第67話 ココアとテーレ
side テーレ
とりあえず、無事に食事は終わった。
そして、久しぶりにお湯を張った湯船で身体を温める……馬車での旅の間は身体を拭いたり軽く水浴びしたりくらいしか身を清める手段がなかったから、天界の天使用浴場には遠く及ばないただのお湯でも全身に染み入るような気分だ。
そして……ひとしきりお湯を堪能したところで、一緒に入浴することになったココアにまとめていた考えを打ち明ける。
「あのアンナって子は……多分、元冒険者でしょうね。身体を見る限り、頭に深い傷を負ってる。戦闘中に頭を抉られるか何かして、自分で何とかやれたのか仲間がいたのかは知らないけど魔法で回復して一命を取り留めた……でも、傷付いた脳とそれに繋がってた魂は完全には治らなかった。あの力と希少種のバロメッツを使役してる実力はそうでもないと説明付かないわ」
少なくとも筋力は完全にスキルレベルにして400超え。しかも魔法強化の気配もなし。
称号持ちの冒険者でもそうはいない。
頭の怪我で力の箍が外れたか、それとも名前が有名にならないような裏の仕事をしていたか……誰も引き取り手や世話を見ようとする者がいないとなると後者かもしれない。
それならバロメッツを使役していて有名にならないのも説明できるし。
「そうねぇ。私もそこまでは考えたわ。もしも昔は大変な思いをしていたのなら、全部忘れちゃった方が幸せかもしれないし」
「まあ、あそこまでの力を得るような人生なら並大抵の道程じゃないでしょうね……で、厄介事に関わるかもしれないから、称号も読み取ってないってこと?」
「まあね。アンナちゃんは毎日楽しそうだし、聞き分けの良い子だし、身の回りのことはコットンさんがやってくれるから無理に診る必要はないのよ。それに……」
「それに?」
「あの子を治しても、治療費なんてもらえないでしょ?」
まあ、当然と言えば当然のことだ。
本人が幸せそうで、治しても見返りが期待できなくて、現状周りに迷惑もかけてない。
ただ記憶がなくて精神が幼児退行しているだけの放浪の羊飼い。
それを無理やりに治そうとするのはお節介を越えてただの独善だろう。
それに『癒し手』が心を覗くというのは視覚的に『視る』というより手探りで『触る』のに近い行為だ。普通は心的外傷の時の情報とかから前もって触り方の見当を付けてから『触診』に移る。
全く情報がない、本人も記憶がない相手に触るとなると、場合によっては藪蛇もあり得る。
「それに、力持ちだからお手伝いしてくれるといろいろ助かるし……」
「あのチーズとかのことも考えると、宿泊費とか食費とかもむしろ治療院の方から払った方がいいレベルなわけね」
「そうなのよー。でも、あなたがあの子を引き取ってくれるならそれもいいかと思ったんだけど……」
元々、よくわからない理由で流れてきた大きな幼児。
今は大人しくしてるし役に立ってるけど、もしも何かのきっかけで癇癪でも起こしたら……そう考えたら、ずっと置いておくわけにもいかないってことか。
まあ、気持ちはわかる。
何をしでかすかわからないくせに行動力と破壊力のあるやつの世話がどれだけ大変かとかよくわかる。
「一応、軽くは聞いたけど……彼、『転生者』なんでしょ? それで、あなたは彼を強くするために、称号の詳細と彼の精神状態を知るために私の所へ来た。それでいいのよね?」
「そうよ。話の意味は通じないかもしれないけど会話はできるし、できなくはないでしょ?」
「そうねぇ。それは別に構わないんだけど……もしも、彼が旅を続けられないような状態だったら、戦いに向かないような精神の持ち主だったら……どうするつもり? 世の中には、どうしても他人を傷付けられない、無理にそうさせると簡単に壊れちゃうような人もいるのよ?」
「どうするって、あいつはここに来るまでに一回、転生者と戦って……」
「でも彼は本当に『戦った』と思ってるのかしら? 彼の性格だとまず『話し合い』をしようとして、それが上手くいかなかった……ってこともあるんじゃない?」
『話し合い』……対話……否定はできない。
戦力を整えておくのも最終手段、交渉の一部として、降伏を促すための示威行為として用意してあっただけであって、使わないに越したことはないと思っていた……かもしれない。
その証拠と言えるかもしれないのは、あの転生者に逃げられたときの止めを刺すことへの執着のなさ。
私を取り返したから目的は達した……戦力を見せつけて、あの時点では諦めて帰ってもらった。
『私を帰してもらう』という交渉としては成功した、そういう見方もあるのか。
殺されかけておいて日和見的というか寛容過ぎるというか……しかし、あいつならば、あのマスターならばあり得ない話じゃない。
「……すごいわね。私はそういう考え方できなかった」
ただ、考え方がよくわからないと。
変なところで敵に甘すぎるのかとか、勝ったと思って油断したのかとか、そういう否定的な考え方しかできなかった。
「ふふ、それはもちろん、心を診るのがお仕事だもの。診療の前に一緒に過ごしてみて人となりを知っておくのは当たり前よ」
「そう……やっぱり私には向かなかったかー、そういうの」
「まあ、そう思った理由はルビアがすごく話をしたがってたから、なんだけどね。ルビアは考えてること全部を丁寧に話そうとするから、ちゃんと話を聞いてくれる相手にしか上手く聞いてもらえないのよ。彼は初対面の相手でも頑張って理解しようとするタイプの人ね……どうかしら、いっそのことうちのルビアのお婿さんにしてくれない? 相性は悪くないわよ?」
