第64話 微生物の研究者
side テーレ
『レグザル治療院』。
今回は素通りした観光都市レグザルの郊外に位置する、人口百人程度の一つの小さな村であり、同時に独立した私営の医療機関とも言える場所。
山奥に作られた穏やかな療養地として、同時に代々『癒し手』を院長兼村長として運営されてきた隔離施設の側面を持つ閉鎖的集落。
もっと直接的表現をするなら精神病院に近い場所でもある。
治癒魔法があるといっても、治せないものはある。
特に先天性の機能的欠陥や脳の損傷は魂まで影響するし、治癒が難しい。
何より脳は魂で見ても個人差が大きいから通常の治癒魔法のように『回復させる側の魂を参考にする』ということができない。下手に手を出せない場所だ。
そのため、こういった施設もある。
『癒し手』は他人の精神に触れることができる称号だけれど、触れれば治るというものじゃない。
何かの恐怖体験で歪みきってしまったものは全力で引っ張っても元に戻らないし、特殊な環境で育つことで間違ったまま積み上がったものは本人にとってそれが基本形だから無理に矯正しても元に戻る。
だから、こうして穏やかな時間を過ごせる場所で日々を送らせながら、日常的に少しずつ触れていくことでそれを治していく……あるいは、せめて社会の中で問題を起こさないように隔離しておく。
それがこの治療院の存在理由であり、治療院が『患者』の脱走を防ぐための高い柵を持つ理由でもある。
つまり、『柵の中から出てきたよくわからないことを言う少女』というのは、十中八九ここの『患者』だ。
だから……
「私に身に覚えはないって言ってるでしょうが! 私に娘なんていないわ!」
「テーレさん! そういうことを言うものではありません! 若気の至りであったとしても目の前の現実は受け止めるべきです!」
「スンスン、こっちはお兄ちゃんかな?」
このカオスな状況を何とかしてほしい。
あと、そろそろ完全解放してほしい。この子すごい力強い。『万能従者』使っても剥がせない。推定筋力レベル400以上ある。
素の筋力でこれってオーガとかミノタウロスでもちょっとない。
「いいですかテーレさん。テーレさんにしてみれば興味本位、ちょっとした娯楽気分だったのかもしれません。しかし、適切に対策をしていなければ愛はなくとも子はできるのです! たとえテーレさんが知らずとも!」
「私が産んでたら知らないわけないでしょうが!」
「魔法を使えば性別くらいどうにでもでしょう! 前に肉体のパターンは複数在るようなことも言っていましたし!」
「確かにやろうと思えばなんとかなるけども!」
まず断言する。
私はそういう行為をしたことは人間、天使、神、その他の生物含め一切ない。
強いて言うなら昔じゃれ合いの時にターレを全身くすぐり倒して気絶させたくらいだけど、それ以上のことは何もしていない。清い魂だ。
というか……
「まずストップ、マスター。整理しようか……一つ、私は子供を作ったことも作らせたこともない。二つ、この自称私の娘」
「アンナだよ?」
「わかった。アンナは結構でかい。正直言って今の私よりいろいろとでかい。なのにこの行動は子供っぽすぎる。そして治療院から出てきた。つまり、ここの人間……少し精神的に常時混乱状態に近い可能性が高い。ここまでいい?」
「はい、それは認めましょう。しかし、テーレさんと無関係であるとは限りません」
「関係してる証拠がないなら推定無罪にしてくれない!? ていうか、そこなんだけどさ……アンナ。さっきから私たちの匂い嗅いでるけど、どうして私が『母親』だと思うの?」
「『ママ』の匂いがするからだよ?」
「ほらここ! 根拠これだけ! あとさっき、何気にマスターは『お兄ちゃん』認定されてたし! このアンナって子は多分誰に対してこういう感じなんだって! ていうか院長に聞けばわかることだからさっさと降りる!」
というかマスター、普通に私が人間に懐妊させたと思うのやめてほしい。私だってディーレ様の評判落とさないように日々の振る舞いには割りと気を付けてるんだから。すごい清純そうな村娘とか見つけても天使の立場を使った『見えない悪戯』とかやるの我慢してるんだから。ターレくすぐって我慢してるんだから。
