第三話 蛇神伝説
老人の家へ向かいながら、僕は今までの情報を頭の中で整理していた。
地震が起きたとき、真っ先に避難すべきは丘のふもとに住む人たちだ。
あの様子では、いつ土砂崩れが起きてもおかしくない。
加えて、海沿いや川沿いに住む人たち。
もし大波が起きて川が増水、氾濫でもしたらひとたまりもない。
詳しい地質調査はできなかったが、度重なる地震で地盤が緩んでいる可能性も大いにあることを考えると、高い場所に住んでいる人たちも安全ではない。
そしてこの島の信仰。
島民たちにとって、大蛇はただの恐怖の対象ではなさそうだ。
気になるのは、あの老人が言った『蛇神様のお体』という言葉。
『蛇神様』という呼び方からは、大蛇を本気で敬っているように感じる。
これに水中からこの島を見た結果を加えると、ある一つの恐ろしい仮説ができた。
『蛇神様のお体』という言葉が、ただの迷信でも、比喩でもなかったとしたら。
事実をそのまま述べたものであったなら。
薄い岩は大蛇のウロコ、尖った三角形のものは牙、八本の道それぞれが大蛇の首、一本の道に二つずつある間欠泉は鼻だ。
そうすると、川に流れている魔力が大蛇のものだとする信仰にも納得がいく。
問題の地震についても、この大蛇と関係があるように思えてきた。
地震が、何かのきっかけで大蛇が目覚めようとしている兆候だとしたら、一大事だ。
島にいる人たちは確実に無事では済まない。
とにかく、続きは老人に話を聞いてからにしよう。
年季の入った様子の家が見えてきた。
敷地の少し手前に降り立つと、家から一人の女性が出てきた。
どうやらあの老人の娘らしい。
事情を話して老人に取り次いでもらう。
出てきた老人は、庭にある椅子に座って話をしようと言った。
「ちいとばかり重い話ですからな。外で話す方が気楽でいいでしょう」
そう言って『蛇神伝説』について話し始めた。
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昔々、八本の首をもつ大蛇に守護された島があった。
大蛇は日照りが続けば雲を呼んで雨を降らせ、嵐が来たときにはその身を挺して島を庇い、人々と共存していた。
島民たちはそんな大蛇を親しみと尊敬を込めて『蛇神様』と呼び、漁で獲れた魚や作った酒などを捧げていた。
また、実りの時期には舞と祈りを奉納した。
あるとき、豊かな海の資源と領土を求めて、大陸から大勢の兵士たちが攻めてきた。
ときには大蛇がその体で大波を起こして船を沈め、島民たちは大蛇の上に乗って矢を放った。
大蛇と島民たちは一丸となって戦ったが、苦戦を強いられた。
島民の数は少なく、相手の数は多かった。
少しずつ、確実に、犠牲になる島民たちが増えていった。
これ以上戦っても意味がない、と島民と大蛇が結論を出したときには、木々は焼き払われ、地形はえぐれ、住宅は焼け落ち、島は悲惨な状態だった。
とても住み続けることはできなかった。
大蛇は自分の体を島の代わりとなる新しい土地として提供することを決め、長い眠りについた。
こうして戦争は終結。
島は国の領土となった。
敗者となったが、国は大蛇の強大な力を恐れ、島民たちを無碍に扱うことはしなかった。
人々は最後まで人に寄り添い続けた蛇神の意思を尊び、この島を『蛇神様のお体』として、舞と祈りを奉納する儀式とともに後世まで伝えていくことを決めた。
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「……とまあ、こんな感じですな」
この島自体が大蛇の体そのもの、という仮説は当たっていたようだ。まさか本当に超常的な存在を相手にすることになるとは。僕は頭を抱えた。
