第三話 遭遇
翌日、ラテと僕は里を出て、魔物たちがやってきた東へ向かった。
里の人たちのご厚意で、万が一に備えて薄手の胸当てを貸してもらった。何名か戦える者を同行させましょうか、とも言われたが、流石に申し訳なくて丁重に断った。
どこまで行くか分からないし、僕は何か気になることを考え出すと周囲が見えなくなりがちだ。それに、本当に危険なことが起こってラテと一緒に離脱するときは一人の方がいい。
ラテに乗って、どんどん森の中へ分け行っていく。
周囲全てが木の幹と葉、地面の草だけになった。空さえも遮られて見えない。これでは、いざというときに飛んで離脱するのは難しいかもしれない。
おまけにこの森は木が密集して生えている。馬より一回り大きいラテでは、翼をたたんでも通れないような隙間も結構ある。
霧の濃い地域でもあるから見通しも悪い。方向感覚を失わないよう、先ほどからずっと真っ直ぐ歩いていた。
どれくらい進んだだろうか。
地面に何か黒いものが見えた。魔物かもしれない。
慎重に近づいてみたところ、食われてほぼ骨と皮だけになった魔物の死骸だった。
ラテから降りてよく観察してみると、首あたりの皮に巨大な爪で引き裂かれたような、三本の大きく長い傷があった。
この森に、この大きさの傷をつけられる魔物なんていただろうか。やはり何かいるのではないか。今までは生息していなかった何かが。
その死骸の少し向こうにある木の幹で、何かチラッと光った気がした。
ゆっくりと、足元の枯れ葉と枝を踏みしめながら進む。ラテも後ろからついてきている。
光ったように見えたのは、動物の毛だった。褐色で根本が黒く、ピンと張った少し長めの硬い毛が何本か、僕の目線より少し高いところに引っかかっている。
見たことがある。なんなら、こんな感じの毛を僕はよく知っている。
まるで、ラテの被毛のような……。
ガサガサッ……ピキッ
そのとき、藪をかき分ける音と枝が割れる音がした。段々近づいてきている。ラテも僕の近くに来て、音のする方向を凝視している。
霧の中にぼんやりと輪郭が浮かび上がる。四足歩行の大きな生き物が、ゆっくりとこちらに向かってきている。
嫌な予感は的中した。
木々の間から現れたのは、目を爛々と光らせた野生のグリフォンだった。
体格はラテより少しだけ大きいため、オスのグリフォンだと思われる。
厳しい自然の中で生きているためか、頭部の羽の白さや体毛のつや、体つきではラテに劣るが、その鋭い視線からは、生存本能という名の闘志を刺すように感じる。
ラテの体毛がわずかに逆立つ。少し後ろにいたラテが僕の真横に並んだ。
野生のグリフォンはラテを見ていた。敵意らしいものは感じないが、それでもはち切れそうなほどの緊張感が漂う。
しばらく二頭の間で睨み合いが続いた後、野生のグリフォンはラテから視線を外し、僕を睨みつけた。
ラテを見ていたときとは違う。目が細められ、鉤爪のように曲がった黄色い嘴を薄く開け、頭をわずかに低くした。
野生の本能というものは持ち合わせていない僕でも、明確な敵意を感じる。
グルルルル……
野生のグリフォンから発せられた、空気を震わす唸り声が地を這い、僕の足に搦みついた。
生まれて初めて明確に、強大な敵意というものを向けられ、一歩も動けない。
僕が何か思う前に、ドンッと音がして大地が震えた。
ガルルアアァ!!!
