第58話 『石化の呪い』④
side 狂信者
私がクルトさんに見事説得されてしまったその翌日。
『血清聖水』作成のための儀式を執り行うことになりました。
テーレさんにはなんとか『命令』は使わずに準備をしてもらうことに成功……というより、もはや呆れすぎて反対するのを諦めているようでしたが、一日かけてきっちりと万全な準備を整えてもらえました。
必要物資などは行商さんの扱う品物の中から集めることができましたしね。
「この魔方陣を刻んだ石の上で、この眼鏡かけて読むこと。あと、『翻訳』は切って全体を理解しようとはせずにパラパラと流して挿絵とかもあんまり集中して読まないこと。情報量を制限すれば呪いの効果も弱まるから、仮に呪いを受けた気がしなくても本気で読もうとしないこと。少しずつ解像度を上げて試せばいいだけだから。いいね?」
入念な準備を進めてくださるテーレさん。
私は元々神官系の職業適性が高いので呪いへの耐性を持っているそうですが、そこにさらに呪いへの抵抗確率上昇の魔方陣と呪いの流入量を下げるための呪紋の刻まれたレンズを重ねることでほんの僅かにだけ呪いを受けるようにしています。
完全に呪いを阻めば意味がありませんし、私の呪い耐性で処理できないほど強力な呪いのままでは普通に石化を受けてしまいます。
弱毒化した病原体を人間に注射して抗体を作らせるのと同じ理屈ですね。
「あの子の呪いの強度や進行速度から計算すれば、これでまず間違いなく耐えられるはず……あと、これも飲んでおきなさい。呪いの定着をある程度防ぎやすくなるから」
「了解です。うむ、なかなかに美味」
ちなみに、お薬はほぼ無味無臭でした。
良薬口に苦しと言いますが、不味くないのはありがたいことです。
「お気楽ね……いい? もしも発症しても諦めないこと。呪いの耐性が高いのは同時に呪いからの回復力も高いってことだから、諦めて精神が負ければ本当に戻らなくなるけど、最終手段として精神で抵抗し続けてればどうにかやりようはある。最悪、完全に石化しても自己認識まで『石』になりきらなければ治療院でなんとかできる可能性もある……その時は、軽はずみな行動を後悔しながら自分が『人間』であることを意識し続けなさい」
「後悔に関してはお約束できませんが、自己認識の方は了解しました。ご安心を、私は常々私以外に非異常な『人』はいないのではないかと思ってしまうほどに『人』であると自認していますので」
「それはそれでどうかと思うんだけど」
そう言って、テーレさんは私に魔導書を手渡してくださいます。
つまり、もう注意点はないということ。
間違っても呪いを受けないように行商さんとクルトさんには遠くに離れていただき、準備完了です。
「いい? 魔法使いが魔導書を解読する時に使う対策は一通りしたけど、できる限りの準備をしていても事故は起きる。だから……途中で怖くなって本を閉じても、誰も文句は言わない。あの二人が何か言っても、私が黙らせる。忘れないでよ……ここであんたが石になっても、ディーレ様のためにも、私のためにもならないんだから」
「……了解しました。では、テーレさんも退避を」
予定通り、テーレさんにもある程度離れていただきます。
テーレさんに万一のことがあってはそれこそことですからね。
まあ、私も簡単に呪いに屈するつもりはありませんが……念のために、私ができることはしておきましょうか。
(ライリーさん、聞こえていますか?)
