雲読みの里
とある深い深い森の中。周りは全て深緑の葉で空が見えないほど覆われている。地面からはむせ返るような湿った土と草の匂いがする。
この森に入る際には口酸っぱく警告されることがある。
「北に進むなら慎重に。突然口を開けた谷に飲み込まれるぞ」
そう、この森の北側は東西に伸びる大きく深い渓谷に接している。
森の中は視界が悪いため、不用意に北へ進むと、ぽっかりと空いた渓谷に気づかずに足を滑らせ、谷に飲み込まれてしまうのだ。
おまけに年中霧が立ち込めていて視界も悪く、どことなく不気味な雰囲気が漂っている。幽霊が出るだとか、死者の国につながっているだとかの噂も後を絶たない。
そんなわけで、ここはほとんど人の手が入らない閉ざされた土地になっている。
まあ、ラテに乗せてもらって空を飛んでいる僕には関係ないのだが。ただ、上空にいるはずなのに土の匂いがしているのは本当だ。
今も霧が出ていて視界が晴れない。本当に何か出てきそうな雰囲気だ。
僕たちが目指しているのは、渓谷のすぐ近くにある小さな里で、通称雲読みの里。
谷に面したこの里に住む人々は、空に浮かぶ雲の形や色、高さ、方角などから未来や運勢を読むという。
今回はこの里の長老からの依頼だ。
『谷から唸り声が聞こえるようになり、雲の量も少なくなった。森に住む魔物も活発化していて、凶兆が見える。早急に対策をお願いしたい』
正直、僕にできそうなのは唸り声に関することくらいだと思う。僕とラテは戦えなくはないが、僕ら二人だけで魔物対策は無理がある。
しかし防衛のために人手をよこそうにも、深い森を時間をかけて抜けなければならない。
里の規模も小さい。そのため費用対効果が、とかなんとか言って上は渋っている。現実はそんなものである。
依頼を却下しなかったのは、いくら小さい辺境の里とはいえ、見捨てたという事実ができると都合が悪いというのが一つ。
もう一つ、雲読みを行う雲導師は建国神話の中で、王都を建てるにあたって運気の集まる場所を初代の王に進言したとされ、伝説に近い存在だからだ。雲読みの里は、初代の雲導師が作ったとされる里である。
今は雲導師が国に直接関わっているという話は聞かなくなったが、上層部としては邪険に扱うわけにはいかない。
ラテが降下を始めた。霧の中から里を見つけたようだ。さすが鷹の目をもつグリフォンである。
里の外に着地しようと思ったが、辺り一面森で開けた場所がないのでラテが降りられない。里の中に着地させてもらうしかなさそうだ。
ラテに頼んで、ゆっくりと里に向けて高度を下げていく。ようやく僕の目にも里が見えてきた。
里の北側には渓谷と接している円形の広場がある。その周りを十人くらいの人が囲んでいて、こちらに手を振っている。ここに降りていいよということだろうか。
ラテが着地し、僕が降りると、一人の杖をついた老人の男性が進み出た。
「このような深いところまで、よくぞお越しくださいました。私はここ、雲読みの里で長老をしております」
こちらも軽く自己紹介をして、出迎えの礼を述べた。実は出発直前になって、上司が到着時間を伝え忘れていたことが判明した。かろうじて到着日は伝えていたが、いつも通りのポンコツ具合である。……確認していなかった僕も悪いのだが。
もしかすると、長い時間待たせてしまったのかもしれない。
長老は微笑んで答えた。
「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですよ。空に客人の来訪を示す相が現れておりましたから」
彼の話によると、僕たちがここに到着する少し前に『訪人ノ相』という、里の外から来た人の訪れを示す雲が現れたとか。雲読みについて詳しく知らないのだが、そんなに細かく分かるものなのか。
「さあ、立ち話もなんですから、私の家まで来ていただけますかな。里自慢のお茶菓子も用意してございます」
案内され、ラテとともに広場から徒歩で長老の家へ向かう。
