第四話 あるべき姿
次の日、僕はラテに乗って、また森へ向かった。昨日グリフォンに会った地点を目指して、ひたすら東へ進む。
相変わらず恐怖心は残っている。涼しい地域のはずなのに手汗が止まらない。
しかし今日はあのグリフォンに会いに行く、と分かっている。そのため、いくらかマシではあった。
結構進んだな、と思ったところでラテが足を止めた。首を傾げて周囲の音を聞き取ろうとしている。
僕も耳を澄ませると、微かに枯れ葉の上をカサカサッと走る音、そして少し遅れて重たい足音が聞こえてきた。段々と近づいてくる。
ラテが少し翼を広げると同時に僕も身構えると、目の前をイタチのような魔物がするっと飛び出して、横切っていった。
そう思った瞬間、後ろの木々の間から、地を駆けるグリフォンの巨体が現れた。目の前を跳ねるように逃げていくイタチに軽々と追いつき、前足で押さえ込むと、そのまま嘴で首に噛みついた。
イタチは少しの間キューッと苦しそうな声を出して暴れていたが、すぐに動かなくなった。
目の前でグリフォンの、ラテの狩りを見たこと自体はある。しかし殺せと指示をしたことはない。
同じように見えても、命がかかったやり取りというものは迫力が違う。僕は体が揺れるほど大きく心臓が脈打っているのを感じていた。
呆然と見つめていると、グリフォンは魔物を咥えて頭を上げた。そのとき、視界の端に僕たちが映ったのか、目線をこちらに向けた。
ラテは警戒している。以前ほどではないが、翼を広げて呼吸が荒い。
野生のグリフォンはしばらくラテを見た後、獲物を咥えたまま、ゆっくりこちらに歩いてきた。
五歩近づいたとき、ラテの表情が更に険しくなり、毛を逆立ててガルルルル……と唸り声をあげ始めた。
僕は慌てて、ラテの首元を撫でて落ち着かせようとする。
グリフォンはラテの唸り声を聞いて立ち止まり、近づくのをやめた。
そして少し間を置き、咥えていた獲物をこちらへ放り投げた。それはちょうど、ラテの一歩前に力なく落ちた。
グルル……ガウ
グリフォンはラテに向けて鳴いているようだ。
敵意は感じられない。前脚を少し浮かせたり、頭を低くしたり、軽く羽ばたいたりとそわそわ落ち着かない。
この間に少しずつ、真っ白だった僕の頭も整理されてきた。
と同時にほぼ確信した。これは求愛行動だ。
謎の多いグリフォンの生態については知られていない部分も多い。
しかし猛禽類や肉食動物の中には求愛行動の一環として、獲ってきた獲物を意中の相手に渡す行動をとる種もあるという。
今の行動はまさにそれだろう。
狩りの能力があることを示し、獲物を渡すことで献身性も伝えられる。
目の前で狩りをすることになったのは偶然かもしれないが、相手のグリフォンにとってはまたとない機会だろう。
しかしラテの態度は変わらない。目の前の獲物には目もくれず、相手のグリフォンを睨みつけている。
空気が重たい。何も起こらない、何も進まない時間が続く。
ヒュオオオォォォ……!
