第75話 異常発生
side ティア・ショコラティエ
少々時間は前後する。
施設運用のための事務仕事をしていた私の手を止めさせたのは、マジックアイテムを通した緊急呼び出しの音だった。
通信系のマジックアイテムは戦乱の時代に盗聴や妨害の技術が発達しすぎたせいで、あまり秘匿性の高い情報や確実性を求められることには使われない。
冒険者ギルドや政府関係の施設ならともかく、こんな田舎の治療院で使われている物なんて安物の相手がボタンを押したら単調な音が鳴る程度のものだ。
要するに、詳しい内容はその時点ではわからない。
ボタンが押されたのは、とある患者の療養している家。
ここでは珍しくないけど、過去に大きなショックを受けて現実認識に支障を来している女性の所だ。大方、よくあるパターンとして何かふと心的外傷を想起させることが起きてパニックになったのかもしれないと思った。
ボタンを押すのは患者本人ではなく治療院で働く職員。
彼らもそういう事態には慣れているから、よほどのひどい状況ではない限り、口頭での伝達より先に呼び出し音がなることはないけど……
「そういえば、あそこのリノさんって妊婦さんだったな」
パニックになった患者を取り押さえるには力尽くになる時もある。
けれど、その相手が妊娠しているとなればそうはいかないし、下手に薬を投与するわけにはいかないから最後の手段の鎮静剤も使えない。
そういうときは、私やお母さんの『癒し手』の能力で安全に沈静化するしかない。
「すぐ行かなきゃ」
……けれど、事態は私の想定を超えて切迫していたのだった。
「た、大変です! 破水しました! すぐにでも生まれます!」
職員の開口一番で、事態がとんでもない所までいっているのを理解した。
全くの想定外……そう、想定外過ぎる。
予定の出産時期よりもずっと早いのだから。
もちろん、お腹の子の成長が異様に速かったわけでもない。
むしろ、流産の可能性が濃厚だと思われていたくらいなのだから。
「リノさんは!? あの人は確か……」
「それが、彼女はしっかりと子供を認知しています! しかも、お腹の子が『生まれたい』と言っていると……」
「まさか……ちょっと入るわ! 外科の先生呼んできて!」
リノさんは現実認識に支障を持つ患者……『自分が妊娠していることを認識しない』という状態の患者だった。
元々、望まない経緯で身籠もったせいでこの治療院に送られるほどのショックを受けた女性だ。
その状態での妊娠や出産は危険だけど、母親本人の同意がなければ堕胎はできない法律がある。
彼女がそもそも妊娠を認めなかったために、処置ができなかったのだけれど……今、子供を認知して産み落とそうとしているということは……
「お、お願い……この子を、産ませて……」
『治った』。
これまで認識せず逃げていた妊娠の苦しみを、過程を飛ばしていきなりお産の苦しみを突きつけられながら、それでも彼女の顔には『母親』としての愛と責任が見て取れた。
どうしていきなり……いや、そんなことよりも!
「すみません、ちょっとだけ触ります!」
服をめくり、リノさんのお腹に触れる。
そして、『癒し手』の能力を発動すると……確かに、感じ取れた。
「……本当に『生まれたい』、『産んであげたい』って感じてる」
信じられないけど、お腹の中の子からハッキリと意識を感じ取れた。
弱っていない。まだ早いけれど、生きるために必要な意志の力を感じる。
まさか……この子が、まだ生まれてもないのに、母親にまで干渉して?