『うん! 聞こえてるよアルジサマ!』
(少々お願いしたいことがあるのですが……)
side テーレ
魔法陣から離れて所定の位置に立ってから、小さな後悔の念が湧き上がる。
結局、こうなるのを止めることができなかった。
あの夜。
私があいつに『転生したからって主人公を気取るな』と責め立てた、そのすぐ後。あいつは私に言った……私の『全てはディーレ様のために』というのは『私の幸福のために』とほぼ同義であると。
「私が……『自分の幸福』のために頑張ってるっていうの? 違う、私はずっとディーレ様のために……」
「もちろんです。それは疑いようのないことでしょう。しかし、自分以外の誰かのための努力尽力忠誠は自身の幸福追求とは矛盾しませんよ。クルトさんにとっての幸福が『まだ治せない病気を治せるようになること』への道程にあるのと同じように、テーレさんの幸福が『ディーレ様のために行動すること』を根源としている。そこにおかしいことがありますか?」
あの岩陰でマスターが私の手を握りながら言ったことは、私の考えたことのないことだった。
全てはディーレ様のために……私をただの不幸な魂になる運命から救ってくれた幸運の女神のために、私の全てを捧げる。それが私の天使としての生き方であり、迷いようのない道標だった。
そこに疑問を持ったことがなかった。
私は『自分』を捨ててディーレ様に仕えている……『自分』の全てを捧げているはずだった。
「飽食を享受し、怠惰に漂い、優越に浸る。そればかりが『幸福』の形ではありません。他人を笑顔にする、道端のゴミを拾う、自らの財を分け与える、額に汗して働く、外敵と戦う、友人と語らう、宿敵と競う、希少であっても実用性は皆無で無価値な石を集める。幸福度を上げる方法は千差万別、そこに『愛する者に尽くす』があるのは当然でしょう。もちろん、私もディーレ様を神として愛しています。それが私の幸福の実践であり、『信仰』を示すという行動原理の起点です。しかし、それはテーレさんとは立場の違う愛です。こうして行動方針で意見の違いが出るのも不思議なことではありません」
私にはわからない。
天使としてディーレ様に仕えながら二百年生きている私が、精々二十数年しか生きていない人間に、どうして何も言い返せなかったのか。どうして、あの一連の言葉を否定できなかったのかを。
「これは私の個人的な所感主観推測の話ですが、テーレさんのディーレ様への愛は『神への愛』である以上に、『親への愛』であり『恩人への愛』であるように感じます。いえ、それを悪いとは言いません。むしろ、人格神としてディーレ様はそういった視点をこそ喜んでいるかもしれません。ご自身で『祀り上げられてしまった』というくらいなのですから。それはディーレ様に近しい立場のテーレ様の特権です」
そう言って、彼の手は私の手から離れた。
私に触れることすら恐れ多いとでも言うように。
「しかし、私の女神ディーレへの愛はどうしようもなく『神への愛』であり、私の捧げる信仰は『一介の信徒としての信仰』です。『自分の思う最善を成せ』、テーレさんは大局を見て女神ディーレ様に信仰を集めるために私を英雄に育て上げたい。それはテーレさんの立場での最善なのでしょう。しかし、私がただの信徒の一人として女神ディーレに信仰を示すための最善は、目の前に現れ、私に助けを求めたクルトさんを助けたいという善意を実行に移すことなのです」
転生者であると同時に、女神ディーレを信仰する一人の信徒である。
転生者は数あれど、きっとこんなやつは他にいない。女神の美貌への下心でも、一個の人格としての女神への執着でもなく、そして救ってもらいたいわけでもなく、信仰を示したいがためにここまでする転生者なんて。
「私はまだ英雄でもなんでもない、ただこの世界に転生してきただけの若輩ですが……そんな何のとりえもない私が『助けられるかもしれない人』に遭遇し『助けを求められる』というのはなかなかない、奇跡的な巡り合わせです。それが彼らの過去の善意に対する幸運だと言うのなら、幸運の女神ディーレの信徒が目を背けるわけにはいかないでしょう。あるいは、入信したばかりの私が善意を示すための機会が訪れたという幸運かもしれません。少なくとも、血清聖水を作ることができる技術のあるテーレさんと神官適性の高い私が馬に逃げられてしまったその日に彼らの馬車と出会ったのは、偶然の積み重ねにしては出来過ぎなくらいです。そして、ここで彼らを見捨てれば、奇跡になり得るその積み重ねがただの偶然になってしまう。当選していたのに換金されなかった宝くじは結局ただの紙屑でしかないのと同じように」
ディーレ様の目に留まった私の魂も、ディーレ様の善意で拾ってもらえなければただの汚れきった悪魔の卵にしかなれなかったように。
