第70話 『十個の楔』
side テーレ
レグザル治療院に滞在を初めてから三日目の朝。
旅疲れも取れたせいかスッキリとして気持ちのいい天気だ。
準備は整った。
十分な食事と休養を取った初日と、土蔵の修繕・強化という仕事で汗を流した二日目。まず、旅の疲れと緊張を解き、そして回復してから万全な状態での生活や活動への姿勢、そして疲れ方なんかを観察するための時間だ。
ココアは『癒し手』として何十年という時間、人の心に触れ、癒し続けて来た。
本来なら、人の性格や本質を理解するには一朝一夕ではあまりにも短いけれど、その観察眼はこの短時間で十分に情報を得られたのだろう。
そうして、今日になってようやく、ココアからマスターを診ることになった。
そして、朝食後に私一人だけが呼び出されて、保護者としての事前説明を受けることになったのだけど……
「最初に言っておくわ、テーレ。私が彼を世間一般で言う『普通』にできると考えてるんだったら……それは無理よ。いえ、できてもしない。私は彼を診て、助言は与える。けど、無理に捻じ曲げるようなことはしない。それは承知しておいて」
まあ、それはわかっている。
『癒し手』の仕事は治療であって洗脳じゃない。無理矢理に心を変えることじゃなくて、優しく撫で、棘を抜き、歪みを治すだけ。それも、根本的なものを治そうとするなら長い時間をかけて少しずつ対処していくしかない。
何より……
「わかってる、『治りたいと思ってないなら無理に治すことはできない』って話でしょ。でも、どうやって付き合って行ったらいいか、くらいは教えてくれるわよね?」
「そういうこと。それにしても……ふーん。テーレ、あなたやっぱり今の彼のことは結構認めてるみたいね」
「え?」
「心から嫌だったら私が『治さないかもしれない』なんて言ったら文句の一つも言うでしょ。まあ、ここまでの旅で何があったかは多少聞いたし、確かに何とかしなきゃいけないかもしれないっていうのはわかるけど……悪いところばっかりじゃなかったってことかしらね」
まあ……結果的に、あいつだからこその選択が正解だったこともある。
あの魔導書事件だったりとか。
私がターレに裏切られた時にも、あいつが私の言いなりじゃなかったからこそなんとかなった部分もあるし。
他の女神や転生者が行動を読んで罠を張っても、あいつが普通ならしないようなことをするからこそ、その罠を回避できるってこともこの先あるかもしれない。
だけど、とりあえず私があいつを全く制御できないまんまっていうのはさすがに困る。
「……仕事、しっかり頼むわよ」
「はいはい……ああ、そうだ。始める前に、あなたから彼にお願いしておいてほしいことがあるんだけどいいかしら? 多分、あなたのお願いじゃないと聞いてもらえないんだけど……」
「お願い……?」
side 狂信者
「『催眠療法』……の、ようなものですか」
「そう。ちょっと魔法も入るけど、要するに少し意識を曖昧にするらしいから、それを警戒せずに受け入れて。じゃないとあんたの精神抵抗で『癒し手』の能力も弾かれちゃうかもしれないから」
とうとうやってきた診察の時間。
外でアンナさんと戯れていた私を呼びに来たテーレさんですが、念を押すように私に診察を受ける上での注意を確認します。
「安全性は私が保証するし、苦痛を与えるようなこともない。それに、必要以上にプライバシーを覗き見ることもない……らしいから、安心して。なんでそれを『私が言わなきゃだめ』って言われたのかわからないけど……」
「なるほど、了解しました。テーレさんは本当にその安全性を確信してるんですね?」
「ん? そりゃそうよ。だからこそ、わざわざこの治療院を選んで来たわけだし。何だかんだでココアは『癒し手』として一流よ。仮に失敗したとしてもそっと手を退くだけ。傷を残すようなことはないでしょうね」
「それなら安心ですね」
『安全性の保証』をテーレさんに任せるという判断をしてくださった辺りからも、それは窺えます。
テーレさんは私に対して嘘をつけませんから。
少なくとも、テーレさんが私を預けられると思えるまでは信用しているとわかっただけでも、私の精神抵抗値は大きく下がるでしょう。
「では、称号の詳細の確認と『浮気封じの呪紋』の後遺症の確認……それと、基本的なカウンセリングでしたね。行って参ります」