ラテがグリフォンに向かって、聞いたこともない声を噴き上げた。
僕の一歩前に出て翼を大きく広げ、嘴を開け、相手より姿勢を低くし、尾で地面を叩いている。踏みしめている前脚には力が入り、地面の枯れ葉を掴む勢いだ。
ラテは僕を、大きく広げた翼の下にすっぽりと入れて隠している。
僕は動かせない体を、なんとかカクカクと動かしてラテを見た。目だけではない、全身から殺意が立ち昇っている。
その殺意は、目の前のグリフォンに向けられていた。
相手のグリフォンは頭を引いて、少し目を見開いている。ラテの威嚇に怯んだ様子だ。
しかしその様子を見てなお、ラテは威嚇姿勢を止めない。
グリフォン同士の争いは、辺り一帯が血の海と化すほど凄惨なものになると書物で読んだことがある。どちらかが死ぬことも珍しくないとか。
ラテを止めなければ。
目の前では二頭のグリフォンが一触即発の状態だ。一つ間違ったら自分も巻き込まれる。
それでもその一心で、僕はゆっくりとラテに手を伸ばす。
気が立っている今のラテに触れたら、僕でもただでは済まないかもしれない。そうだとしても、僕はラテが傷付く姿を見たくなかった。
ラテの体に触れると、彼女が発していた唸り声が段々と小さくなっていった。翼の先に至るまで込められていた力が少しずつ抜けていく。
それでも翼は広げたままだし、目線は相手のグリフォンから外さない。
相手のグリフォンは、そんなラテと僕を交互に見ている。
敵意というよりは思案しているような、戸惑っているような、そんな感じだ。
何時間にも感じられた睨み合いの末、相手のグリフォンはゆっくりと引き返し、霧の中へ消えていった。
僕はその姿が見えなくなったことを確認したとき、全身の力が抜けて、その場にへたり込んでしまった。震えが止まらず、自分の体を抱え込む。
ラテはそんな僕を見て、すっかり体の力を抜き、僕の隣に伏せると、体を密着させて翼で包み込んでくれた。
ラテの体温が直に伝わってくる。まるであやすように、小さくクルルと鳴いている。
早鐘を打っている僕の心臓が落ち着くまで、彼女はずっと側にいてくれた。
まだ昼過ぎだったが、僕たちは早々に里へ戻ることにした。
里に着くと、初日は夕方まで帰らなかった僕が疲労困憊の様子で早い時間に帰ってきたため、少し不思議そうな感じで見られた。
僕はそんなことに気を配る余裕はなく、ラテと一緒にそのまま長老の家へ直行して、森での出来事を伝える。
「野生のグリフォンが森に、ですと……!? まさか五年前の……いや、違うでしょうな。あのグリフォンはすぐに帰りましたから」
そのことですが、と僕は切り出した。
グリフォンは山や崖に巣を作り、一度に一頭しか出産しないとされている。しかし稀に双子が生まれることもあるらしく、そうなったときは体の弱い方を巣から離れた場所に捨てるという。
そしてグリフォンは三年で成体となり、五年で性成熟、つまり繁殖可能になる。
「なるほど。つまり五年前に飛来したグリフォンは、こちらの森に子を捨てに来たと。その子が育ち、繁殖期に入って凶暴化している、ということですか」
あくまで可能性の話である。
なんであれ、森の中の一帯がグリフォンの縄張りになっていることは間違いない。
今の森で一番強いのはあのグリフォンだろう。魔物たちが逃げるようにして里へ雪崩れ込んできたのも、あのグリフォンから逃げてきたからだと考えられる。
となると、事態を解決するためには、あのグリフォンに森から別の場所へ移動してもらう必要がある。
ただ、グリフォンは縄張り意識が強い生き物とされている。棲みついた場所から移動してもらうのは至難の業だろう。
ああだこうだと話し合ったが、有効そうな解決策は出なかった。
長老の家を後にして宿に戻る途中も、僕はずっとあのグリフォンをどうにかするための方法を考えていた。
歩きながら、ラテが僕に顔を寄せてきた。僕の不安を感じ取っているのだろう。
ラテの嘴や顎を撫でながら、僕はふと思い出した。
そういえば、あのグリフォンは最初、ラテに対しては敵意を向けていなかった。体格と五年前に捨てられたかもしれないという年数から、繁殖期に入ったばかりのオスだと推測していたが、もし本当なら、メスのグリフォンであるラテを繁殖相手として見ていたのかもしれない。
ちなみにラテは六歳。立派な成体だし、野生なら十分繁殖可能な年齢だ。
さらに接触する必要がありそうだが、僕には殺意を向けてきた。僕一人で森に入ったら確実に殺されるだろう。
ラテを危険な目に遭わせたくはないが、仕方がない。
一緒に来てくれるか、とラテに問いかけると、ラテはまた頭を擦り寄せてきた。その反応を見て、僕も腹を括った。明日はまた森に入ろう。何か一つでも情報を掴むのだ。
僕はラテを撫でながら、もしラテがあのグリフォンに影響されて野生に戻ることを選んだら、と頭をよぎったが、考えないことにした。
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