「ゆ、夢の中で……あたしの、死んだ母さんが……『あんたの子供、運んでもらったから、頑張って産め』って……ハハ、自分のお腹の子を、忘れようとしてたなんて、そりゃ怒られるわ」
汗だくで息を切らしながら、そう言って笑ってみせるリノさん。
産むつもりだ。
心に触れている私にはわかる。彼女は、自分が死んでも子供を産み落とすつもりだ。
妊娠を認めず食事も十分に摂ってくれなかった彼女は出産に耐える体力がないかもしれないのに。本当に死ぬかもしれないのに……彼女にはその覚悟がある。
止まらない。
この出産は絶対に止まらない。
下手をすれば、対処を誤れば最悪の場合……
「ティアさん! 職員の方から聞きました! 手をお貸しします!」
狂信者さんと、事態をよく理解していないであろうアンナ。
手が空いていた二人に職員が声をかけたらしい。確かに、ここには安全に出産なんてできる設備も環境もない。精神不安定患者の安全のために食事用の火元や刃物すら近くにないのだから。
リノさんを安全に運ぶのに人手は必要だ。
その点、この二人なら力は十分だろう。
けど……
「外科の先生は!?」
「職員さんによると別件で怪我人が出たらしくそちらへ! 現場に向かっていて診療所にもいないそうです!」
「そんな……」
この治療院は小さな村だ。
私やお母さんは精神の治療が専門であって、お産の手順、それも未熟児の可能性の高い早産の対処法なんてわからない。
外科先生がすぐに戻ってくると期待して診療所にリノさんを運ぶ?
いや、怪我人が運び込まれるとなれば先生はどちらにしろこっちに対処できないし、緊急用のベッドもいくつもない。
怪我人が重傷患者ならどちらを優先するかの選択も……
「ど、どうすれば、どうすればいいの? お母さんを呼ばないと、ああお姉ちゃんは? お姉ちゃんなら……」
「ティアさん! 落ち着いてください! あなたが動揺して彼女を不安にさせるのはよくないことです!」
気がつくと、狂信者さんがリノさんの手を握っていた。
そして、その顔は私を叱咤した直後には笑顔で、リノさんに向けられている。
「大丈夫です。あなたは幸運です。テーレさんには医療技術があります。安心して出産に備えて覚悟を決めてください……どんなに優秀な産婆がいようとも子供を産み落とす瞬間というのはあなたの頑張りにかかっていますからね」
「ふふ……わかったわ、悪いけど、他のことは頼むわ」
「了解しました」
リノさんが笑った。額に汗しながらも、気を持ち直すように。
狂信者さんは彼女に不安ではなく、気力が尽きないように気を張る指針を与えた。
私にはできなかった……私がしなきゃいけなかったことだ。
「ティアさん、テーレさんとココアさんを呼んで欲しいのですがその前に。この村で出産に最も適した場所を教えていただきたい。テーレさんは魔法による治療は不得手なので最悪の場合は簡易な外科手術ができる無菌室などがあれば助かるのですが」
「し、診療所……は、だめ! もしかすると怪我人の方が緊急かもしれないし……」
「ではできるだけ清潔な場所を。魔法で除菌滅菌無菌が可能ならそれでもいいのですが」
「わ、私は『洗浄』の魔法が使えるけど、外から空気やゴミが入ると意味がないから……」
「……では土蔵へ運びます。あそこなら昨日改造したおかげで蒸留水も作れますしルビアさんには悪いのですが実験室の出来たて清潔な気密室を使いましょう。確かまだ、実験用の荷物は運び入れただけで開けていないはずです。テーレさんとココアさんはそちらに案内してください」
「で、でも土蔵にはベッドもないでしょ?」
「私が家から運びますよ。それと、清潔な布が必要かもしれないのでシーツ置き場からいくらか失敬します。アンナさん、コットンさんの毛皮を増やしてリノさんを揺らさないように丁寧に土蔵まで運べますか?」
「うん、いいよ!」
「流石はアンナさん、お願いします。もしも手術となれば、ここは必要な物資を集めてくるのに遠すぎますし、見たところ火を扱える設備もありません。少なくとも水場やココアさんの本宅の近い土蔵の近くの方がマシでしょう」
適切な指示……なのかはわからない。
もしかしたら、足の速そうなアンナに外科先生を探してきてもらって状況を伝えるのが最適解なのかもしれない。
もしも怪我人が軽傷ならすぐに診療所へ連れていくのが正解だろう。
だけど、もしそうでなかったら。
外科先生がすぐに見つかるかもわからない。
わからない、保証はない、失敗かもしれない……だから私は動けなくなった。
けれど……
「さあ、動きますよ! ティアさんが一番重要な役割ですから、呆けていては困ります! 私はお産に必要そうなものを集めるつもりですが、テーレさんに聞かないとお湯と綺麗な布くらいしかわかりませんからね!」
