第71話 『妖精界の鍵』①
side 狂信者
催眠療法というのは奇妙なものですね。
元々時間感覚に絶対の自信があるというわけではありませんが、主観的な時間よりも実際の時間が長く経過しているというのは少々不思議な感覚です。
まあ、不快な行為をされたわけではないのでいいのですが。
「ココアさん、ありがとうございました……おっと、どうされましたか? お疲れなような……」
「え、ええ。ちょっとだけね……悪いけど、テーレを呼んできてくれる?」
「了解しました」
立ち上がるのも億劫な様子。
そこまで精神をすり減らすほどの集中力で私を診て下さったというのなら、文句はありません。それほど大変な仕事というわけでもありませんし。
家の外に出て、アンナさんとテーレさんがいるはずの場所に足を運びます。
仲良くしてくれているといいのですが……
「アンナ……離して……」
「ママ、もっとぎゅっとして……」
……予想以上に仲良くしていてくれました。
具体的に描写をするのなら、テーレさんが強く抱きしめられてアンナさんの胸の中で溺れています。
相変わらずアンナさんの力はテーレさんの物理抵抗力を凌駕しているようで窒息こそしていないようですが、逃げ出すことは難しそうです。
まあ、テーレさんがアンナさんのシャツの内側に拘束状態にあるのもあるでしょうが。
布地が伸びてしまいます。
「テーレさん、ココアさんがお呼びですが……お取込み中であればお伝えしてきましょうか?」
「いや、待って! ほら、私行かなきゃいけないからね? もう離してよ、ね?」
「むー……わかった。ママ、いってらっしゃい」
力を緩めてテーレさんを解放するアンナさん、少々不満げな顔です。
テーレさんとのスキンシップが終わるのが嫌なようですが……そもそも、なんでこんな状況になったのでしょうかねえ。
「テーレさん、アンナさんと何をしていたのか答えていただいても? 客観的に見ると、テーレさんがアンナさんの服の中に頭を突っ込んで胸に顔を埋めた結果、アンナさんの反撃によって脱出困難な状態になったように見えますが」
「……アンナが本当に人間か、調べようとしただけ。体内を調べるには、服の下に直接触るのが一番だから。それで、心音がちょっと変な気がしたからよく聞こうとしたら……」
「調べるのに夢中になりすぎて、スキンシップに興奮したアンナさんに捕まってしまったと。ところで、心音の違和感というのは? 鼓動が速過ぎるとか?」
「ううん、むしろ遅すぎるくらいなんだけど……それ以上はよく聞けなかったから勘違いかもしれない。ただ、遅いのにそれで十分なくらいの出力があるというか、人間の心音にしては……力強すぎる、気がする。まあ、鍛えた戦士職ならそういうのも珍しくないんだけど……身体の大きさと心臓の強さが釣り合わない気がした。それ以外は……わかんない。少なくとも、基本構造は人間だと思う」
「わかりました。さて、先程も言いましたがココアさんが待っています。アンナさんのお相手は私が代わりましょう」
「うん、よろしく。ただ……油断し過ぎないで。彼女、敵意とかはないみたいだけど、なんというか……よくわからない部分があるから」
私が診察を受けている間に何かあったんですかね。
まあ、『油断しないで』ではなく『油断し過ぎないで』という注意な辺り、下手に刺激しない限りは問題ないということでしょう。
ならば、問題はありません。
「じゃあ、行って来る」
「はい、いってらっしゃいませ」
テーレさんを送り出し、アンナさん、コットンさんとその場に残されます。
さて……
「アンナさん、ライリーさんをお預かりいただきありがとうございました。コットンさんも、ご協力いただき感謝します」
「うん、はいどうぞ」
アンナさんからライリーさんのスライムボディーの入った瓶を、そして同時にコットンさんからライリーさんの『本体』を受け取ります。
『アルジサマー! 怖かったよー!』
おやおやライリーさん。
一応、アンナさんに『一緒に遊ぶこと』と引き換えに『ライリーさんをお預かりいただくこと』と『コットンさんにもご協力いただくこと』について許可をするとの言質をもらっていたので簡易的な契約の形でライリーさんを退避させたのですがね。
コットンさんは睡眠中でしたし、夢魔のライリーさんならば居心地のいい空間が作れたかと思ったのですが……
『だってあの羊さん! すごく大きくて怖いんだよ!』
(大きい、ですか? 物質的に見える限りでは一般的な羊よりもかなり小さいくらいですが……)
『すっごく大きいの! 山より大きいから! 見た目に騙されちゃダメ!』
擬態している……ということでしょうか。確かに、大地の力を吸って無尽蔵に再生できるということは実質的な質量やその最大値が今見えているものと一致するとは限りませんし、それが精神に反映されているのかもしれません。
まあ、『ご迷惑をかけない』ということも条件に入れておきましたし、ライリーさんが無事帰って来たのですから見逃してもらえたということでしょう。
私の中に戻ってきたライリーさんと心で会話する私を診て、アンナさんは何かジトっとした目線を向けてきました。
「お兄ちゃん、その子と仲いいんだね。しかも、ママに秘密にしてるんだ?」
「一応、『ライリーさん』を連れ歩くことについては許可を取っていますよ。テーレさんはライリーさんの来歴を誤認しているかもしれませんが」
「ふーん……もしかしてお兄ちゃんは、『嘘』もダメなのかな?」
まあ、今となってはテーレさんに詳しく説明しても問題ないかもしれませんが……それはそれで、新たな問題が発生する可能性があるためタイミングを上手く見極めたいものです。