「今でも舞は奉納しておるのですが、不幸なことに先代の頭領が病気であっけなく逝ってしまいまして。今の頭領に、正しい知識を引き継げていないようなのです」
正しい知識というのは、毎年捧げていたという『龍の御神酒』のことだ。
『蛇神伝説』や建国神話で火酒として登場する特別なお酒らしい。
その製法は頭領の家系が、代々厳重に保管しているとのこと。
なんでも、作り方を間違えると島が炎に包まれると言われているとか。
「先の頭領が飲みの席でよく言うとりましたわ。『蛇神伝説』は今の若いもんにとっては知らなくてもいいことなんじゃないかと。勝者が歴史を改ざんすることなんて、よくあることだ、下手に国に対する反感を煽っても良いことはないってね」
老人は困ったものを見るような、でも愛おしいものを見るような複雑な表情で島を見やりながら言った。
「それでも、わしは違うと思うのです。隠すよりも、全てを知った上でどうするべきか判断したらいいと。間違っていたとしても、それもまた貴重な経験になるはずです。……あなたが、グリフォン殿と協力して地を駆け、空を飛ぶ姿を見て、蛇神様とわしらの祖先の在り方を見たような気がしたのです」
老人の家を出た後、僕はすぐさまラテに乗って頭領の家に向かった。
事態の解決方法が見えてきたときの、独特な高揚感を感じながら。
「どうされました?」
出てきた頭領に『蛇神伝説』の話を伝え、『龍の御神酒』について尋ねてみた。
案の定知らなかった様子で、かなり驚いていた。
先代の頭領が隠していたものや、話していたことに心当たりはないか聞くと、頭領は少し考えて答えた。
「そうですか……。少し待っていてください」
思い当たることがあるのか、頭領は足早に別の部屋へ向かった。
しばらくして戻ってきた彼は、細かな装飾が施された小さな箱と鍵を持ってきた。
「これは私の父、先代が生前に、『正式に隠居するときに中身を教える』と言っていたものです。鍵だけでなく、箱の装飾も解除するための仕掛けになっています。子供の頃の私は、我慢できずによく装飾をいじっていました。鍵は父が持っていたので、とうとう開くことはありませんでしたが」
説明しながら、カチャカチャと手際よく周りの装飾を解除していく。
鍵穴が見えたところで鍵を差し込み、ゆっくりと回した。
カチャリ、と小さな音がして蓋が開いた。
中にあったのは一枚の黄ばんだ紙。
ところどころ滲んでいるが、文字がびっしり書かれていることが分かる。
「古代文字……」
頭領がつぶやいた通り、書かれている文字は現在使われていない古い文字だ。
ここまで来てふりだしに戻された感じがする。
絶対に何か手がかりがあると意気込んでいただけに、ショックも大きい。
「いや、もしかしたら……」
頭領はそう呟くと、また奥の部屋へと向かった。
しばらくして、彼は妻と一緒に戻ってきた。
「妻は語り部の家出身です。大昔の出来事を語り継いできた家系ですから、古代文字のこともある程度知っています」
どうやら、特に彼女の祖母が古代文字に明るかったらしい。
祖母が所有していた大量の本の中には、古代文字で書かれたものがあり、子どもの頃は一緒に翻訳して読んでいたそうだ。
翻訳には時間がかかると言われたので、待っている間に僕と頭領は色々なことを話した。
まずは大きな地震が起きたとき、想定される被害と避難経路。
また、蛇神が目覚めるなどで人々が島に住めなくなったとき、希望者は大陸の方に移り住むことができるよう計らうつもりだ。
僕は調査機関の中でもまあまあ良い立場にいるし、これくらいはできるだろう。
ここからは僕と頭領の趣味が混ざった話になるが、建国神話と『蛇神伝説』の答え合わせだ。
