第66話 恵みの精霊
side 狂信者
レグザル治療院の院長『癒し手』。
ココア・ショコラティエ。
ココアさんの娘。長女にして、中央第三学院(ニュアンスとしては大学に相当)の研究員。丁度私たちと同じ乗り合い馬車で帰省した理系女子。
ルビア・ショコラティエ。
同じくココアさんの娘。次女にして治療院の次期院長。活発で初対面の私やテーレさんにも物怖じしない明るいお方。
ティア・ショコラティエ。
聞いた話ではココアさんの旦那さん……つまりはルビアさんとティアさんのお父上は既に他界し、ルビアさんが長らく学院の寮生活だったためにココアさんとティアさんの二人暮らしが長かったそうで。
私とテーレさんが泊まるべき部屋も長らく使われていなかったために食事前に私とルビアさんで片付けをすることになりました。
しかし……
「テーレさんと私は別の部屋ですか。まあ、この村や家が安全ならば問題はありませんか」
今まで基本的にテーレさんとは同じ部屋で寝泊まりしていましたが、それは警戒のため。テーレさんは私の護衛でもありますからね。
しかし、ライリーさんの危機感知能力がある現状では多少離れていたとしても問題はないでしょう。
元々、この建物は治療院の本館、診療所のような部分もあるようなのでベッドとスペースは足りているようですし。
一般的には男女が別の部屋で泊まれるのならばそうするべきでしょう。
「あの、きょう、あ、いえ」
「ルビアさん。『狂信者』で構いませんよ、冒険者としての二つ名ですし。基本的にはこれで通っています。私なんぞがそう名乗っていもいいのかという心苦しさはありますが、嫌いではありませんし」
「で、では狂信者、さん? いつもはテーレさんと同じ部屋で?」
「はい。というか、そもそも部屋すらない野宿や馬車での睡眠も多かったですし」
「な、なるほど。冒険者ですもんね、冒険者なら部屋なんてあってないようなものですもんね!」
何やら納得したと同時に安心したような表情を見せるルビアさん。
どうやら私とテーレさんが不健全な関係であるのではないかと心配していたようですね。
まあ、帰省して実家でゆっくりと休みたい夜に同じ屋根の下、客人二人が変なことをしているかもと思うと落ち着かないでしょう。
さて、ここで会話を切るのもなんですし、私からも一つ質問を返してみましょうか。
丁度質問したいことがありましたし。
「ところでルビアさん。その手袋は何か特別なものなのでしょうか? てっきり汚れを嫌ってのものかと思っていましたが、埃をかぶった荷物も抵抗なく触っているようなので。いえ、気になっただけなので無理に答えなくてもいいのですが」
もしも『酷い傷痕を隠すため』というのなら質問すること自体が失礼かもしれませんが、気になってしまったもので。
しかし幸いにもルビアさんは私の心配したような反応はなく、軽く手を振って答えてくれました。
「ああ、これですか。これはちょっと……私も『癒し手』の称号を持ってるので、うっかり他人に触っちゃうといけないから……」
「なるほど、当人にその気がなくとも精神干渉や読心が『できる』というだけで周りの人間が不要に勘繰ったり不安になったりすることもあると。なるほど、納得の理由です」
ココアさんやティアさんは手袋などはしていませんでしたが、彼女たちはむしろ生活の中で自然な動作で対象に触れながら能力を使うのでしょうね。
しかし、ルビアさんに関しては村を出て人の多い学院で生活する上でそういった配慮をする必要があったと。
「あはは……ごめんなさい。気持ち悪い、ですよね。でも、うっかり触らなければ大丈夫なので……」
「気持ち悪くはありませんよ。血縁に起因する先天性の能力、つまり『そういうもの』なのでしょう。悪用しようと思えばできるでしょうが、そこにあるというだけで無闇に怖れるのは失礼でしょう?」
「『そういうもの』……そんなふうに言われたのは、初めてです」
「私が私であることも『そういうもの』です。火が触れると熱く、適切に距離を置いて維持すれば暖を取るのに使えることも。石を殴りつければ拳を痛め、しかし石を道具として使えば手を痛めることなく木材や土を削ることができることも。向き合い方、扱い方次第で評価は変わるものです」
「そういう……もの、ですか」
「まあ、極論個々の都合ですしね。あなたを避けた人がいたとして、その人たちには何か万が一にも読まれたくない考えや触れられたくない思想があったのでしょう。まあ、私もうっかり覗き見られると都合の悪いことはありますしね」
ライリーさんの存在とか、その他諸々。
前もって心に触れるとわかっていれば準備もできますが、不意打ちだとどうなるか……できるだけ避けたいところです。
私の感覚としてはライリーさんは『悪いもの』ではないと思うのですが……というか、本当にただの女の子なインキュバスさんなのですが、人によっては種族だけで嫌悪感を持つかもしれません。