とにかく動く。
それが正解かどうかわからなくても、間違っているかもしれなくても、立ち止まっているよりは善いとひたすらにできることを考える。
そうだ、私だって……お母さんに助けを求めようとしたのだって、間違いじゃなかったんだ。
ただ、それを不安な顔で、リノさんを心配させながらしちゃいけなかった。
『安心してください。すぐに院長を連れてきます』。そう言って堂々と走り出せばよかったんだ。
「……わかった! 各々、全力を尽くす!」
私たちは三者三様に、新しい命を出迎えるために一斉に動き出した。
side テーレ
「75点。いつ産まれるかわからない妊婦を勝手に移動させたから減点。最適解は『足の速いアンナに私を呼びに来させる』ってところね」
ティアに呼び出され、マスターの提案だというマスク代わりの布の口当てと強い酒を使ったアルコール消毒をして土蔵に入る。
やっぱり素人らしい対処の穴はなくはないけど、思ったより準備はできている。
75点とは言ったけど、容態を診た感じでは軽く手術が必要かもしれないから土蔵に運んでおいたっていうのは結果として正解といえば正解だ。
マスターが運んできたベッドとシーツを土蔵の中に作った気密室に運び入れて、毛を膨らませたコットンにそっと患者を移させる。
まだ出産には少し早いのが見て取れる大きさの腹部、五体満足ではあっても呼吸器系とかが心配だ。
帝王切開も視野に入れるべきか……いや、それはまだ早い。
母体の体力は不安だし、手術したとしてその後必要な消毒や縫合の道具も薬品も揃ってない。
「テーレさん、次は何をすればいいですか?」
「手術道具と包帯と強心剤と……いや、もうこの紙使うわよ! ここに必要なもの書いておくから、診療所から取ってきて! 全く、最低限無菌室ができるからってこんなところに、私の手持ちの薬品は妊婦には強すぎるし……ティア、あなたも一緒に行って。説明下手のマスターだけで話が拗れても困るから」
「了解です」
「わかった!」
逆に言えば、ちゃんとした道具と薬品さえ揃えば手術も可能な無菌室である。途中出産の危険はあったにしろ、結果オーライだ。
蒸留水とお湯も既に用意が始まってるし、室内の洗浄もティアが済ませてある。
まさかこんなふうに使うために改造したわけじゃないけど、正直やりきってから無駄だったかもしれないと思った機能が役に立つとは。
もちろん、私の『万能従者』の知識検索と私自身の医療技術があれば開腹手術もできる。
他の怪我や外傷ならともかく、魂の不安定な胎児への影響を考えると出産に関する魔法での処置は鎮痛くらいに留めておきたいし、私が魔法をほとんど使えないことにハンデはない。
知ってか知らずか……いや、マスターの前世ではそもそも魔法がないから原始的手法を前提に用意したのだろう。
素人の魔法使いが術式の調節もなしに妊婦の身体を『平常に戻そう』として胎児にダメージが発生することもあるし、下手にその場で対処されるよりはずっといい。
「テーレ、彼のおかげで助かったわ。こういう状況はティア一人ではまだ早かったから」
ココアは母胎に触れて軽く苦痛を和らげている。
まだ本調子ではないようだし、元々魔法を使わない医療行為はココアにはほぼ専門外だ。
自然出産が安全にできそうな状況ならまだしも母体の状態も万全でなくて、しかも急な早産なんて私がいなければ対処できなかっただろう。
不幸中の幸い……危ない橋ではあるけど、環境と人材と知識に関しては乗り越えるのに必要なものは揃っている。
「私の『不幸』がこの早産だけで済んでたらいいんだけどね……」
side 狂信者
「何やら静かですね」
「へ?」
診療所へ向かう途中、ふと呟いた一言にティアさんが疑問符を浮かべながらこちらを向きました。
いえ、会話の切り出しに困っていて無難な話題を出したわけではないのですが。非常時でも気になるものは気になります。
「言葉通りの意味です。職員さんも私とアンナさんに出会い声をかけてくださいましたが、同じように会う人会う人片っ端から応援要請をしてくださっているのなら、もう少し他の職員さんやらが集まって騒がしくなるのではないかと」
「怪我人がいるから、そっちにみんな行ってるんじゃ……」
まあ、確かにその線もありますが……アンナさんが霧の中で言っていた言葉が気にかかるのです。
『ここら辺も騒がしくなりそう』と……確かに、リノさんの周りは騒がしくなりつつありますが、村全体としてはむしろ静かすぎるくらいです。
情報封鎖しているわけでもありませんし、大事件が二つも同時発生したのなら多少の混乱なりは起こりそうなものかと。
というか……私たちは診療所へ向かっているわけですが、外科の先生を探しに行ったという職員さんは何処へ?