この島が大蛇の体そのものになっていることがほぼ確実になり、島民たちが大蛇を敬っていることが分かった今、正しく歴史を伝えているのは『蛇神伝説』の方である可能性が高くなってきた。
しかし、建国神話も全くの嘘ではない。
大蛇が大波を起こす力をもっていることや龍の火酒といった内容は『蛇神伝説』と重なる。
「翻訳できましたよ」
頭領の妻が声をかけてきた。
「ただ、ちょっと……。一部しか翻訳できなかったのと、内容が曖昧で分かりにくいです」
儀式や舞については、現在まで行われているものと同様だったので省略する。
『龍の御神酒』についての記述は以下の通りだ。
『人と大地を守護し、雲を呼び、荒波を起こす蛇神に捧げる神酒は、陸・空・海の力をもったものでなければならない。すなわち、空よりもたらされる恵みの雨、海の力によって大地に根付く果実を用意せよ。人の奏でる音とともに、三日三晩奉納せよ。』
「なるほど、前半はそのまま雨のことでしょう。海の力によって、のくだりですが……」
頭領に案内されて家の裏手に回る。そこにはさまざまな木々が青々とした葉を広げていた。ところどころ、果実をつけている木もある。
頭領が、一本の薄い橙色をした果実がついている大木を指し示した。
「この木だけは特殊なんです。定期的に海水をやって育てるように、と伝え聞いております」
雨と海水で育つ果実。確かにぴったりだ。
しかし、この木の幹はつるつるで途中に枝はなく、登ることができない。
皆で思案していると、頭領が言った。
「まさか幹に登っていたわけではないでしょうね。……もしかしたら、倉庫に何か残っているかもしれません」
彼は家の隣にある古い倉庫に案内してくれた。立て付けが悪くなっている引き戸を、力を込めて開けると、その反動で倉庫の中に埃が舞った。
頭領は倉庫に入ると、さまざまな物が無造作に積み上げられている中を漁り始めた。
ややあって、彼は奥に眠っていた木製の梯子を手に取った。複数本あるところを見るに、繋げて伸ばすことができる梯子なのだろう。
頭領が嬉しそうに、手にした梯子を持ち上げてこちらへやってきた。
「やっぱりありましたよ! これだけあれば、あそこまで届くと思います。おそらく昔はこれで……あ」
長い間使われていなかった梯子は朽ちており、地面に立てかけた瞬間にピキッと乾いた音がした。嫌な予感がして一応確認してみると、亀裂の部分からささくれが浮いてしまっている。
さらに念のため、頭領が梯子を倉庫の壁に立てて慎重に足をかけてみたところ、ぼろっと呆気なく崩れてしまった。
「どうしましょう……。これじゃあ振り出しに戻ってしまいます。作り直そうにも、もうそんな時間はありません」
落ち込んでしまった頭領をしょうがない、と慰めながら、僕は代わりに果実を取ってくる方法はないかと考えた。
そこで、僕はラテを呼んできた。ラテに頼み、果実を回収してきてもらおうと考えたのだ。
しかし、大木の近くに来たラテはなんだかソワソワとしていて、その場でぐるぐる回って落ち着かない。一定以上樹に近づこうとしていない。
ラテがこういう反応をするときは相場が決まっている。この樹が怖いのだ。
僕は何も感じないが、ラテは強い大蛇の魔力でも感じ取っているのかもしれない。
僕は頭領に許可を得て大木に近づく。ラテの視線を感じながら樹に触れてみる。何も起こらない。
自分が行動することで、ラテに安全だと示すのが一番だ。
ラテはおっかなびっくりといった様子で近づいてきた。心なしかいつもより尻尾が垂れているし、首も下がっている。
あとはラテに取ってきてもらうだけだ、と思ったが僕は少し引っかかるものを感じた。
僕とラテはこの島の者ではない。大蛇との繋がりは何もない。
大蛇に奉納する御神酒、そんな重要なものの材料を余所者が取ってもいいのか?
