第59話 『石化の呪い』➄
小難しい説明回。
よくわからない方は読み飛ばして『こいつオタクっぽいな!』と思っていただけばOKです。
side 狂信者
はてさて、どうしたものか。困りましたねえ。
「ご、ごめんなさい……ぼくのせいで……」
クルトさんが泣き止んでくれません。
子供を泣かせて喜ぶ趣味はないのです。子供を不要に悲しませるような大人は最低ですし。
「何度も言いますが、謝る必要はありません。私もリスクを承知で本を開きましたし、テーレさんも万全な準備を整えてくれました。スウェードさんもあなたの選択を尊重してくださったのです。今回は少々予想外のことが起きただけ、誰も謝る必要はありませんよ」
「でも……」
クルトさんは私の右腕を見てまた涙ぐんでしまいました。
彼の場合は一晩で指先程度だったそうですが……私の場合はあれからほぼ丸一日で目に見えて石化部分が広がっていますねえ。進行速度に個人差があるのでしょうか。
「石化部分の材質も違いますねえ。これが魔法としてのイメージ反映という性質の結果なら、『石』という概念に対して思い浮かべる対象の差ですか。普段宝石ばかり見ている方なら綺麗な宝石像にでもなるんですかねえ」
「冷静に分析してる場合か! マスター! あんた状況わかってんの!?」
おやおや、クルトさんは泣いてばかりですしテーレさんは怒ってばかり……いえ、怒っているのではなく焦りで苛ついているようですね。あれから馬車の速度を上げて治療院への到達時間を速めようと必死ですし。
まあ、確かにこの調子だとクルトさんより私が全身石化する方が早そうですが。
石化が完了してから時間が経って『癒し手』さんの解呪が成功しても後遺症が残ることもあるそうですし、まあ焦るのも仕方のないことです。
「そうですね……おそらく、症例が二つしかないので推測憶測の域を出ませんが、本から与えられたミームに対する理解度や魔法発動への慣れが進行速度の差を生み出しているのかと。本来は呪いへの耐性が高い私の方が明らかに速いというのは体質の差よりも知識量や人生経験によって発生した『本の内容』に対する認識の違いが大きいという可能性が高いですし。同じ本を読んでも別の人間なら感想や心に残る影響の強さが違うように」
「そういうことじゃないっての! なんでこの状況でそんなヘラヘラ笑ってられるのかって言ってんの!」
ああ、いえ、訂正です。やはりテーレさんは何やら私に対して不満を抱いて怒っていたようです。
まあ、ヘラヘラしているというか多少微笑んでいるくらいの方が周囲にストレスを与えないかと思ってこれを基本状態にしているのですが、よくなかったですかねえ。
ケースバイケースで表情を変えるというのは苦手でして。
皆さん、ほんとどうやってあんなスムーズに表情筋を動かしているんでしょうか。長年の疑問です。
まあ、私の常日頃からの疑問はどうでもいいとして。
「テーレさん、まあ確かに予想外の事態は起きました。これはしょうがないことです。転生者が能力で作成した動く本だったなどと予想するのは難しいことでしたから……しかし、そんなに嘆くことではないと思いますよ。最悪のパターンではないのですから」
「最悪のパターンじゃ……ない?」
「はい、最悪のパターンは『魔導書の呪いが既に消失していた場合』や『相性などの関係で私にはどうやっても呪いが効かなかった場合』です。それに比べれば、この状況は予想外とは言え想定内。『私が呪いを受ける』という条件は成立しているのですから」
「え……マスター、何言ってんの……まさか……」
『血清聖水』は病原体を取り込んで抗体を作るのと同じように、呪いを取り込んでそれに対する効果の高い聖水を作る治療法です。
血清を意図的に作る場合には病原体を他の生物を経由して弱毒化させますが、弱毒化は被験者への負担を軽減するためであって、抗体の生成自体に必要な行程ではありません。
つまり、弱毒化に失敗しただけで、今の状態は問題なく計画が進行しているということです。
「素の状態の……しかも、それだけ進行の速い呪いを相手に、自前の精神抵抗力だけでそこから回復しようって言ってんの?」
「はい、概ねその通りです。ですのでクルトさんも泣くことなど何もありませんよ。そもそも私は不要なダメージを受けたわけではないので。希望が絶たれたわけでもありません。ちゃんと治療のための行程は進行していますから、どうかご安心を」
あら……なんでしょう、この空気。
呆れられているのでしょうか、私は何か間違ったことを言ってしまいましたかね?