低級悪魔は魔法使いに使い魔として使役されることがあるにしても、それを嫌う方もいるそうですし。
まあ、うっかりすると逆に術者が取り込まれるのでリスクが高いということもありますが。
ちなみに、一度その話をしたライリーさんには『え、なにそれ。悪魔って怖い』と言われました。一度浄化されたとはいえ、あなたも一応は悪魔を名乗っていたでしょうに。
まあ、そもそも悪魔が人間と契約を結ぶのはそもそも裏をかいて術者を取り込もうとするが故ですが、ライリーさんの場合は消滅の危機を前に否応なく私の出した条件を鵜呑みにするしかなかったので状況が違うのかもしれませんが。
ちなみに、現在ライリーさんは私の中に隔離された私室に籠もって私が読み終えた本を少し遅れながら読み進めているようです。
おや、面白そうな本が荷物の中に。
ライリーさんのためにも一度読ませてもらいましょう。
そのためにも片付けを手早く終わらせますか。
「さあ、お互い旅疲れもあるでしょう。早く片付けて休める程度に整理してしまいましょう。よく働いてよく食べてよく眠る、全て良くして良く生きるというもの。それに私やテーレさんとしては柔らかな寝具で眠れるというだけでも希少なこと。しっかりと疲れを溜め込んだ上で極上の眠りに浸るとしましょう」
はてさて、片付けを手早く済ませたといっても、ココアさんの手間としては既にルビアさんのために多めに作られた料理に少々手を加えるだけのこと。
加えて戦闘ならともかく家事などに関しては万能を遺憾なく発揮するテーレさんもいますし、片付けをほぼ終えたのと食事の準備ができたというお声掛けを頂いたのはほぼ同時でした。
既に椅子も食器も用意されており、あとは私とルビアさんが残った空席を埋めるだけ……おや?
「六席、ありますね。もう一人、ご家族が?」
「いいえ、違うわ狂信者さん。丁度そろそろ……あ、来たわね。アンナちゃん」
妙に重い足音。
何事かと思い食堂の入口を見ると……まるで数十リットルは入りそうな樽と見間違えるような黄色い物体を抱えたアンナさんがいました。
その頭には白い何かが乗っていますが……フワフワとした、羊のぬいぐるみ、でしょうか?
「ママ! ココア! チーズ持ってきた!」
「なるほど、黄色い物体の正体はチーズでしたか……え、それ全部ですか?」
「うん!」
アンナさん、いい笑顔です。
一ヶ月くらいは毎晩チーズフォンデができそうな量のチーズを抱えて、無邪気ないい笑顔です。
「コ……ココア? あれ、あんたの所の患者よね? 何好き勝手させてんのよ止めなさいよ」
テーレさんも流石にあの量は完食できないためか、かなり動揺しています。
というかあれ、どうやって持ってきたんでしょう?
筋力の問題は置いておいても、乳を樽に入れて発酵させたというのならあのサイズは……このために、樽を割ったのでしょうか。綺麗に、スパーンと。
「あら、アンナちゃん。それ、どうしたの?」
そして、この状況に全く動じずに問いを投げるココアさん。流石は治療院の長の風格ですね。
「コットンに出してもらったの! ママにあげるからって!」
「あらそうなのー。コットンさん、ありがとうね。でも、ちょっと多すぎるわ」
ココアさんがアンナさんに向け、いえ、違いますか。
アンナさんの頭の上に向けてそう言うと……
「メェェ……」
ぬいぐるみかと思っていた羊らしき存在が、嘆息するように鳴きました。どうやら、立派な生物だったようです。
そして、その羊さん……コットンさんが身震いしたかと思うと、チーズの上端が輪切りにされ、食事の一品として追加されるのに丁度良いサイズに切り分けられ、テーブルの上へと空中を浮いて移動してきます。
さらに、残りの巨大な塊も細切れになったかと思うとどこかへ消えてしまいました。
「魔法……いえ、念動力ですか?」
「マスター、違う。細くて見えにくいけど、毛を動かして切って運んだだけ……しかも、残りのチーズは切った毛でそのまま吸収してる。チーズを『出した』っていうのが本当なら多分……それ、バロメッツ?」
「え、バロメッツ!? 絶滅したって言われてる生き物じゃないですか!」
テーレさんの発した単語に驚いたように声を上げたのはルビアさん。
絶滅種らしいですし、ドードーの生き残りを見つけた生物学者のような心境なのでしょうね。
しかし、このままではまた一人で興奮し、感動を共有できず少々悲しい思いをしてしまいそうですね。
「ルビアさん。失礼ながらバロメッツとは?」
「あ、はい、バロメッツっていうのは戦乱の時代に絶滅したっていうモンスターの一種で……」
「簡単に言えば『食糧危機を一匹で解決できる羊』って呼ばれてる生物よ。土地さえよければ無尽蔵に再生し続けて、肉も乳も毛もほぼ無限に取れる。完全に死なない限りはね。栄養は偏るけど、一匹いるだけで兵糧攻めが無意味になるから戦乱の中で乱獲されて、人間に飼いならせるような大人しい品種は絶滅した……はずなんだけど」