「そういえば、ルビアさんは朝から見当たりませんが、どちらに?」
「村の魔力濃度の記録とかを探してるって言ってたけど……もしかしたら、怪我人の方を先に知ってそっちを手伝いに行ったのかも」
「ルビアさんも『癒し手』の鎮痛能力が使えるのですか?」
「私以上にね。私は手袋いらないくらいだし」
「それはつまり、ルビアさんの方が……おっと! あれは先程の職員さんでは? リノさんを土蔵に移動させたことを伝えませんと……おや?」
どこか反応が鈍いというか、様子がおかしいというか……服の色が少し変わりましたかね。あんな赤い模様はなかったような……いえ、あれは血ですかね。
外科先生を探して怪我人の方へ行き、血で汚れてしまった?
「あ、よかった! 外科先生はどう……」
「ぅ……ぅ……ウガァアア!」
いえ、そんなわけないでしょう。
これから出産の手伝いをするという方がわざわざ他人の血で汚れた服をそのままにこちらへ来るなど。
つまり……
「失礼、無力化します」
こちらはこちらで異常事態です。
いきなり獣のように飛びかかってきた職員さんに硬直して動けないティアさんには対応は無理そうですし。
手を掴みながら足を一気に蹴り折るくらいのつもりで足払い。
うつ伏せに倒れたところを背中を踏んで押さえつけました。
掴まれた腕が上を向いているので肩がかなりキツい態勢のはずですが、それでも無理をして暴れようとするあたりやはり冷静には見えません。
「な、いきなり何を……」
「見ての通り、ティアさんを襲おうとしたように見えたので。とりあえず、『浮気封じの呪紋』を刻んでみます」
感情の鎮静効果もありますし、予想通りならこれで冷静になるはずですが……
「ウグッ、ガッ、ウガァアア!」
「うむ? おかしいですね?」
てっきり、小柳くんのリベンジか何かと思ったのですが……
「……ねえ、ちょっと待って、この肌の色、血管のところが黒く浮き出てる。まるで病気みたいに……」
「狂犬病のようなものですか? それは困りますね、病原体を土蔵に持ち込みたくはないのですが……」
……大勢の足音。それに、呻き声のようなものが聞こえ始めました。
そういえば、妙に静かだとは思いましたが、この職員さんのような他人を唐突に襲おうとする方が一人から複数人いたなら、それだけでかなりのパニックになっていそうなもの。
それが、騒ぎにもなってないというのなら……
「ちょ、ちょっと、あれ……」
「はい、私も非常に嫌な予感がしています」
このレベルの事件が同時発生というのはさすがに、イベント詰め込み過ぎじゃないですかねえ。運命を司る神様がいるのなら少々真意を問いたいところです。
「あ、お姉ちゃんが!」
「二人とも逃げて! あとその人達に絶対に噛まれちゃだめ!」
おお、ルビアさん無事でしたか。走り方もしっかりしていますし、大丈夫なようです。
後ろから大量に黒い血管の浮き出た方々が迫っていますが。
これは、やっぱりあれのパターンですよねえ。
とりあえずは……
「あ、外科先生らしき方が医療品のマークの付いた鞄を持っていますね。重さで動きが遅れているようですし、丁度いいのであれを拝借していきましょう」
「この状況で!?」
一難去ってないのにまた一難来るのがハードモード転生です。(トラブルの一つは明らかに転生者自身のせいですが)
そして謂われのない容疑が小柳宗太を襲う!