「い……いやいやいや、そんな簡単に、いやでも実際ポジティブな方が精神抵抗力は維持できるしむしろ真剣に状況に向き合ってるって見ることもできなくは……ああもう! 何を言ったらいいか本当にわからない!」
テーレさんが頭を抱えてしまいました。
私は可能な限り簡潔に現状に対する私の考え方やスタンスを示したつもりだったのですが、どこか伝わりにくくなってしまいましたかねえ。
まあ、それならば行動と結果で示すのみです。
「では、私はそろそろ精神集中を行い自力での解呪を試行し始めるので寝かせていただきます。一応、万一の保険として治療院への到着も急ぎでお願いします。では、命令ではなく就寝の挨拶としてですが、おやすみなさいです」
「マイペース過ぎてどう反応したらいいかわかんない!」
さあ、テーレさんが魔導書を安全に読むために万全の準備をしてくださったのですから、今度は私が全力を示す番です。
我々は女神ディーレの遣わせし転生者。最弱にして四面楚歌、これから先も他の転生者と戦う運命にあるというのなら……転生者が記した魔導書の呪い程度に負けていてどうしますか。
安全策が失敗したからといって、敗北を受け入れてどうなるものですか。
自分の思う最善を成す。
ディーレ様の『幸運の加護』とは何もしなくても成功するという結果が転がってくるようなものではなく、できることを全て行った上でほんの僅かに足りなかった1%を埋めるようなもの。
だからこそ、私は女神ディーレの信徒としてその1%がいつ訪れたとしても無駄にならないように常に最善を尽くさなければならない。自ら動こうとしない者に幸運など意味がないのですから。
ということで、精神空間に舞台を移しましょう。
光源らしいものが見当たらないのに何故かはっきりと存在するものが認識できる果てしない闇の世界。
ここが私の戦場です。
「ライリーさん。では、事前にお願いしておいたものをお願いします」
「アルジサマ! 本当にやるつもり? 読むと呪われる本なんでしょ?」
おやおやライリーさん。
ライリーさんも私を心配していてくれたようですね。
しかし、泣いてばかりでは困ります。ライリーさんにはこれから私のやることを手伝ってもらわなければいけないのですから。
「ライリーさん。それは違うでしょう。『呪い』は魔導書のセキュリティであり、あくまで魔導書そのものは『魔法を習得するための本』であるはずです。未熟な魔法使いが読もうとすれば呪いを受ける本……つまり、読者が未熟でなければ安全に読めるように製作すべきものです」
「だからって……」
「事前に頼んでおいた通り、プランBです。『写本』の作製は済んでいますね?」
私の問いかけに対して、ライリーさんは現物を手の中に出現させることで答えとしてくれました。
現実世界に存在する魔導書を再現したもの。
私の記憶から作った、私に影響を与えた魔導書の情報全てです。
夢魔であるライリーさんは夢を操作することができます。そして、夢とは基本的に記憶が元となるもの。
夢魔はやろうと思えば『一度だけ見た理想の異性』を再現して性欲を煽ることもできるのです。事前に申告して鮮明に記憶しておけば、このようなこともできるであろうと思って頼んでおきました。
いわゆる、疑似的な写真記憶ですね。
あの時は翻訳機能もオフにしていましたので、さすがに意味の分からない本の内容など私自身の記憶力では正確に記憶できませんでしたが、ライリーさんの手を借りればこうやって読み直すことが可能です。
早速受け取ろうとしましたが……ひょいと手を引かれてしまいました。ちょっとした意地悪ですが、数日ぶりの悪魔アピールですかね。
「あーっと、ライリーさん。もしや仕事の報酬についての話でしょうか。最初の契約の時に結んだ使役契約ではこの仕事の労力は割に合わなかったということなら、こちらも交渉に応じる用意はありますが……」
「違うよアルジサマ。そういうのじゃない」
「では、どういうのなんでしょうか?」
ライリーさんが今の立場に不満を覚えているのではないというのならありがたいことなのですが……
「アルジサマ。やめておこう? 無茶だよ……魔導書を読み直して『呪い』を自力で解呪する方法を見つけるなんて。もしかしたら、何度も読めばそれだけ呪いが悪化するかもしれない。それより、『癒し手』の人に診てもらえるまで耐えた方がいいよ」
ああ、なるほど。
そういうのでしたか。まあ、確かにその可能性も十分にありますし正論ではありますがね。