一向に離してくれる気配がないアンナを引きずって馬車を降りる。荷物は自然にマスターに押し付けた。私に変な疑惑を持った罰だ。
「ママ? 怒ってる?」
「ちょっとだけ! あいつにね!」
あいつが『天使』と『人間』を違うものとして認識してるのは知ってる。
だから、仮に私が人間との子供でも作っていようが、それを捨てていようが、あるいは忘れていようが、それを『あり得る話』だと受け止めるのはない話じゃないと思う。
実際、私だってあいつに話したことのない『人間』との関わり合いだってある。
聞かれてないから言わないだけで、別に隠してるわけじゃないけど。
だけどさ……
「散々『愛してる』とか口にした割りには、冷静過ぎるんじゃない?」
あいつの言ってたことは結局、『私を親だと思っているアンナの前で親であることを否定するな』ってだけだ。私が親である可能性を挙げてはいたけど……それだって、私を責めるためじゃなくて、『完全な否定を避けるため』。
この大きくて可哀想な幼子に現実を突きつけるなってだけの話だ。
あいつは、私がどこかで誰かに抱かれていたりしたかもしれないってのに、それ自体を……もし他に好きな『人間』がいたとしても、それを問題視していないみたいに。
多少は、そういう意味も含んでると思ってたのに……
「あんたの私へ向ける『愛』ってのは、どういう『愛』なのよ……どうして、散々『愛してる』なんて言っといて、一度だって『好きだ』って言わないのよ」
そんなこと、どうでも良いはずなのに、なんだか妙にモヤモヤする。
そして何より、その小さなモヤモヤをどうでもいいと思えない自分にイライラしている。
何百年と生きる天使が、二十年そこそこしか生きていない人間に、たったの二ヶ月と経たない時間で……ちょっと本質を受け入れられたり、生き方を肯定されたり、愛していると言われたりしただけでこんなに影響されるなんて。
ちょっと優しくされたら懐く子供か私は。
噓の言えないこの口で、あいつに『あんたの全部が大嫌いだ』と言えない事実がまた、また心から腹立たしい。
side 狂信者
『そもそも私は人間が嫌い。弱くてすぐ死ぬ人間が嫌い』。
あのラタ市で、私が最初に『命令』を使用して確認したテーレさんの真意です。
ええ、間違いの可能性が高いことは理解しています。そして、もしも、仮にあの額に傷のある少女がテーレさんの娘だったとしても、さほど驚くことではありませんとも。それはずっと前からしていた想定の中にあった可能性の一つです。
噓が言及できないことを誤魔化すためとはいえ、テーレさんは『弱くてすぐに死ぬから』人間が嫌いだと理解できる発言をしています。
しかし、それは勝手に死んで欲しいと思うような嫌悪だけでは出てこない言葉です。
過去に親しみを持った人間が、憎からず思った人間がいたからこそ、テーレさんの感覚で言えば『すぐに』死んでしまうことが嫌なのでしょう。
少なくとも、その可能性はあるだろうと考えていました。
なので、特に驚きはしません。
動揺するようなことでもありません。
アンナさんは『噓』を言っている気配がないので今はまだ結論を確定できていないというだけで、彼女の誤認である可能性が十分に高いと証明されれば済む話ですし……
『アルジサマ! ちょっと待って! 馬車に戻って!』
「おや、どうしましたライリーさん。私は治療院へ行かなければならないのですが」
『私を忘れてる! 馬車に置いてきてる!』
「ご冗談を。ライリーさんはここにいるでしょう?」
『本体はそうだけど! 瓶の中空っぽ! ゼリーの方馬車の中!』
ゼリーの方……あ、スライム・ライリーのボディの話でしたか。
これはうっかりしていました。今まで回収を忘れたことはなかったのですがね。偶にはこういうこともありますか。
「これは失礼。すぐに引き返しま……」
「え、きゃっ!」
立ち止まって振り返った瞬間。
目の前で箱を取り落とす二十歳前後の大人しそうな若い女性の姿。
この世界で出会った人間の中では珍しく眼鏡をした方です。
