第五話 龍の御神酒
いよいよ祭り当日、島のあちこちで屋台の呼び込みや、子どもたちのはしゃぐ声が聞こえるようになった。
大通りでは絶えず食欲をそそるいい匂いが立ち込め、射的の軽い破裂音が聞こえる。
しかし、大人たちの表情はどこか暗いままだ。いつ来るか分からない、原因不明の地震問題がまだ解決していないからだ。
ちなみに、祭りまでの間にも四回地震があった。
ここにきて、僕も不安になってきた。
この島自体が大蛇の体、頻発する地震は大蛇に異変が起きているから、大蛇を鎮めるために、失われた龍の御神酒を復活させて奉納する。
筋は通っていると思っていたが、やはりどこか曖昧だ。相手が神話に登場する、実在したかも分からない相手である以上、どうしてもこうなってしまうのだ。根拠が根拠にならないような気がしてくる。
周りにいる大人たちの例に漏れず、沈んだ顔をして広場へ向かう。
頭領から、祭り初日の夕方に、広場で龍の御神酒を作り始めると聞いていたためだ。
純粋に祭りの雰囲気や屋台を楽しんでいる人たちもいるが、それに混じって微かに疑念の声が聞こえてくる。
「……いきなり御神酒とやらを復活させるって、どういうことだ?」
「そんなんで解決になるのか?」
「頭領は何を考えているんだ……?」
島民たちは皆、原因不明の地震の解決を願っている。いきなり「龍の御神酒を復活させます」と言っても、「だからなんだ」「他にもやることがあるだろう」という意見があるのは至極当然だ。僕だって当事者ならそう思う。
しかも、この一件の片棒を担いでいるのは自分だ。改めて心に、島民の生活という重圧がのしかかってくる。僕は軽くため息をついた。
既に広場では舞と演奏が始まっている。
一段高い舞台の上で、数名の踊り手が舞っている。舞台を囲むように演奏者が並び、抑揚のある音楽を奏でている。
「あ、お疲れ様です!」
広場にいた頭領が気づいて声をかけてきた。
「早くにお呼びたてしてすみません。一応、夕方からの流れを説明しておこうと思いまして」
それは願ってもないことだ。
「といっても、初日にやることは、日が傾き始めたら、樽に切った果実と雨水を入れて、祠の前に置くだけなんですが」
どうやら、頭領の家の倉庫に酒樽と思われるものがあり、それを使うらしい。
雨水は各家庭からかき集め、果実も頭領の息子が取ったあの日から、大切に保管されていたようだ。
樽に材料を入れておくだけで酒になるのか、甚だ疑問ではあるが、そうするように書いてあったのだから、そうするしかない。神話の御神酒なのだから、何かしら常識では理解できない部分があっても別におかしくないだろう。
「そういえば、果実の切り方に細かい指定があったようなんですよ」
頭領は果実を取った日の翌日、当時の祭りを知っている人のもとに片っ端から訪れ、話を聞いたそうだ。
頭領の家で見つけた祭りについて記した紙には果実の入れ方には特に記載がなかったのだが、なんとなく不安に思って確認したくなったのだそうだ。
その結果、果実は刃物で皮を八枚に広がるように剥いて、中の実も皮と同じように八等分し、一つずつ酒樽に入れていくそうだ。また、「皮は決して切り離してはいけない」と真剣な表情で念を押されたとか。
この島が八つの首をもつ大蛇だとすると、皮や果実を八等分するのは大蛇を象徴しているのだろうか、と直感的に理解できる。皮を切り離してはいけない、ということから八枚の切り離した皮を大蛇の首、繋げたままの根本を胴体に見立てている可能性が高い。
「関係者には既に伝えています。なんか、妙にすんなりと受け入れてくれた様子でしたよ」
どうやら初日の舞には、夕方あたりで広場の端に集まり、祠までの道を作るような振り付けがあるらしい。
龍の御神酒があった時代の祭りを知っている人たちにより、その振り付けのときに奉納が行われるんだとか。
「二日目は特に何もありませんが、最終日の夜には僕が、できた御神酒を祠に納めます。舞と演奏を終えたら、集まった島民全員で御神酒をいただきます」
それをもって、祭りは終了とするらしい。
話してくれた頭領の顔には、心なしか緊張が滲み、先ほどから頻繁に汗を拭っている。頭領自身は、若い頃に先代頭領を亡くしており、当時の祭りの記憶があやふやだと言う。
「そういえば、不思議な話がありましてね。御神酒は大量にできるので、三日三晩置いていても、最終日に島民全員でいただいても無くならないんですよ。でも祭りが終わると、残った酒は翌日には全て消えてしまうそうなんです」
子どもの頃、そんな話を周りの大人がしていたらしい。
お酒なのだから、普通の水よりは蒸発しやすいと思うが、そういう問題でもないのだろうか。確かに不思議な話である。
頭領に勧められ、夕方までは祭りを楽しませてもらうことにした。
ここのところずっと仕事で、遊ぶ暇なんてなかったからありがたい。
宿に待機させているラテの様子も気になる。人の多く集まる祭りに連れてくると、周りの人たちを驚かせてしまうと思って連れてこなかったのだ。
といっても、僕たちがこの島に来てからもうそろそろ一週間経つので、いらぬ心配だったかもしれない。
広場から離れ、屋台を見て回る。
子どもたちが射的や魚救いに興じ、若い頬を染めた男女が手を繋いで歩いている。