出迎えてくれた人々はラテに臆することもなく、笑顔で歓迎の意を述べてくれた。普通グリフォンを見た人たちは驚いたり怖がったりするものだが、里の人たちは慣れているようだ。
しかし僕は、彼らの瞳の奥底にある落胆の色を見逃さなかった。当たり前だ。里の危機だというのに、よこされてきたのが一人と一匹だけなのだ。
頼りなく見えるだろうし、軽視されているのではないかと感じてもおかしくない。
里の人々は皆、白を基調とした服装だ。かなり冷え込む地域なので、肩に上着を羽織っている人が多い。かつ分厚すぎない軽やかな素材なのは、湿度が高いこの地域で快適に過ごす知恵なのだろう。
僕たちが着陸した広場を囲むように住宅や畑がある。長老の家は広場から南に少し進んだところにあった。どの住宅も木造だ。木材は断熱性もあるし、湿度の調整にも優れている。おまけに周りは森で、建材の調達もしやすい。
長老の家は周りの家より一回り大きく、屋上があるようだ。
長老は現役の雲導師らしく、よく屋上から雲を見ているそうだ。
雲を読むための場所は別にあるのですけどね、と言って長老は笑っていた。どうやら、常に雲を読める環境にいないと落ち着かないのだとか。
ラテを庭に待機させてもらい、家に上がらせてもらう。長老の妻だという女性が温かいお茶と素朴な芋菓子をだしてくれた。
お茶用に、と砂糖も出してくれたが、僕個人の感覚としては、お茶に砂糖を入れる文化にはあまり馴染みがない。
だがせっかく出してもらったのだからと考え、お茶に砂糖を入れていただく。
甘すぎないが、砂糖のおかげかお茶の苦みがすっかり消えていて軽い。菓子との相性もとても良かった。
少しだけ世間話をしてから本題に入る。
「改めてですが、あなた様には谷から聞こえる声と、魔物が活性化した原因を突き止めていただきたいのです」
長老によると、この一ヶ月ほど、里と面している渓谷から声のような音が聞こえるようになったらしい。
付近の森に生息する魔物が里に近づいてくることも増え、畑が荒らされることもあるとか。最近は里の見張り役が魔物に襲われて怪我をしたらしい。
「これまで里に魔物が近づいてくることは滅多にありませんでした。わざわざ里に手を出さんでも、森にはたくさんの食糧がありますからな。しかし最近は、村の近くまで頻繁に来るようになりまして……」
長老はため息をつく。
「それに、谷の向こうにある山岳にも魔物がおります。今のところ目立った動きはありませんが、心配ではあるのです」
谷を隔てた向こう側は山岳地帯になっており、里からも遠目に魔物が飛んでいる様子が見えたり、遠吠えのような声が風に乗って聞こえたりする。
これまで、山岳地帯の魔物が渓谷を越えてきたことは五年前の一度しかないらしいが、この状況ではいつまたそうなることかと不安だろう。
今は昼を少し過ぎた頃だ。とりあえず今日は明るいうちに里の周りの様子を見つつ、その後は人々に聞き込みをできるとこまでやってみよう。
長老からはラテと行動する許可をすんなりもらえた。里の中で飛ぶのも大丈夫らしい。どうやら向こうの山岳地帯にグリフォンが棲んでいて、里からもときどき飛んでいる姿が見えるため、人々は慣れているそうだ。だからラテを見てもそれほど驚かなかったのか、と僕は納得した。
そう、長老が言っていた五年前に山岳地帯からこちらへやってきた魔物とは、グリフォンのことである。一頭がやってきただけで、特に被害は無かったらしいが、この状況では簡単に楽観視もできない。
長老の家を出て、まずは用意してくれた宿に向かった。ラテとともに歩いて向かったが、確かに人々から怖がられることは無かった。むしろ興味津々といった感じだ。
遠目に見たことはあっても、近くで見る機会はそうそうないのだろう。
宿に持ってきた携帯食や雨具を置いて身軽になると、東にある里の入り口へまた歩いて向かう。里の中で飛んでもいいとは言われたが、流石に気が引ける。
里の周りは魔物の侵入を防ぐため、堀と棘が付いた防護策で囲われている。鐘付きの物見櫓にいる弓矢を持った人が手を振ってくれた。あの人が見張り役だろう。
