018話
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時計の針が15時へ近付いた頃、入口のベルが鳴る。
「いらっしゃいませ」
反射的に声を出しながら視線を向けて――俺は固まった。
綾乃さんがいて、その後ろに友達らしい女性が6人、そして最後の1人……満面の笑みを浮かべている人物を見て、全てを理解した。
「姉貴……」
いい笑顔だった。絶対にわざとだ。
昨日ハジメから綾乃さんが来ると聞かされた時、姉貴から連絡がなかったのもそのためだろう。俺の反応を見たかっただけだ。
「その顔見たかったんだよね」
ため息しか出ない。
店内の常連客たちから笑いが漏れる。ちなみに昼にいたメンバーとは別だ。どこから聞き付けたのか知らないが、常連客ネットワークによって情報が伝わったらしい。
暇人しかいないのか?
「これが弟君か」
「思ったより普通だね」
友達6人が興味深そうにこちらを見てくる。顔だけは知っている。大学内で姉貴と一緒にいるところを何度か見たことがあるからだ。ただ話したことはない。本当に顔見知り程度だった。
「席へどうぞ」
案内すると、8人はまとまって座った。普段の店内とは少し違う雰囲気になった。
綾乃さんが笑う。
「フレア君、コーヒーと、コーヒーに合う何かをお願い」
「丸投げですか?」
「信頼してるの」
再び常連客たちが笑った……完全に見世物扱いである。
俺はマスターへ視線を向けると、マスターが穏やかに微笑んだ。
「フレア君、コーヒーは私が用意しますので、君はおやつの時間に合いそうな物を用意してください」
「分かりました」
8人分のコーヒーは、それだけでもかなりの手間だ。8杯同時に提供することを考えると普通は大変だと思う。
だがマスターなら問題なくやってしまう。
俺は頭を回転させた。コーヒーに合う物……今から作れる物で、この店らしい物。
「あんこは好きですか?」
友達6人へ聞く。全員が頷いた。
予想通りだった。
姉貴と綾乃さんには聞かない。好きなのを知っているからだ。
「マスター、どら焼き作っていいですか?」
「構いませんよ」
許可が出た。近くの常連客たちも納得したように頷いている。
「あれなら間違いないな」
「久しぶりに食べたくなった」
「羨ましい」
この喫茶店では、どら焼きは半ば定番になりつつあるが、特別な秘密があるわけじゃない。生地は何度も試作を重ねた結果、生まれたものだが、本当に凄いのは中身だった。
マスターの奥さんが作るあんこ。羊羹にも使われている店の名物だが、コーヒーに合わせて調整された甘さは、そのまま食べても美味い。どら焼きにしても当然美味しかった。
生地を焼きながら準備を進め、ふと、思い付いて小さな細工をした。あんこへ塩をひとつまみ……ほんの少しだけ混ぜ込む。
奥さんのあんこは甘さ控えめだ。だからこそ少量の塩で豆の甘みが引き立つ。やりすぎると台無しになるので、本当に少しだけ。
それを丁寧になじませる。
焼き上がった生地へあんこを乗せ、1枚で包むように挟んで完成だ。
ちょうどその頃、マスターも準備を終えていた。
「タイミングも完璧ですね」
8人分のコーヒーとどら焼きを運ぶ。テーブルへ並べると、小さな歓声が上がった。
「わぁ」
「美味しそう」
「変わったどら焼きだ」
みんな嬉しそうだった。俺は少しだけ安心する。
まずはコーヒー……恐る恐る口を付けた友達の1人が目を丸くした。
「え?」
続いて別の人も飲む。
「何これ」
「美味しい」
「飲みやすい」
この光景は何度も見ている……マスターのコーヒーは不思議なのだ。
コーヒーが苦手な人でも飲めてしまう。そのせいで常連ではないのに何度も来店する人もいる。姉貴も驚いた顔をしていた。
「チェーン店のドリンクも美味しいけどさ」
「これ、また違う美味しさだよね」
「ねぇ、フレア。なんでこんなにおいしいの?」
「残念だけど、俺にもそれが分からないんだよな。色々教えてもらってるけど、全然分からない」
マスターを見ても、本人は微笑むだけだった。
質問攻めにされても同じだ。何も教えてくれない。いや、教えてはくれているけど、核心部分が理解できない。
そんな感じだった。
会話を続けながら飲み進めていくと、今度は別の驚きが起きた。
「あれ? 味変わった?」
その言葉に全員が頷く。
マスターのコーヒーは時間が経つと味が変わるのだ。嫌な変化ではない。むしろ別の美味しさが現れるから不思議だ。
「何で?」
「知らん、俺も知りたい」
店内に笑いが広がった。どら焼きも好評だったが、1人分はそれほど大きくない。だから食べ終わる頃には少し物足りなくなる。
「何か追加で欲しいかも」
姉貴が言うが、時間的に新しく作るのは難しい。そこで俺はマスターへ提案した。
「クッキーどうです?」
「そうですね」
マスターが棚から取り出したのは奥さん手作りのクッキーだった。そして今のコーヒーの状態に合う種類を選んでいるらしい。
相変わらず意味が分からない。だが結果は分かりやすかった。
「これも美味しい」
「止まらない」
店内は賑やかだった。だけど騒がしくはない。
静かに騒がしい……矛盾しているようだが、この喫茶店にはぴったりの表現だと思う。
その後もしばらく、俺は姉貴と綾乃さんにからかわれた。友達たちにも質問攻めにされ、常連客たちからも弄られた。
「愛花ちゃんの弟だからなぁ」
「苦労してる顔してる」
「将来有望だ」
精神的に疲れた……本当に疲れた。ようやく帰る時間になった時には、心の底から安堵したほどである。
「ごちそうさま」
「また来るねー」
「今度はゆっくり来よう」
8人が店を出ていく。最後に姉貴だけ振り返り、
「楽しかった」
満足そうだった。本当に勘弁してほしい。
その後の閉店までは平和だった。常連客も帰り、客足も落ち着く。片付けをしながらマスターが微笑んだ。
「いいお客さんたちでしたね」
「よかったです」
「雰囲気を壊すような方々ではなくて安心しました」
大丈夫だとは思っていた。それでも店主としては万が一を考えていたのだろう。
「何もなくて良かったです」
平和が一番だった。閉店後、俺は家へ帰宅して、玄関を開けた瞬間だった。
「おかえりー」
嫌な予感がした……リビングには穂乃果がいて、妙に楽しそうだ。
「姉ちゃんから聞いたよ! お兄ちゃんがお店で頑張ってたって」
「普通に働いてただけだ」
「どら焼き作ったんだって?」
ニヤニヤしている。絶対面白がっている。
「モテモテだったらしいね? 囲まれてたらしいね?」
「語弊しかない」
「お姉ちゃん楽しそうだったよ?」
「だろうな」
俺がため息を吐くと、穂乃果は満足そうに笑った。
「みんなに愛されてる証拠だね」
「絶対違う」
だが穂乃果は聞いていなかった。
その後もしばらく絡まれ続け、ようやく解放された頃には今日一番疲れていた。姉貴たちが帰った時よりも……
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