しかし……残念ながら、その方法では勝ちの目はないのですよ。
見たその選択肢を取った賽子には、私が完全に石化する以外の目はなかったのですよ。まあ、昨夜の夢の中での話ですが。
しかし、テーレさんの態度を見る限りでは大きく間違った予測ではないでしょう。
「テーレさんの態度から察するに、『癒し手』が解呪に長けた称号であるというのは本当でしょう。しかし、彼女はそれでも最初にクルトさんの安楽死を提案しています。急げば間に合うかもしれないと言って便乗すれば早く治療院へ行けたはずなのにです。つまり、この呪いは『癒し手』でも手に負えない可能性が高い。というより、そもそも『癒し手』に会いに行こうとしていた主目的を考えればその方は称号や呪いの『診断』ができるというだけでそれを解除できるかどうかはまた別の話なのでしょう。今は私の精神抵抗力を保つために『治療院へ行けばどうにかなる』というような振る舞いをしてはいますが、おそらく全身が完全に石化したら打つ手なしです。そして、どう急いでも私の進行速度では間に合いません」
「で、でもだからって……アルジサマは、『転生者』なんでしょ? この世界の魔法にも全然詳しくないのに……呪いの解呪法を自力で見つけるなんて……」
まあ、確かにそうですね。
私はまだまだ、この世界の魔法に関しては素人そのものです。正直言って、どうして身体が石になっているのに人間が生きていけるのか、血液循環などはどうなっているのかなど皆目見当がつきません。
まあ、概念的な置換ならば物理的な辻褄合わせは考えない方が楽なのかもしれませんが。
しかし、既に『呪い』の原理は準備段階でテーレさんから一通り教えておいてもらいました。
結論から言えば、解呪に魔法の知識はほぼ必要ありません。
「今回のような場合の『呪い』とは要するに『魔法の強制発動を誘発する暗示』です。そして、さらに伝達手段が言語の壁を突破する多少特殊なものであったにしろ、媒体はこの魔導書の内容。つまり、この本の中に『あなたは石である』ということを強く信じさせる情報が隠されている。そして、それが私とクルトさんの無意識まで浸透し、魔法を発動させて現実の身体を自己認識の『石である』という状態に合わせようとしている。それだけなのです」
「……?? それ、魔法じゃないの?」
「いえいえ違います。ミーム付与自体は魔法と全く関係のない技術として存在するものです。例えば、私の元となった人物のいた世界……いえ、私の前世の世界、地球では『サブリミナル効果』と呼ばれているものがありました。毎秒数十枚の絵を連続投影して絵が動いているように見せる『動画』というものの絵の中に、数百枚に一枚だけ視聴者に買わせたい商品の絵を入れる。とても素早い切り替えなので誰もその絵をはっきりと認識できないのに、そのアニメーションを思い返す度に何故かその商品が欲しくなる。それもまた一種のミーム付与、連想の誘発です」
「えっと……」
「わかりにくかったですかね。では、古代ギリシャの予言者カサンドラさんの話にしてみましょうか。彼女は未来を百発百中の精度で予知することができる史上稀な能力の持ち主でした。しかし、彼女はその能力と同時に『予言を誰にも信じてもらえない』という呪いを受けていたがために、非業の死を遂げることになりました。しかし、彼女の言葉自体は誰にでも理解できたのに、誰も信じることができなかった。それは何故でしょうか? 周りの彼らはカサンドラの言葉に何を思ったのでしょうか?」
「あ、え、うーん……『噓だ』かな?」
「正解です。彼女が確信を持って言った言葉であるのに、信じなかったのなら、それは彼女が噓を口にしたと思ったに違いありません。であれば、それは何故か……彼女の予言に関する言葉に『これは噓である』というミームが付与されることが呪いの効果だったためです。つまり、彼らは彼女の言葉の前に無意識に『これは噓だから信じないでいいけど』という言葉を付け足して聞かされていたのです。これに関しては確かにミーム付与自体が魔法的現象と言えますが、実験をいくつかしてみれば異常なミーム付与が発生していることは確認できます。実際にこの世界でもアーク嬢との実験でも確認できましたが、それはまた別の機会に。ここで重要な部分は『ミーム付与自体は難しいことではないこと』、そして『特定のミームを付与することで元からその情報が持つミームを打ち消すことができる』ということです。カサンドラさんの予言が周囲の人物の行動に影響を与えられなかったように。さて、ではここで地球にてある年の『エイプリルフール』という『噓を楽しむ日』に起きた事件のお話をしましょう」