「はいはい、さっさと行ってきなさいっての。心配しなくても、どんな診察結果が出ようと私が現世で『聖地』を創るために必要な人間はあんたなんだから、変にいい結果を出そうとする必要なんてないわよ。悩みがあったら気楽に相談しときなさい」
「ええ、そうですね。ちなみに、今のはココアさんにそう言うように?」
「違うけど?」
「なるほど。お心遣い、感謝します」
では、テーレさんの言葉の通りに気軽に診てもらうことにしましょうか。
相談したいことも、ないわけではありませんし。
さて、場所を移して診察室。
といっても、物々しい医療器具や薬品などがならんでいるわけではなく、ただの客間に近い内装です。まあ、相手を緊張させては逆効果ですしね。あと、気軽に寝られそうな清潔なベッドがあります。
そして、入室した私を柔らかい笑みで迎えてくださったのは、仕事モードのココアさんです。
「いらっしゃい。さあ、楽に座って。とりあえず、お茶にしましょうか」
side テーレ
さて、診察が終わるまで私は暇だ。
私に聞かれているかもしれないと思うと、言えないこともあるかもしれない。心を開かせるには、そういう不安要素を取り除くのが大切だっていうのはわかるし、私が聞き出せないことを聞くにはそうするのが必要なのもわかる。
だけど……『やっちゃいけない』と言われるとやりたくなってしまうのが私の性質なのだ。いや、我慢するけど。
「あいつ……私のいないところではすごい悪口言ってたりしないかな?」
あいつは異常に肯定的だ。
きっと、私が問いかければどこに不満があるかくらいは答えてくれるのだろう。
だけど、それはきっと悪口じゃなくて『ならば失礼ながら、少々改善すべきだと考えられる点をいくつか』というような感じ。
感情的に嫌いだとか憎いだとか、そういうことを主張するタイプじゃない。
でも……ココアが催眠療法まで使って本音を引き出せば、とんでもないことを言い出すかもしれない。
だからこそ、そうさせるために私が近づかないようにしてるんだろうけど、こっそり聞き出せないものか。
「ママ、お兄ちゃんのこと心配なの?」
まあ、忍び込んで聞き出すとか無理なんだけど。
アンナの遊び相手をしなきゃいけない。アンナは嘘が得意なタイプには見えないし、こっそり見に行ったらあとでばれてしまう。
それに……ココアの提案も、ここで検討しておくべきかな。
「心配ってわけじゃないけど……アンナ、あんた私とマスターのこと好き? ママとお兄ちゃん」
「うん、好きだよ?」
「私たちはまたしばらくしたら、ここを出て旅をしようと思ってるけど……一緒に来る? 危ない旅だけど」
「コットンも一緒?」
「うん、もちろん。悔しいけど、戦力としても申し分ないし」
「だったらいいよ!」
ちなみに、そのコットンは今、近くの日向で気持ちよさそうに昼寝をしている。
バロメッツは大地から力を吸い上げて蓄える性質を持っているから、食事中と言った方がいいかもしれないけど。
その性質からバロメッツはあまり一つの場所で長く留まり続ければ、その土地を枯らせてしまうけれど、旅をしながら方々で力を補充させれば問題ないし、糧食の心配もなくなる。
何より、『羊飼い』であるアンナがいてこそなのだろうけど、コットンは忠実で強力な戦力になる。
加えて、その手綱を握るアンナはこの状態。幼稚で打算なく命令を聞いて、しかも何故か私によく懐いている。
ある意味、パーティーメンバーとしては理想的な条件が揃っている。駒として見れば、だけど。
「そう、だったら……」
「でも、ママはそれでいいの? お兄ちゃんと二人で行きたいんじゃないの?」
ただ……謎が多くて、底知れない。それだけはマイナスかもしれない。
幼稚なクセに、母親と呼ぶ私が誰かも正しく認識していないはずなのに、妙なところを見透かしているようにすら見える。
そして、それを『わかって当たり前のこと』みたいに一段飛ばしで話し始める辺り、どこかマスターみたいだ。
「それでいいのって……そりゃいいに決まってるわよ。何より大切なのは偉業の達成、そのための戦力確保なんだから。第一、特殊能力系の特典もないあいつじゃ仲間なしで偉業の達成なんて……」
「でも、ママはお兄ちゃんを独り占めしたいんでしょ?」
「独り占めって……」
「ちゃんとママのものだって思えるようになるまで、手放したくないからお留守番させたくないんじゃないの?」
この子……本当に、何を言ってるの?