長く艶やかな髪と利発さを感じさせる顔付きがシャープな眼鏡とよくマッチしています。あと、潔癖症なのか、この世界では珍しいゴム質の薄い手袋をしていますね。
彼女は私の急な方向転換に驚いて箱を落としてしまった様子。
どうやら、同じ馬に引かれた別の客室にいたようですが、荷物の箱を抱えて私の真後ろについて来ていたのを私が気付かなかっただけのようです。
つまり、私の落ち度ですね。
「これは失礼。馬車に忘れ物をしたことを思いだしたので。荷物はご無事ですか?」
「あ、いえ、多分大丈夫な……はず、です。でもサンプルが大丈夫かどうか……」
落ちた箱の中を確認し始める眼鏡の女性。
蓋の下に詰まっていたのは、いくつかの小さな壺やガラス瓶など。実験器具のようなもの。
これは衝撃を与えるとマズいタイプのものに見えます。
「これは申し訳ありません。しかし、十秒だけお待ちを。馬車が出てしまうと手遅れになりますので」
馬車に駆け込み、座席の上で待機していたライリーさんに手の上に乗ってもらい、すぐに女性の所へ戻ります。
箱の中の割れ物などが破損していないかを確かめているようですが……表情を見るに、ひとまず問題はないようです。本当に良かった。
しかし、だからと言って、知らんぷりして先を急ぐのは最善ではないでしょう。
「本当に申し訳ありませんでした。お怪我、あるいは荷物の破損などはありませんでしたでしょうか? もしも何かあれば可能な限り修理などを行わせていただきますが」
へそを曲げてしまったテーレさんに誠心誠意頭を下げて機嫌を直すところから始めなければなりませんがね。
テーレさんならばそれなりに深刻な損傷があっても直せる……と、信じたいです。
「あ、えっと……大丈夫そうです。一応、馬車での揺れを考えてクッションも入れておいたので……あ、でも今の衝撃で休眠解けちゃったかも……あ、いえ、なんでもないです! 気にしなくて大丈夫です!」
「休眠が解けたとは……もしや、壺の中身は生物ですか? でしたらちゃんと確認しないと危険な状態になっているかもしれません」
「い、いえ! この中にいるのは、その……動物じゃなくて、『カビ』なんです。よく『魔本カビ』って呼ばれる品種で正式には『サーキックコロニアインクリーブス』って言うんですけど、温度を下げて不活性化させてあったのが衝撃で起きちゃったかもしれないってだけで、また温度を下げておけば……あ、いえ、『カビ』って言っても汚いものじゃなくて、研究に必要なサンプルであって私が変な趣味を持ってるわけでもなく……ああ、すいません。何を言ってるかわからないですよね」
ふむ、なるほど……
どこかで見たことがあるタイプの女性だと思っていましたが、なるほど。『研究熱心な理系女子大生』というのが一番適切な例えかもしれません。
そして、私との衝突で取り落としたものはその研究試料の『カビ』であると。
「いえいえ、よくわかりました。あなたは『カビ』……つまり、微生物の研究者なのですね。そして、その箱の中には移動中の繁殖や変化を防ぐために低温保存していたサンプルがそこに入っていると。それはまた、大変申し訳ないことをしました。実験器具や試料の扱いは慎重を期すものです。もしも問題が発生したら私のせいだということに……」
「いえいえ、そんな! ちゃんと持ってなかった私の不注意ですから! むしろ私みたいにカビ臭い女なんかがぶつかってしまって……こんな気味の悪いものをぶつけちゃって……」
「気味の悪いものなどではありません。それに、あなたはカビ臭くなどありませんよ。とりあえず、よろしければ持ちますよ。女性には少々重い荷物でしょう」
「え、でも……悪いですよ……」
「いえいえ、お詫びをさせてもらえなければこちらが困りますから」
箱の中身が無事だったのであれば、それくらいしかお詫びが思いつきませんし。
ライリーさんを肩に移し、私自身とテーレさんの分の荷物を背に回して箱を持ち上げました。ふむ、思ったよりも重いですが……まあ、この程度なら大丈夫でしょう。
「おっと……すみません、ライリーさん。瓶の中に戻すのは少し後ということで……」