「え、ちょっと、アルジサマ待って」
「はい、ちょっと待ちます………三秒待ちました。では改めて、その日のラジオ……音声のみを伝える公共情報共有手段のことですが、その媒体である事件が放送されました。それは『異星からの侵略者が到来した』というもので、地球では前例のない荒唐無稽と呼ばれる類の話。まあ、もちろん面白さを求めた噓の情報であり、事前にその旨が伝えられていたのですが、それは予想外のパニックを引き起こすことになりました。それは、その『以下の情報は噓である』というミームを与える部分の音声を聞き逃した人々が『侵略者襲来』の部分だけを聞いてそれを真実と思ったせいでした。これは『公共のラジオから与えられる情報は真実である』という先入観的ミーム付与のせいでもありますが、収束のために放送局はもう一度『以上は噓である』というミームを発信する必要がありました。今回の『呪い』に関してもこれと同じことが言えるはずです」
おや、ライリーさんが目を回し始めていますね。
かなり簡単に説明したはずですが……まあ、半端に話を終えるというのもよくありません。生兵法は大怪我の元。
一度説明を始めた以上は最後まで話します。
「テーレさんの話から劣化防止以外の魔法はまずないそうなので、ミーム付与自体が全く本の内容とは関係のない私の知らない方法という可能性は低いはずですが、ミームが私に影響を与えている以上は伝達手段がどうであれ影響から逆算することが可能です。むしろその方が異常な付与が呪いに必要な部分だということで特定が簡単になります。まあ、取りあえずは一通りこの写本を読んでみて翻訳を切った状態で伝わってきた情報と翻訳した場合での純粋な文面の持つ情報を比較してみましょうか」
知識不足は根本的にどうにもなりませんが、魔導書からの強制入力で単語のニュアンスなどは大体把握できているので助かりますね。
全体的な内容の趣旨も把握できていますし……ああ、そうそう。ちなみにこの本の主題は『不老不死に関する研究』でした。
魔導書そのものはどう処分すべきか……それは、解呪に成功したら考えましょう。
「今回の呪いに関しては、本質的な部分は非常にシンプルな問題です。『あなたは石である』というミームを与える部分を本の中から見つけ出し、『あなたは石ではない』になるように『否定』の意味を与えるアンチミームを与えてもう一度その部分を読み直せばいい。私が完全に石化し、それがただの説明不要な事実になる前に」
「ほ、ほぇえ……こ、こうさーん……偉そうにアルジサマの心配なんてしたわたしが悪かったですぅ……」
脱力し本を差し出してくださるライリーさん。
協力に納得してくださったようで何より。ではさっそく。
「ライリーさん、適当な机、椅子と筆記用具一式、それに黒板を一つ出してください。あと、お暇でしたら『写本』のコピーをいくつか追加し、その内の一冊を使って『石』やそれに類する単語全てに印を付けて頂けると助かります」
「ひぇええ!」
ライリーさんには負担をかけてしまいますが、私の精神抵抗力で石化を止められている間が勝負なので仕方がないと思ってもらう他ありません。
精神抵抗力とは自己の思想を貫き、他者から与えられる思想を否定する力とのこと。
しかし、正直に言えば私は無理解による否定というのは好きではありませんし、あまり得意でもありません。故に、理解した上で否定しましょう。その思想を、その主張を、その理論を全て聞き入れた上で私は己を貫きましょう。
私が論破され呪い殺されるか、魔導書の真意を理解し否定できるか、命懸けの闘論を始めましょう。
『生兵法は大怪我のもと』という言葉を知っていて注意していても、『説明を聞いても理解できない』という可能性を失念している、まともじゃない方の主人公。
当人としては可能な限りわかりやすく説明したつもりですし、ライリーさんも理解したから『もう十分』というようなことを言ったのだと思っています。
こういうのは話を理解できない相手を馬鹿にしているのではないのです。ただ、相手が何を理解できていないのかわからないだけなのです。
実は一発で『ミーム』の概念を理解したジャネットはそれなりに異常。