それじゃあまるで……
「私が、マスター……あいつのこと……すごく、気に入ってるみたいじゃん。どうして私があんなやつに……」
「繁殖期に雄と雌が一緒にいたら番になるのは普通じゃないの?」
この子、思考が幼稚というか動物的過ぎる。
というか『母親』と『子供』って認識しながらそれって……いや、自然界ではない話じゃないけども。雌だけで子供を産むと雄が生まれて、その雄との交尾で種族を増やすって生物もいるわけだし……
「……ママ、やり方忘れちゃったなら、教えてあげよっか?」
「やめて!」
というかどうやって!?
私は背徳好きだけど!
でも私は嫌がる相手に無理やりするのがいいタイプであって攻められたり見せつけられたりは好きじゃないし! あいつ詰め寄られたら普通にOKしそうなのも怖いし!
というかさ……
「そ、そういうのはもっと、なんというか段階を踏んでからというか、ちゃんと立場を整えてからっていうか……」
どうせなら、前は精神干渉受けてた上に完全に打算ありきだったからというか……その分、次があるならそこら辺はしっかりしたいというか。
さすがに、いつも馬鹿だなんだと言ってても二百年の生きていればちょっとくらいわかることもある。
そもそも、ターレに裏切られて権利を手放されそうになったところを頑として譲らず、私という転生特典なしの生身の状態で転生者を撃退して私を奪還。
しかも、それからというもの『好き』の一言こそないけど、ことあるごとに『綺麗だ』だの『愛している』だのとストレートボールの千本ノック。
さらに、これは半分私のせいだけど、『奉納者』の称号を得てからは食事時に『献上』攻め……さすがに、何の好意も感じないというのは人間に崇められるのが当たり前な『天使』だとしてもちょっと難しい。
まあ、だからってこっちからそういうアクションを起こすつもりなんて毛頭ないけど。
「いっそのこと、あっちから来てくれれば話が楽なのに。人間の命なんて短いんだから、もっとガツガツ来てもいいのにさ」
私はそういうのは初めてだけど、やればちゃんとやれるはずだ。今なら『万能従者』あるし。
それに、回復とか浄化の魔法が苦手な分、医学の勉強はしっかりしてある。
……実践経験はなくても人間のそういうシーンをこっそり覗き見したりもしてるし。
別に禁止されてるわけでもない。天使の中には現世の住人との過度の接触を『穢れるから』ってことで嫌う潔癖なのもいるけど、私はむしろそういう背徳行為は好きな方だ。
だからって、やっぱり私から詰め寄るつもりはない。
それは……潔癖とかそういうのとは別の問題として、やるべきじゃないことだ。
「ママ……たぶん、楔があるから、お兄ちゃんは自分からママにそういうことできないよ?」
「アンナ……『楔があるから』って、どういうこと?」
私がいない間に、マスターがアンナに何か話した?
いや、だけど……違う気がする。
アンナの目が、どこか遠くを見てるような……私に見えないものを見てものを言っているような、それでいてそれを当たり前のように思っているような、そんなふうに見えた。
「十個か九個かな? 一つ壊れちゃってるけど、壊れたのもちゃんと残ってる。すごく古いけど、新しい楔……あんなにたくさん持ってるヒトは初めて見たかも」
「アンナ……何言ってるの?」
「お兄ちゃんがママと一緒にいる時、楔の一つがすごく揺れてるの。本当は、もっと触りたいのに触れないんだと思う。たぶん、ママが自分でお兄ちゃんに触らないといけないけど、お兄ちゃんがママにそうして欲しいって言ったら『自分から触る』ってことになって、ダメなんじゃないかな?」
アンナが何を言っているのか、よくわからない。
いや、きっとマスターが私に手を出せないことに何か、アンナにはわかって私にはわからない理由があるってことを言ってるんだと思うけど……私とマスターの関係が、転生特典としての従者と主人としての繋がりが見えてる?
「アンナ……あなたって一体……」
頭を怪我して幼児退行したただの冒険者かと思ってたけど……今はその目に見えているものが、ただの人間の目に映るはずのない世界を見ているようにしか見えない。
アンナは私の視線を受けても、全く敵意を感じさせない笑顔を返してみせた。
「アンナだよ。ママの娘、アンナ・エルフ・キティ=ダグブックだよ?」