里を出てからラテに乗せてもらう。まずは渓谷の視察だ。
僕は渓谷から音がするようになった原因について、いくつかあたりをつけていた。
このような場所では、風が通る際の音が岩壁で何度も反響して、声のような音として響くことがよくある。音がし始めたのは最近だと言っていたから、何らかの原因で風が強まった、風の通り道が変わったなどが考えられるだろう。落石や土砂の堆積、魔物の巣ができた、あるいは別の現象か。
もしくは、本当に何者かの声かもしれない。
渓谷を覗き込んでみると、気が遠くなりそうなほど深い。目を凝らして谷底を見てみると、かろうじて川が流れていることが分かった。
しかし見て分かるのはここまでだ。
なんにせよ、原因を確かめるには降りてみるしかない。
ただそれも、渓谷内の風の向きや強さは不安定だ。ラテに乗って飛んで降りることを考えると、飛行時の姿勢が安定しにくそうで一抹の不安が残る。
決心がつかず、足がすくみそうなほど深い谷底を眺めていたときだった。
ヒュオオオォォォ……
風に乗って少し高い音が響いてきた。
ラテがビクッと顔を上げ、不安そうに辺りを見回した。
僕はラテに近付き、首のあたりを撫でて落ち着かせる。
不安そうなラテとは対照的に、僕はこの音を聞いて安心さえ覚えた。
これが長老が言っていた唸り声で間違いないだろう。そしてこれはほぼ間違いなく、渓谷の中を風が通り抜けたときに響く音だ。
最近聞こえてくるようになったということだったから、風の通り道が変わるような出来事が起こったのだろう。
魔物の巣などができているなら対処には苦労しそうだが、落石や土砂の堆積であればなんとかなるだろう。
ラテが落ち着いてから、今の音が響いてきた方向へ、渓谷に沿って上流へ進んでみることにした。
里から離れ、魔物がいる森の中を進むことになるので、何かあったらすぐ逃げられるよう、ラテに乗せてもらって移動する。
しばらくそのまま進んでいたが、魔物に襲われるような事態は起こらなかった。
魔物自体はいたのだが、グリフォンであるラテよりも小さい種類の魔物ばかりで、こちらに近付いてこなかったのだ。
ヒュオオオォォォ……
またあの音が響いてきた。さっきよりかなり近い。ラテはまたピクッと反応したが、僕が首を軽く叩いてやるとすぐに落ち着いた。
ここら辺かな、と考えて辺りを注意深く見てみると、これまでほぼ真っ直ぐだった渓谷沿いの崖が一箇所崩れているところがあった。
となると、この場所で崩落があり、風の通り道が狭くなっている可能性が高い。
ラテから降りて、慎重に近付いてみる。滑落だけはしたくない。
谷底が深いためしっかり見えるわけではないが、確かに川の流れが陰になって見えにくいところがある。あの辺に岩でも落ちたのだろう。
唸り声の原因はほぼこれで確定だろう。
残る問題は雲の減少と魔物の活発化。雲量の変化は、谷底を流れる水量が減った可能性が考えられるが、魔物の活発化は今のところ見当もつかない。
とにかく、自分とラテしかいない今の状況ではこれ以上できることがない。今日のところは里に戻ることにした。なんだかんだでそろそろ夕方だ。
ラテは湿度が高いため、体毛や羽毛がはりついてくるのが気になるのか、嘴で器用に体毛を整え、後ろ脚で頭部の羽毛を掻いている。
つやのあるラテの体毛がふわふわと宙に舞う。
里に帰ったらちゃんと整えてあげないとな、と考えながらまたラテに乗せてもらい、来た道を戻ることにした。
その少し後、地面や周囲の木に引っかかって残ったラテの体毛を敏感に嗅ぎつけたものがいることに、僕らは気が付かなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。
この作品を『おもしろかった!』と思ってくださった方はブックマーク登録や↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると嬉しいです。
よろしくお願いします!