テーレさんの天使的な感知能力はかいくぐれている様子ですが、アンナさんの直感は誤魔化せなかったようですね。
「だったら……ねえ、もう一回遊んで? そうしたら、その子のこと、ママに内緒にしてあげる」
どうやら、弱みを握られてしまったようですねえ。
まあ、『一回遊ぶ』という回数制限ありの約束であれば恩情と見るべきかもしれませんが……アンナさんは何かを企むような悪戯っぽい笑みを浮かべています。
これは……まあ、仕方ありませんか。
アンナさんの提案を蹴るという選択肢もないことはないのですが、興味もあります……彼女の企む『悪戯』がどんなものか。
「診察前と同じで『一回遊ぶ』の定義は『死傷の可能性のあるような危険行為は禁止』かつ『時間的上限は三時間程度』で、構いませんか?」
「うん、いいよ。じゃあ、いっくよー」
身を屈めるアンナさん。
もしやプロレスごっこなどの類……いえ、それはないはずです。身体能力が違いすぎるアンナさんとそういった遊びをすれば私は本当に死の危険があるので念押ししたわけですし。
しかし……
「ドーン!」
柔らかく、それでいて強引な押し出しのタックル。
私の力では踏み留まることのできない一撃に後退するしかなく……次の瞬間、視界は真っ白になりました。長閑な治療院の村の中の草原にいたはずなのに、霧に包まれたように真っ白な空間に。
「ここは……?」
一瞬、アンナさんのタックルで私の視覚が異常を来したのかと思いましたが、それにしてはどうにも視覚以外にも異常を感じました。
地面の質感も空気の臭いも微妙に違いますが、何より風の感触が違います。何というか、普段よりも空気抵抗がないというか……水の中から外に出た瞬間のような感じです。
それに……私に抱きついたはずのアンナさんが消えています。
「アンナさん……これは……」
『大丈夫。ここには危ないものはないから。ほら、立って。道があるでしょ。真っ直ぐ進んで出られたらお兄ちゃんの勝ちだよ?』
霧の中から声が聞こえました。
やはりこれはアンナさんの目論見通りであるようですが……魔法で霧を張った、というのとは毛色が違う気がします。
むしろこれは、まるで異空間に放り込まれたかのような感じです。
ええ、『異世界』ではなく『異空間』です。
何というか、雰囲気というか……ルールが違う、まるで休憩室にいたはずなのにいつの間にかドレスコードの厳かなパーティー会場に迷い込んでしまったような場違い感を覚えます。
アンナさんの話では、『危ないもの』はないそうですが……
「『道』はありますね、この先に進めということなのでしょうが……」
霧が深い。
真っ直ぐ進んで出られたら勝ちということは、逆に言えば真っ直ぐ進んで出られない可能性もあるということ。
たとえば、真っ直ぐに見える道が少しずつ歪んでいて知らないうちに元の場所に戻ってしまう、あるいは単純におっかなびっくり足下を確かめながら進んでいては遊びの間……制限時間内に出られない距離があるという可能性も?
「アンナさん。質問があります」
『なに?』
音源はよくわかりません。
霧の中で反響しているのか、あるいはこの空間全体に響くような方法で話しているのか。
「もしもですが、私がこのまま何もせずに負けることを選んだ場合……ここから一歩も動かず、約束の三時間が終わった場合は、どうなりますか?」
まあ、さすがにそれは『遊びに付き合う』ことにならないのでやりませんが。
霧の中のアンナさんは私の質問を聞いて……
『えー、そんなのつまんない。もしそうなったら、お兄ちゃんだけ置いて私がママと一緒に行っちゃうよ。この村もそろそろ騒がしくなりそうだし』
そう、答えました。
なるほど……そういう考え方もありましたか。
『危険な遊びはしない』という約束はしましたが、『遊んだ後すぐに戻ってこられる範囲で遊ぶ』という約束はしてしませんでしたね。
いえ、村の外に出るような大移動をされそうになったら止めるつもりでしたが、空間転移の類自体が含まれる脱出ゲームのような『遊び』は失念していました……ここには『危ないもの』はなく、遊びの間は危険がない。
そして、制限時間を過ぎたら『遊び』は終わりと。
これは思いの外マズい展開かもしれません。
「私が行方不明になればテーレさんは困ると思いますが、それを考えた上でのことですか? テーレさんに嫌われてしまうかもしれませんよ?」
『ふふ、だいじょーぶ。ここにずっといると、外のみんなに忘れられちゃうから。ここは人間に忘れられたみんながずっとずっと楽しく遊ぶ世界だもん。お兄ちゃんもきっと、すぐに外のことなんて忘れちゃうよ』
なるほど……これは、本気ですね。
アンナさんは彼女なりに本気で、テーレさんの隣を私から奪おうとしているようです。そのために、この謎の異空間という切り札まで出して。
ああ、実に……好ましい。
「アンナさん、あなたが何者か、ここがどこかというのを問うのは後にします。今はただ一つだけ……この『遊び』は、私も勝てるようになっているのですね?」
『うん。そこにずっと立ってたらお兄ちゃんの負けだけどね』
『一回遊ぶ』……その上でのこの行為。
もしかしたら、ここに招き入れる上で相手の同意が必要だというようなルールがあるのかもしれませんが、あくまで『遊び』の権利を使い、一方的に私を追放するのではなく勝ち負けのある勝負としてこの対決を選んだアンナさん。
その誠実さに敬意を払い……私も、本気で行きましょう。
「【石化】【点火】……さあ、この手で霧を照らして進みましょう」
気軽に女の子の『遊んで?』にOKすると異空間に連れ去られる世界。




