026話
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2人と別れた帰り道、俺はそのままバイト先の喫茶店へ向かった。今日は嫌な予感がしている。理由は分かっている……常連客にエニシングの配信を見られていた件だ。
あの喫茶店の常連たちは、基本的にゲームはやらないのに、やたらと敏感だ。というより、暇さえあれば人の話に首を突っ込んでくるタイプの人種である。
嫌な予感しかしない。
店の前に着くと、いつもの木製ドアがやけに重く見えた……今日は平和であってくれ。そう願いながら扉を開ける。
カラン
ドアベルの音と同時に、視界に飛び込んできたのは予想を軽く超えた光景だった。
明らかに多い……普段は5人から8人ほどの常連客が、数えてみれば14人。
店内の空気がいつもより賑やかだが、喫茶店の……マスターの空気を壊さない程度のにぎやかさだ。
その瞬間、
「おぉ、今日の主役がきたぞ」
最初に気付いた常連客が声を張り上げると、一斉に視線が集まり、次々と飛んでくる声。
「お疲れー」
「昨日のレアウルフどうだった」
「薙刀貯金進んでるー?」
「フレア君今日も配信するんでしょ?」
好き勝手言われるが、俺はとりあえず軽く手を上げて挨拶だけ返す。ゲームはしないのに、なんで話題にできるのやら。
からかい系の発言はスルーだ。こうなる予感はしていたが、実際にやられると人数が多すぎて圧が強い。
着替えてバックヤードに入ると、マスターがいつも通りの落ち着いた顔でカウンターに立っていた。
「今日はずいぶん賑やかですね」
そう言うと、マスターは眼鏡を軽く上げて微笑む。
「ええ。実験台の方がたくさんいますので、今日は思う存分コーヒーを淹れる練習ができますよ」
実験台という単語が普通に出てくるあたり、この店はやっぱりどこかズレている。
とはいえ、コーヒーは一応商品だ。
俺の淹れる分でも料金は発生している。ただし原価に少し労働分が乗った程度で、マスターのコーヒーと比べると半額以下になる。マスターが横で監修しているので品質は最低限保証されている。
常連客もそれを分かった上で飲みに来ている。むしろ違いを楽しんでいる節すらある。
カウンターの奥から、常連客の1人がカップを傾けながら言った。
「おぉ、先週よりちょっとマスターの味に近付いてない?」
マスターも一口飲み、静かに頷く。
「確かに改善されていますね。ただ、少し香りが弱いです」
言われてみても、味に関しては正直よく分からない。だがマスターのコーヒーと比べると、確かに香りの立ち方が違うのは感じる。
同じ豆を使っているのに、ここまで差が出るのは不思議だ。
マスターがコップを置きながら言う。
「同じものを続けていると、どうしても感覚が鈍ることがあります。今日は常連の皆さんにもお伝えしていた通り、紅茶に切り替えましょうか」
その言葉に、店内が少しざわつく。
「待ってました」
「紅茶好き」
「今日は当たりの日だな」
マスターはコーヒーだけでなく紅茶も一流だ。
紅茶の方が再現性が高いと言われるが、それでもここまで安定して淹れられる人は珍しい。
常連客の1人が嬉しそうに言う。
「コーヒー苦手だから今日は楽しみにしてたの。マスターとフレア君の紅茶、楽しみ」
マスターが茶葉を取り出す。俺も横に立ち、手順を確認しながら動き始めた。
同じ茶葉、同じポット、同じケトル、同じ湯量……条件は全て同じだ。
それでも違いが出る。香りの立ち方、湯の落とし方、蒸らしの時間……ほんのわずかな差が、味を変えていく。
常連客の1人がカップを見つめながら呟く。
「不思議よね。全部同じに見えるのに、味や香りが違うなんて」
マスターは静かに言った。
「言葉は違いますが、見取り稽古だけでは本質には届きません。私にも師匠がいますが、未だに追いつけていないと思っています」
マスターの師匠……もう亡くなっているらしいが、一体どれほどの人だったのか。
考えかけたところで、常連客の1人に、
「フレア君、ぼーっとしないで、紅茶に合わせるスイーツをお願い」
「あ、了解です。今日アールグレイですよね? ブルーベリージャムがあるのでホットクレープでいいですか?」
その瞬間、常連客たちが一斉に反応する。
待て待て! 勝手に増えるな……結果、2人分の予定が7人分に増えた。残りの7人はマスターの奥さんが焼いたガトーショコラを出した。
それを見ていた一部常連が文句を言う。
「フレア君の手作りがいい」
無視だ。マスターの奥さんのガトーショコラ、美味いだろ。
俺は調理場へ移動し、クレープ生地を焼き始めた。焼き終わった生地に、バターを多めに使い、薄く伸ばしてなじませる。折りたたんでさらに軽く火を入れて香ばしさを出す。
最後にブルーベリーのジャムソースをかけて完成。
お腹には重くないが、バターの香りで満足感は強い。出来上がった皿を並べると、常連客たちが一斉にフォークを入れる。
「初めて食べるけど、美味しいわね」
「もう少し甘さがあってもいいな」
その評価に少しだけ肩の力が抜ける。
ふと気付けば、会話の流れがいつの間にか変わっていた……エニシングの話題だ。
ゲームを知らない人間特有の、変なところだけ見る視点。
その中で誰かが言った……チャンネル教えてもらっていい?
気付けば、何人かがマルチギアで俺の配信ページを共有している。店の中で視聴者が増殖していく謎現象。
いや、ここ喫茶店だよな? そんな疑問を抱えながらも、俺は次の紅茶を淹れる準備に追われていた。
気付けば閉店時間。
コーヒー、紅茶、スイーツ、雑談、そしてエニシングの話……疲れた。
マスターが静かに言う。
「今日もいい練習になりましたね」
「練習というか、修行でしたけどね」
軽くため息をつきながら店を出る。精神的疲労だけが重く残っている。俺は夜の帰り道を歩き出した。
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