さすがに屋台で遊ぶ年ではないな、と思いながら歩いていると、串に刺した飴を売る屋台を見つけた。
「大陸から仕入れた果実飴だよ! 繊細な飴と果汁の組み合わせ、ぜひ楽しんでいってくれ!」
そんな呼び声に惹かれて屋台を覗く。売られている果実飴は、思っていたより大きかった。手のひらくらいの大きさで丸々としていて、光を受けて赤く、艶々と輝いている。
自分とラテ用に二つ購入し、飴が溶けないうちに、足早に宿へ向かった。
宿に戻ると、ちょうどラテが起き上がって欠伸をしていた。昼寝をしていたようだ。落ち着いて過ごせているようで何よりである。
飴を見せると、最初は眠そうにしていた目が見開かれた。一気に元気になって、早くくれと前足で宙を掻く。
串に刺された状態だと食べにくいだろうからと、飴を串から外して皿に置く。ラテは最初、尖ったくちばしが飴で滑り、食べにくそうにしていたが、一度飴に亀裂が入ると、そこから器用に食べ始めた。しゃくしゃく、ぱりぱりと小気味よい音が響く。
その様子を見て、自分も飴をかじる。飴が大きく割れてしまい、落とさないように苦戦しながらも、飴の甘さと、歯応えがありつつ果汁で満たされた果実の自然な甘さを楽しんだ。
夕方になったので広場へ向かう。
結局、祭りで買ったのは果実飴だけだった。あの後少しのんびりしてから祭りへ戻ったのだが、昔ほど祭りの雰囲気にときめかなくなった自分に寂しさを覚えた。
広場には、既にかなりの人が集まっている。龍の御神酒復活の噂を聞いて、例年より広場に来る人が増えたらしい。魚人たちの姿もたくさん見える。
舞を鑑賞しつつ、無意識に拳を握りしめる。
これがうまくいかなかったら、うまくいったとしても何も解決しなかったとしたら、背中を嫌な汗がつたう。
一際目立つ鈴の音が響いた。
それを合図にしたように、踊り手たちが左右にはける。彼ら、彼女らもなんとなく表情に固さが見える。疲労だけではないだろう。
広場の中央には大きな酒樽。そして頭領が広場へ上がり、祠を見るようにして酒樽の前に立つ。手にはこれまた大きな水桶と例の果実。腰に短刀らしきものを差している。
頭領は祠に向けて一礼すると、果実を壇上に置き、水桶を抱えた。
かなりの重さで手が震えているが、ゆっくりとこぼさないように、酒樽に移しきった。見ていた島民から小さな歓声が上がる。
水桶を地面に置くと、果実を手に取り、短刀を持った。
ここからでも頭領が一つ息をついたのが分かった。
このとき、頭領は幼い頃の記憶を思い出していた。断片的ではあるが、祭り前日の父との思い出だ。
興味津々で果実を見ていた自分に父が言った。
「分かっていると思うけど、絶対に食べてはいけないよ」
「おみきに使うから?」
「もちろんそれもある。けれどこのまま食べると、子どもも大人も眠ってしまうそうだよ」
何歳の頃かは覚えていない。具体的なことはあまり話さなかった父だが、伝えようとしてくれていたことがあったのだ。
伝統は完全に途切れたと思っていたが、自分の中にも途切れ途切れながら残っていたことに感慨深さを覚える。
彼は集中しなおすように軽く頭を振り、口を引き結ぶと、ゆっくりと果実に刃を入れる。硬い果実のようだ。力の入れ方を間違えれば、刃が滑ってしまう。観衆も息を止めて見守っている。
やがて、刃が皮に食い込んだ。頭領は慎重に、実を傷付けないように皮だけを八方向に切っていく。やがて薄橙色の皮が綺麗に剥かれ、花のように頭領の手元で広がった。
その後、中から真っ赤に熟れた果実が現れた。そういえばふと、建国神話では「龍の火酒」と呼ばれていたな、と思い出した。これは果実の色に由来した呼び方だったのかもしれない。
頭領は果実を手で持ったまま八等分に切り分け、一つずつ酒樽の中に落としていく。
果実を全て入れ終わると、頭領は短刀を腰につけた鞘にしまい、もう一度祠に一礼して、水桶と果実の皮を持って広場から降りた。
そのときになって、周囲で演奏が続いているはずの音楽が耳に入っていなかったことに気付いた。
観衆が息を吐き、どこからともなく拍手が起こった。
「はぁ〜」
降りてきた頭領を見つけて近くに寄ると、彼は大きな息を吐いた。
「立派でしたよ」
「お父さーん!」
「お父さんすごいね!」
彼の妻と子どもたちに出迎えられ、彼は優しい笑みを浮かべた。
「終わってみれば、気負っていた割には拍子抜けでしたね。まあ、無事に終わってよかったです」
そう言って笑う頭領。
「ああ、まだまだ拙いが、やりきったな」
突然、聞き覚えのある声がした。振り返ると老人が立っている。蛇神伝説を語って聞かせてくれた、あの老人だ。
「お祖父様」
頭領の妻が言った。どうやら彼は頭領の妻の祖父、頭領の義祖父にあたるらしい。そして、頭領に昔の祭りについて話したのは彼だそうだ。
ちなみに、前訪ねたとき最初に出迎えてくれた女性は、頭領の妻の母、つまり頭領の義母だ。
「よくぞ、復活させてくれた。ありがとう」
老人が言ったのはそれだけだったが、言葉の数以上の重みがあった。
頭領は無言で頭を下げ、老人が立ち去るのを見送った。
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