「ライリーさんって……え!? なんですかこのちっちゃい女の子! しかも、この匂い……もしかして、あなたが作ったんですか!?」
おや、研究者と思わしき女性がライリーさんに興味津々です。
お詫びもありますし、ライリーさんには存分に観察されてもらいましょう。女性人気が高い、さすがはインキュバスです。
魅了した側であるはずのライリーさんは強い視線をいきなり向けられて少々怯え気味になっていますが。
「私が作ったというより、偶然できてしまったと言った方が正しいのですかね。私の使い魔のようなものです」
「すごい……魔本カビの苗床をそのまま一個の生物みたいに活動させて自己管理させるなんて発想は……あなたも魔法知性学の研究を?」
「いえいえ、私の生業は冒険者、職業は神官系ですよ。研究などという大層なものは……」
「神官系の使い魔! そっか、『自己保存』を利用して自然浄化からの隔離と精神体の封印を両立しながらその器を流動可能な素材にすることで使い魔として……あ、すみません! 何言ってるかわからないし、いきなりこんなこと言いだして気持ち悪いですよね……」
「いえ全然。ライリーさんの現状は本当に偶発的な原因あってのことなので過去に実験的に行われた事例がないのも不思議ではないでしょう。強いて言うのなら、歩きながら話しませんか? とりあえず、目的地は治療院でいいのですよね?」
「あ、はい!」
歩きながら会話が続きましたが……この方、なかなかに尖ったタイプの研究者の気配がしますね。
研究分野のことになると口調が明るくはきはきとしますが、時折思い出したように自分勝手な話をして私に不快感を与えていないかを気にする……日本で言えば『オタク系』、という部類かもしれませんね。まあ、私も同じような部類なので気にしませんが。
というか、好きなことはもっと堂々と喋ってもいいと思うくらいです。
相手に同意を得られずとも口に出しながら考えるだけで新しいアイデアが浮かぶことは多いのですし。
しかし……大丈夫なのでしょうか?
「今回の実験では『魔法を使う生物は知性を持つ』という前提から発展して『知性を持つ微生物は感情を持つか』を実証する実験で、これからサンプルを培養してストレスを与えながら『自己保存』の状態維持を観察する予定で……」
ストップがかからないのでそのまま歩いていますが、私はテーレさんの通った道をそのまま辿っているだけです。
目的地が同じだというのなら、村長としての『癒し手』のお宅、医療施設としての『治療院』の中核にお邪魔することになるのですが……
「それで、今回の長期休暇を利用して思い切って長期観察実験をやろうと思って機材一式を持ち帰って来たんですけど……」
「あの、話の途中申し訳ないのですが……一つ、質問をしても?」
「あ、はい。なんですか?」
「もう『癒し手』さん宅なのですが……あなたの目的地、私が荷を下ろすべき場所もここで合っているのですか?」
「………あ」
(覆いかぶさるように体重を預けるアンナさんを引きずりながら)テーレさんが戸を叩きます。
先程から、絶え間なく話しかけられる私に『到着早々何やっているんだこいつは』という視線を向けていましたがそれはそれ。
「はーい!」
戸の向こうから少女の声が聞こえ、丁度目の前にいたのかすぐにドアが開かれました。
軽くオシャレをした、十七か十八歳くらいの少女。
彼女は、戸を叩いたテーレさん……ではなく、私と、私の隣で熱弁を振るっていた女性を凝視して……叫びました。
「お母さん! お姉ちゃんがとうとう都会で男作って来たよ! お祝いだよお祝い! 赤飯炊かなきゃ!」
家の奥に走っていく少女……妹と推定される彼女を引き留めようとするように手を伸ばす女性でしたが……
「あ、あの、ちが……こ、この人は……」
急に我に返ってしまったのか弁解を試みる言葉はとても弱々しく、その言葉は話をしている内に完全に他人の距離感ではあり得ない至近距離になってしまっていた私にしか届かないものでした。
研究分野のことを話している時はちょっと早口です。