テーレさんが説明を引き継ぎましたね。もしや解説役ポジションの喪失を懸念したのでしょうか。
おかげでルビアさんがちょっと涙目になっていますが。
「へへへ、すごいでしょ。チーズはコットンに出してもらったミルクを私が固めたんだよ」
「そうなのよー。アンナちゃんが来てからみんな毎日おいしいものが食べられてお得なのよー」
「いやいやココア! お得だからって患者にたかるって……」
「いやねえ。そもそも、アンナちゃんはここの『患者さん』じゃないのよ」
ココアさんは頬に手を当て、小首をかしげながらテーレさんを見つめます。
そして、困ったように言いました。
「アンナちゃん、何日か前に『もうすぐママがここに来る』って言って治療院に来たのよ。アンナが懐いてるし、あなたが『ママ』なのかと思ったんだけど……」
アンナさんは残った最後の空席に座り、料理に手を付けずに行儀よく待っています。
その視線は真っ直ぐにテーレさんに向けられていますが、そこにある感情はただただ歓喜に満ちた……仕事ばかりで滅多に一緒に食事をとれない家族と食卓を囲めるのを心待ちにしているかのような様子です。
「あなたが知らないんだったら、あの子は一体どこから来たのかしらねえ?」
side ライリー
「チーズ美味しい」
わたしは悪魔、精神体だ。
だから、普通に物質的なものを食べることはできないけど、憑りついた人間が食べたものの味はわかる。
『その料理を食べた』という記憶を少しだけ分けてもらっているとも言える。
記憶をもらっていると言っても記憶を奪っているわけじゃなくって、食事中に発生する感覚の記憶をほんの一部だけ、同意の上でこっちにわたしに共有してもらっただけ。
だから、アルジサマは支障なく食事を楽しめているはずだ。
これは別に、わたしとの最初の契約の中に入っていた条件というわけじゃない。
そもそも、わたしは最初にもらった記憶だけで十分に存在を維持できているし、こういう食事なんていうのは本来は必要のない行為。
要するに娯楽、趣向品だ。
当然、これはわたしから求めたわけじゃないんだけど……
『ライリーさんも食べてみますか?』
なんて言って、アルジサマはあっさりと記憶を共有してきた。
なんでも、わたしがもの欲しそうにしているように感じたらしいけど……
『べ、別に……ただ、おいしそうっていうか、物珍しいというか……ちょっと気になっただけだからね!』
あったかいスープ、とろけるようなチーズ、ふわふわのパン。
わたしには縁がなかったもの。味を想像することもできなかったもの。
気にならないはずはなかった。
アルジサマとの契約でもらった記憶の味とは全く違うけど、悪魔としての私の力になるわけじゃないけど……悪いものじゃなかった。
「……わたし、こんな幸せでいいのかな……」
わたしはアルジサマから記憶の一部をもらって、消滅を免れた。
それは、わたしの目的を達成するため。あの『研究施設』に然るべき報いを受けさせるため。
幸せになるためじゃない。
アルジサマとの契約も利害の一致。
アルジサマはわたしの悪魔としての感知能力をあてにしている。
憎悪や呪いを糧にする悪魔の嗅覚で危険を察知する。それがわたしが任されてる仕事だ。
こんな食事の記憶なんてもらわなくても、ここに隠れ潜んでいるだけで周りから少しずつそういう『悪いもの』を吸って力を回復できる。
特に、あのテーレという天使は、天使のくせに負のパワースポットみたいに力を自分の周りに集めてるから、普通の悪魔がやるみたいにアルジサマの悪感情を煽って吸収したりしなくても十分に供給が足りている。
これならその内、あのゼリーみたいな依り代を操らなくても夢魔の能力で他人の夢に干渉したりもできるようになるかもしれない。
そうなった時……私に『悪いこと』ができるようになった時、アルジサマはわたしをどうするのか。
無力で放置していても構わない、警戒に値しない私が十分に力を得た時、どうなるのか。
「いっそのこと、完全に使い魔としてガチガチに縛られてたら楽なのになー」
今みたいに、ただの危険探知機として……ん?
「……なにこれ? 変な感じが……」
一瞬、何かよくわからない悪意のようなものを感じた気がしたけど……気のせいかな?
何事もなく食事が進んでるし……うん、多分気のせいだろう。
「あ、アルジサマ。お酒っていうのも一口だけ……え、だめ? アルコールは立派な大人になってから?」
ところで、わたしって大人になるのかな?
一匹いれば兵糧攻めが無意味になる(未来の収穫量から目を逸らせば)チートじみた伝説の生物。
ちなみに、見た目は完全にデフォルメされた羊のヌイグルミです。見た目が可愛い生き物ほど環境被害が酷いって、よくありますよね(笑(笑えない))。