成功率の高い賭けを前にして覚悟もなく、ただのかっこつけや流れに流された結果として関わろうとしたのかと思ったけど……それは逆だったのかもしれない。
成功率が高くても、取り返しのつかない呪いを受けるかもしれない賭け。それに対して『幸運』たるディーレ様の加護を信じて自分の身を投げ出すという覚悟の証明。
この世界で、転生者としては圧倒的に不利な状態からスタートした私との旅を女神ディーレの信徒として戦い抜くという決意表明。
だというのなら……
「それでもやはりダメだと言うのなら……せめて、彼らの遺体はモンスターに襲われたように見せかけるにしても、死そのものは約束通り苦痛のないものにしてください」
「…………え? いや、何の話?」
「え? いえ、治療しないのであれば二人とも秘密裏に処分するのでしょ? 安楽死の話を出したのですし」
「え? ええ? いや、ちょっとどういう経緯でその結論になったか説明してくれない?」
いきなり話が飛び過ぎて理解が追い付かなかった。
え、いや確かに安楽死の話をしたけど、あれは血清聖水のことを言ったらこの馬鹿が何を言いだすかって思ったから話の方向を逸らそうとして……
「では順序を追って。まず、彼らに安楽死を提案してそれが承諾された場合……我々は客観的な事実として『助けられる可能性のある子供を前にして、その手段を隠して安楽死を勧めた』ということになります。そして、それが滞りなく済んだあと、クルトさんを失った行商さんが生きて旅を続け、どこかで血清聖水のことを知ったとしましょう。確実に恨まれますよ。それに、私たちは偉業を成すことを目標としているわけですし、必然的に知名度も上がっていくでしょう。その時に『過去に助けられる子供を見殺しにしたことがある』と騒がれればそれなりのダメージになります。九割という成功率はそうなるとかなり高く、批判された場合にかなり痛い。残りの一割が致命的な結果を生むとしてでもです。私が敵対する転生者ならここを攻撃しないわけがありません」
「……………」
言葉も出ない。
『助けられる子供を見殺しにした』というのは私たちが目障りな立場の人間からしてみればとても口当たりのいい誹謗中傷の文言になる。
血清聖水に関しても、現に呪いを持った子供がいる彼に話せば泣きつかれるから誰も話さないにしても、状況が変われば誰かが教える可能性は十分にある。
「まあ、安楽死を提案するのではなく血清聖水という治療法を話し、最寄りの街であるコインズの街で全財産をはたいてでも頼まれてくれる人間を探すということをお勧めするのであれば、それはそれで多少睨まれはすれそこまで恨まれないでしょうが……安楽死を勧め、息子さんの息の根を止めるというのなら行商さんの方も口を封じるべきでしょう。そして、もちろん偶然出会った行商人親子を始末したなどという噂が立っても困るので、死体や馬車はモンスターに襲われたようにでも見せかけるべきです」
「…………」
多分、頼んだところで血清聖水の作成に協力してくれる人間はいない。
普通は血清聖水だって十分な時間をかけて最初の被害者の死体や症状から呪いの強さなんかを検証してから意図的に呪いを受ける。未知の呪いに自分から触れるなんて馬鹿なことプロはやらないし、呪いの耐性は精神力も影響するから無理やり低層民で人体実験なんかもできない。
でも、少なくともそうやって『押し付け』をしておけば、結果がどうなってもそれほど恨まれることはなかった。
「テーレさんが『私を守るため』に安楽死を提案してしまった以上、もっとも角が立たず、かつ彼らが生きていても私たちのダメージにならないことの収め方は、息子のクルトさん自身に症状の仔細と助かるかもしれない方法、そして助かるためのリスクとして他人を道連れにする可能性がどの程度あるのかを正直に話し、その結果として彼が『他人の命を危険にさらすより自ら安楽死を選ぶ』という形が最もまとまりのいい綺麗な終わり方でしたが……まあ、あれだけ死を怖がらないように言い聞かせた上でそれでも助けてほしいと言われたらもう助ける以外ありませんね」
「……………あ」
「……テーレさん? あ、とは?」
もしも、言われたとおりにあの親子を暗殺したとする。
けど、そうしたらどれだけ入念に証拠隠滅を図ったところでコインズの街での一件で逃げ出した私たちに疑いの目が向く。
かといって治療法があるのにそれを教えなかった、そして治療法を教えて協力をしなかったと吹聴されれば悪評は避けられない。
それに、神官系冒険者が達成しやすい『偉業』の一つは新種の解呪法の確立。聖職者として有名になれば単純な解呪依頼も増える。
けれど、ここで何もせず呪いから逃げ出したとなれば解呪関連の依頼も受けにくくなる。
つまり……
「最初に血清聖水のことを正直に話して街で頼めって言えばよかっただけじゃん! 称号のせいでどうなるかわからないって言えば口実もできたし!」