一応頭領に聞いてみる。
「う〜ん、言われてみれば……。ですがそんなことを大蛇様が気にしますかね?」
結論、分からない。
しかし念には念をというもの。
こうなったら頭領がラテに乗り、果実を取ってきてもらうのがいいだろう。
「あ、私ですか……」
頭領の目線が明らかに泳いでいる。なぜそんな微妙な反応なのだ。
「……僕がやりたい」
頭領たちの後ろから小さな声がした。そこにいたのは頭領の息子だ。
「あ、いつの間に! わがままを言うんじゃありません」
頭領の妻が息子を抱えようとしたが、頭領が静止した。話をさせてみようということだ。
「……僕だって、いつかとうりょうになるし、島に住んでるからやってもいいでしょ? 大蛇様を助けるんでしょ?」
自信がついてきたのか、段々声が大きくなっていく。
「それにパパ、『高い所がダメ』って言ってたじゃん」
「お、おい!」
なるほど、頭領のさっきの微妙な反応のわけはこれか。
そして、幼いながらなんという責任感。次期頭領として、彼なりの覚悟が見える。
こうなったら悩むだけ無駄だ。彼は引くつもりはない。
彼に果実を取ってきてもらおう。
頭領の息子に、ラテに乗る際に気をつけることを伝える。急に大声を出さない、体毛や羽毛を強く掴まない、羽を触らないなど。
彼はワクワクした気持ちを抑えられなかったようだが、真剣に聞いてくれた。
さて、いざラテに乗せてみる。
ラテは僕以外の人を乗せることには慣れているが、彼は固まってしまった。
分かる。初めてだと意外と視線が高くて驚く。それにラテが歩いたり飛んだりすると背中の筋肉が動くから、少しバランスを取りにくくなる。
しばらくは乗った状態でラテを歩かせて、背中の感覚に慣れさせる。
体から余計な力が抜けて、自然体になってきたところでいよいよ飛んでみる。いきなり樹上まで行くのは怖いだろうから低空飛行だ。飛行に慣れるのにもかなりの時間を使った。
気付けば空が薄橙色になっている。暗くなってからの飛行は危険だ。
時間の都合で、一度果実を取りに行ってみることにした。失敗しても大丈夫、まだ時間はある、と何度も繰り返し伝えた。頭領たちは万が一に備えて大木の下に布団や衣類などを敷き詰め、近所から応援も呼んできた。正直頼りないが、無いよりマシだろう。
ラテが飛び立ち、緩やかに上昇していく。頭領の息子はラテの背中に伏せている。
果実が取れる高さまで来たが、手を伸ばさないと届かない。
「下を見ない……。下を見ない……」
呪文のように唱えながら彼はゆっくり手を伸ばし、片手で果実を掴んだ。
しかし思ったより頑丈だったようで、なかなかちぎれない。飛んでいる状態で両手を離すのは危険だ。そこまでは考えていなかった、いや、考える余裕が無かった。
その様子を見たラテが一声鳴いた。そして、ゆっくり大木から遠ざかり始めた。
下からざわめきが起きる。
このままだと、ラテたちが布団を敷いた範囲から出てしまう。もし頭領の息子がラテの背中から落ちたら、一大事では済まない。
彼は冷や汗をかきながらも、必死で果実を離すまいとしている。
やがてブチっと音を立てて、果実が取れた。
「ヒヤヒヤしました……」
頭領が大きく息を吐いた。
全く同感だ。ラテが布団を敷いた範囲から出たときはどうなるかと思った。
ラテが降り、頭領の息子が手にした果実を見せたとき、見守っていた人たちから歓声が上がった。
彼の母親は真っ先に駆け寄り、息子を抱きしめた。彼も母の腕に顔を埋めていた。
「本当に、感謝のしようもありません。」
頭領が僕たちに頭を下げてきた。
「なんとお返しをしたらよいものか……」
僕にとっては仕事の一環であり、ここまで感謝されることではないと思ってしまう。それに、まだやることは残っている。
これから頭領たちは、龍の御神酒を作るための準備に取り掛かるそうだ。
頭領の息子はしばらくラテから降りたくないと言っていたが、両親と姉に諭されてしぶしぶ背中から降りた。
僕はこの後、魚人の青年との待ち合わせがある。
何度も『ありがとう』と言う頭領夫妻、大きく手を振る島民たち、そして誰よりも爽やかな笑顔をした頭領の息子に見送られながら宿に向かった。
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