「あんたねえ……」
抜け目がないというか掴み所がないというか、相変わらず会話の主導権を握るのが上手い人間だ。『万能従者』の『心理学』のスキルを使っても勝ち目が見えそうにない。
「で、結局何が言いたいわけよ。アンナの話をしたいの? それともあいつの話をしたいの? それか娘のお見合い相手を探してんの?」
「全部よ。せっかくテーレに懐いてるんだし、狂信者さんの代わりにアンナちゃんを一緒に旅に連れていって下準備を整えたら? その間、狂信者さんをうちに預けてくれれば、ルビアが彼に魔法やこの世界での知識なんかを教えてくれると思うわ。もちろん、強制するつもりじゃないけどそれでもっと深い仲になってくれてもいいのよ?」
……うわぁ。
でたわ、こいつのこういうとんでもない計算が普通にできる天才肌なとこ。
自分の抱える厄介事と娘のお見合いを一気に解決しつつ、私にメリットがあるように持ちかけるとか……しかも、割りと理にかなってるように聞こえるのが腹立つわ。
確かに、もっとゆっくり準備するはずだった根回しも、マスターの教育も現状色々なトラブルのせいで半端に終わってる。
ここなら人の出入りが多い観光都市からある程度離れた陸の孤島だから足取りが途切れても不思議はなくて簡単には見つからないだろうし、マスターを預けておけば私はかなり自由に動ける。
各地に隠した金品を集めてまとまった資金を作ったり、上等な装備やマジックアイテムを集めたりもできる。
そこに私より決定力のあるアンナとコットンがいれば不測の事態にも対応できるだろうし、先にアンナを有名にしておけば後でパーティー参入という形でマスターに知名度を引き継げる。
過去に何があったかわからないのは不安要素だけど、アンナという代理を立てておけば私自身が名声を稼いで他の転生者に目を付けられるよりはリスクは減らせるはずだ。
そして、マスターの方も治療院なら基本的な神官系の魔法を教えるくらいはわけないだろうし、この世界の常識や知識はまだ全然だ。
今は長期の休みで帰省しているだけだとしても、ルビアは学院まで行ける秀才。なら、教育を任せるのにはさほど問題はない。
ただし……それをやると、私の知らないところでルビアとマスターが親密になる可能性が高い。
というか、ココアの考えてる主目的はそれだ。
学院のこの時期の休暇はそれほど長くない。
移動にかかる日数を考えるとルビアがこの治療院にいるのは長くて一、二ヶ月かそこら。
だけど、時間制限がある分ルビアは積極的に距離詰めてくるかもしれない。というか、ココアがそう誘導するに決まっている。
何故かって?
私の仕事が上手く行けば長女の玉の輿決定。
失敗しても、マスターは少なくとも女を利用して捨てるようなタイプではないから自分の監督下で娘に安全に恋愛経験を積ませられるからよし。
何より、そうするのが一番面白そうって顔をしている。
「あ、あいつから目を離すと何をやらかすか……」
「あら、忘れちゃったかしら? 私の仕事はそういう人たちの治療とお世話よ?」
「ぐっ……」
そもそもそれを頼りにここへ来たんだった。
ていうか、来る途中で脅しみたいな形だけど『最悪治療院に入院させてやる』とか言った気がするし。私、なんでココアの案にこんなに抵抗感を持ってるんだろうか。
「だ、だけど……え、えっと……」
「あらあら、まだちゃんと自覚できてないの。本当にお子様のままなのね、テーレったら。まあ、うちの子も似たようなものだし悪いとは言わないけど、ルビアの方がまだ進んでるわ。これじゃあ、私が何もしなくても決着がついちゃうかしら。つまらないわぁ」
「くっ! お子様言うな! 無駄に育った脂肪の塊見せつけてイヤミか!」
「大きくしてみたければ子供の一人くらい産んでみなさいな、ふふっ」
「うがぁああ!」
「あ、こら! お湯バシャバシャやらない! 彼の浸かる分がなくなっちゃうわよ!」
くそぅ……昔はココアの方がずっと赤ん坊だったクセに。
勝手に大きくなって、変わっていって、歳とって……だから好きにはなれないのよ、人間なんてものは。
side ???
長く、深く眠っていた気がする。
いや、眠らされていたのだろうか。
「ゥァァァ……」
『肉体』を動かそうとすると、関節の軋む音と呻き声が震動を発生させる。
上手く行かない……まだ、慣れていない。
当然だ。まだ、己の意思で『肉体』を動かしたことがないのだから。
どういうわけか、以前にはその自由もなかった。
いや、逆だ。自由以前に、本来の自身にはそんな能力も発想もなかった。何らかの要因で、獲得したそれらを、今になって突然にして『自覚した』。
その要因が何かというのはどうでもいい。能力や思考力が変化しようと、することは変わらない。
「ァァ……アァ、アア……グ、ガァ……」
『生存せよ』『繁栄せよ』。
それだけだ。その他の思考、その他の能力などそのための手段に過ぎない。
『肉体』を通して周囲の環境を認識し始める。
静かな場所だ。少なくとも、差し迫った脅威はない。
それならば、まずは順応。
新しく得た能力と、その代わりに失ったらしき能力。その変化を正しく把握し、その上で最適な生存戦略を算出する。
『肉体』の操作も最適化するべきだろう。
『肉体』を動かせるということは、自発的に効率的な移動ができるということ。
それは、その能力を十全に発揮できれば、活動圏を、生存域を飛躍的に拡大できるということだ。
それが可能になったというのなら、躊躇いなく征こう。
より確実に、より確かに『生存』し『繁栄』するために。