つまりは、私の判断ミスだった。
マスターの立場からすれば『あの二人を生かして返す』という『我が儘』を実現するためには、そして今後の活動に響く汚点を残さないやり方を考えたら『助ける』か『断ってもらう』しかなかったというだけのことだった。
しかも、確かに言われてみれば助けるのを断った上で野放しにできないのもそうだけど、どんな手であれ殺せばそちらの方が見つかった時に重大な汚点になる。
今はよくても名声が上がって行って鼻の利くタイプの転生者に目をつけられたら完全な隠蔽はできない。
「血清聖水のことも結局すぐに隠してるってばれたし、そもそも質問されたら言うしかないんだから……もう、私ってこんな馬鹿だったっけ?」
天界にいた時はもっと先々のことを考えて動けていた気がする。
というか、現世に来てからはあいつのせいで調子を狂わされっぱなしだ。
『聖地』を創るための道具……そのためだけの関係のはずなのに。あいつが私をどれだけ愛しているとか言おうが関係ないはずなのに。
「てか確かに私から呪いにかかるように強制するのは無理だけど自分から呪いに首突っ込むっていうんなら別に問題ないし。私に命令できる状態じゃなくなるって言うんなら影武者だろうがなんだろうが立てられるし」
『いっそ本当に呪われてしまえ』……そう言おうと思ったのに、何故かそれは喉元で止まって消えてしまった。
呪いと同じだ……放った言葉は戻せない。今これを言うことは取り返しのつかない結果になる気がした。
けど……そんなのは、ただの勘違いだった。
私が口に出さなくても、私が望まなくても、拒み続けていても、『不幸』は常に私を中心に集まってくる。
「……『テーレさん』!」
魔導書解読のための対策は限られた時間の中で可能な限り整えた。でも、対策は万全でも『不幸な事故』はいつだろうと起こり得る。
それが悪意ある魔導書ならば、なおさらのことだった。
「どう……『どうしたの』!?」
マスターは『日本語』で話しかけてきた。魔導書の内容を理解しすぎないように、転生者の基本能力である『翻訳機能』をオフにしているためだ。
だから、文字の意味も読み取れていないはずだ。下手をすれば魔導書の呪いも全く受けていないはずだ。
そう思っていた。それを前提とした、勝率九割だった。
「『問題発生です。文字を理解できないのに意味が理解できてしまっています。しかも、何故か視線を外すことができないようです』」
「そんな、まさか……『すぐに読むのをやめて! 本から離れて!』」
「『了解しました……が、これは!』」
マスターが本から手を離して身を退く。
けれど、その目は本のページから離れていない。そして、本が独りでにページをパラパラとめくっていく。
『強制的に内容を理解させ、ページを進ませる』。
そんな『現象』はありえないはずだった。
いや、あれが魔本だったりそういった術式の組み込まれたマジックアイテムだったなら結果として起こりうる現象ではあるけれど、そういったトラップの可能性は徹底的に調べてある。
劣化防止以外の魔法に繋がる魔力も現実性の歪みもないことを確認したからこそ、最悪の場合は中止できると踏んだからこその実行だった。
けれど、今現在の目の前の現実として、本は勝手に動いてマスターに強制的に内容を読ませている。
マスターが目を閉じないのもおそらくは何らかの強制力のせい。
行商の息子が読んだときにはそういった現象があったとは聞いていないけれど、それは読み手の抵抗力が弱くて誘導に気付かなかったせい?
つまり、『本を動かす術式』や『目を閉じさせない暗示』なんて小手先の細工じゃなくて……『最後まで本を読ませる』という概念そのもの?
魔法でもなく、暗示でもないのだとすれば……残る可能性は一つ。
神々の力の断片。世界そのものから『そういうものである』と定義することを許可された擬似権能の産物。
『転生特典で造られた魔導書』。
「っ……『運命的大失敗』!」
運気を瞬間的に下げることで『本を読むこと』を失敗させようとしたけど、魔法が発動しない。
因果律的な対象が存在していない……これはもはや自動成功することが確定した事象になってしまっている。既に運命を変えるべき可能性の分岐点が、『意思』が介在していない。
結局、私は本が最後のページまで捲られるまで何もできなかった。
マスターは魔導書に呪紋の帯を巻きつけ、また勝手に動き出すことを防ぐためか腕を乗せ、体重をかけて魔導書を押さえつけている。
その『石化した腕』で。
「……テーレさん、申し訳ありません。読むのをやめるように言われたのですが……どうやら、失敗してしまったようです。全部目を通してしまいました」
呪いを受けた当の本人は自分の状況よりも私の命令を実行できなかったことを悔いるように、いつもより力ない微笑みを私に向けるのだった。