膠着した空気を切り裂いて、あの音が鳴った。ここは落石地点に近いからか、音がより大きく聞こえる。
ラテがピクッと音のする方に首を向けた。
対して相手のグリフォンは少し首を傾げるだけで、変わらずラテの様子を伺っている。
僕はラテを落ち着かせつつ、意識がグリフォンから逸れたうちになんとか引き返そうと促す。
ラテはしばらく迷っていたが、ややあって翼をたたみ、ゆっくりと後退し始めた。
相手のグリフォンはそれを見て一歩踏み出そうとしたが、ラテに睨まれると大人しく立ち止まった。
グルルルル……アゥ……
グリフォンの悲しげな声に胸を引き裂かれそうになりながら、僕らは里へ戻った。
里では、長老に先ほどの出来事を報告すると同時に、里の現状を伝えてもらった。
「改めて里全体で残りの水の量を確認してみたのですが、思ったより深刻かもしれません。雨水に加え、井戸の水も涸れてきている。なんとかして、川の流れを復活させないといけませんな」
そうは言っても、谷底の岩をどかす方法など僕には思いつかない。
それに、森にはあのグリフォンがいて危険極まりない。
僕が謝ると、長老は首を振った。
「いいえ、あなた様が謝ることではありません。むしろ森にグリフォンがいると分かっただけでもありがたいのです。無策で人をやっていたら、きっと怪我では済まなかったでしょう。……また里の者を集めて、知恵を出し合ってみます」
そう言ってはいるが、長老の声色からは諦めの色がにじむ。こんな状況で良い方法など、簡単に思いつくものではない。
その日、僕は重たい足取りで宿へ戻った。
夜、僕は宿でラテの手入れをしていた。
頭部の羽毛や羽についた汚れを手で一つずつ取り除き、くしで体毛を整える。
ラテは手入れのとき、いつもじっとして目を細めている。ときにはうとうとしてガクッと体勢を崩すこともある。
今日も手入れの最中に大欠伸をしていた。
手入れをしながら、ふとあのグリフォンを思い浮かべる。
体格がラテより少し大きく、求愛行動と思しきことをしてきたことから、十中八九オスだろう。張りのある体からは若さも感じられた。
しかし脚はラテより細く、胴体にはうっすらとあばらが見えていた。頭部の白い羽毛は少し黄ばんでいて、体毛にはまとまりがなかった。嘴や体には細かい傷がいくつもあった。
明日の食糧さえ確保できるか分からない自然の中で生きているのだから、当然といえば当然である。
その点、おそらく生まれてすぐの頃に僕がたまたま拾って育てたラテは対照的だ。
真っ白な羽毛、光を反射して輝く体毛、筋肉のついた脚と引き締まった胴まわり。体には傷一つなく、もちろん病気ももっていない。
自然界ではあり得ないほどの健康体だ。動物は力があったり、健康な相手を繁殖相手として選ぶという。きっとラテは、野生の目からしてもこれ以上なく魅力的に違いない。
ラテは脚を前に出して伸びをした。脚や肩、胸に、皮膚の下にある筋肉の形が薄く浮かび上がる。
それも束の間、すぐに前脚を体の下にしまって丸くなった。
ラテを見ていると、どうしてもあのグリフォンと比較してしまう。ラテは本当に、非の打ち所がないと言っていい体つきをしている。
そういえばあのグリフォン、本当に親に捨てられた個体なら、今までに自分以外のグリフォンに会ったことがあるのだろうか。
もしないなら、本能だけでラテに求愛したことになる。動物の本能というのは凄まじい。誰に教わらずとも、そのときに求められる行動を取ることができる。
もう一つ気になることがある。
ラテはどうして、あそこまで求愛に興味を示さず、なんなら敵対までしているのだろうか。ラテも自分以外のグリフォンは見たことがない。しかしあのグリフォン同様、本能は残っている可能性が高い。
僕が側にいたから? あのグリフォンに魅力を感じなかったから? 突然の行動で驚いたから?
いくら考えても、グリフォンでない僕には分かるはずがない。
それに、ラテは今幸せなのだろうか。
たまたま弱っていたところを僕が見つけて育ててしまったが、本来は野生で生まれた個体だったのだ。
もしかしたら人の手を離れて、自然の中でのびのびと暮らすことこそがあるべき姿なのではないか……。
ラテが嘴で僕の肩をつついてきてはっとする。
考え事をしていて、くしを動かす手が止まっていたらしい。
ごめんよ、と一言謝って、また体毛をとかし始める。
うとうとし始めたラテを見ながら、僕はやはり、ラテと離れることはできないと思った。
ラテ自身がその道を選ぶなら、そのときは止めないし応援する。しかし、僕からラテを手放すことはできない。
明日もまた、あのグリフォンに会いに行こう。会って、どうするか考えよう。
僕は先に眠ってしまったラテの隣に寝転んで目を閉じた。
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