第57話 『石化の呪い』➂
side ローマック・スウェード
日が昇り始め、空が薄い青色に染まりだした朝。
天気は程々によく、空気も清浄だが気分は優れない。どうして俺の息子だけがという思いのせいか、夜闇から解放されていく世界に置いて行かれている、そんな感覚すら覚える。
そんな時、朝の挨拶と共に声をかけてきた冒険者は昨晩の提案について実行する気があるのならと、条件としてとんでもないことを口にした。
「息子に呪いのことを説明するだと!? そんなことをしたら……」
「どちらにしろ、安楽死を実行するのなら本人の承諾を求めます。本人の承諾のない安楽死は結局の所ただの殺人です。意識がなく意思の疎通が不可能というのならともかく、会話が可能ならそうするべきだと判断しました」
反論しようとして……言葉に詰まり、頭を抱える。
昨日一晩、寝ずに考えた。
全身が完全に動かない石になり、死ぬこともできずに苦しむ……そのくらいなら、その前に安楽死させるのが正しい選択だという決心もようやくできた所だった。
だが、息子には何も知らせないまま、恐怖を感じないままに全てを終えるつもりだった。
「だが……やっぱりできない! 息子にそんな酷な……」
「はい、なのでテーレさんにお願いして既に説明を済ませていただきました。可能な限りマイルドに」
「……な、なんだとう!?」
朝食の用意もままならないだろうと言って朝一番にスープを持ってきた時には疑問を持たなかったが、よく考えればあれだけべったりだった二人組がこの男一人というのはおかしかった。
つまり、こちらの話は時間稼ぎで……急いで荷台に駆け込み、中を覗き込んだ。
まだ核心に触れていなければ……そう思ったが……
「そ、そんな……ぐすっ……うそ、だよね……とうさん……」
「マ、マスター? 一応、可能な限りマイルドに伝えたからね? 泣いたのは不可抗力だからね?」
息子は泣いていた。
自分では涙をぬぐうこともできない我が子が、迫る死を理解して泣いていた。
「ありがとうございました、テーレさん。では、次は私が話を……」
「てめえ……なんてことしてくれてんだ!」
目の前が真っ赤になった。
俺がようやく冷静になったのは、拳に残った手応えと俺を羽交い絞めにするテーレという少女の外見からは不相応なほどの力を感じてからだった。
数分後。
会話できる程度に落ち着いた俺はようやく拘束から解放され、彼らの言い分が確かなものだと理解し、深く頭を下げた。
彼らからすれば、手の施しようのない子供が相手だろうと赤の他人の『殺人』を手伝う義理はないというのは言われてみれば当然の話だ。
だが、あちらかしたら理不尽に殴られたはずなのに、黒衣の冒険者は殴られた鼻をさすりながら、どこか微笑すら含んだ表情で俺の感情的な一撃を水に流した。
「愛の込められた重い拳でした……愛の実在証明、ごちそうさまです。まあ、こちらもあなたが答えを出せないと思い少々不意討ち気味な手を使いましたので、拳を受けることに異論はないのですが……落ち着きましたか?」
「ああ……すまん。冷静じゃなかった。だが……」
本当は、話をするのなら俺がしなければいけなかった。
だが、きっと俺に任せていてはいつまでもその決心はつかなかった。
息子の命と言えど他人の命。
安楽死といえど、本人の承諾がなければただの殺人。そう言われてしまえば反論のしようがない。
息子が魔導書を読んでしまったのも、元はといえば俺の不注意のせいだ。
苦痛がないとしても、ある日突然に毒を飲まされて殺されるような罪を犯したわけではない。
それに……
「では、改めて彼と話をしてきます。今度は傍にいていただいてもいいですが……できれば、口を挟まぬようにお願いします。彼自身の言葉が聞きたいので」
息子の石化には、『確実性が低く危険が伴い、場合によっては苦痛を伴う死があり得る治療法』があるらしい。
そればかりは本人の意思を確認しないことには試すこともできないと……万に一つでも助かるかもしれない方法があると言われれば、本当に何も言い返せない。
息子を悲しませたのは……方々で治療を断られたことを黙っていて希望を持たせていたのは俺なのだから。
「では、失礼します。先程は少々ショッキングな場面を見せてしまいましたが、あれは私に落ち度があるので気にしないでください。ええ、はい、テーレさんには診断結果を正直に話してもらいました。嘘ではありません」
「ぼく……しんじゃうの……? とうさん……」
涙ぐんだ息子の視線に、思わず目を逸らしてしまう。
それだけで、息子には十分伝わってしまった。横たわり、首もほとんど動かせない息子の目尻からまた涙が流れ落ちる。
そこで、神官の適性を持つという冒険者の男は指で涙を拭き取り、息子の隣に座った。
「ローマック・スウェードさんの息子さん、クルト・スウェードさんですね。私は冒険者、二つ名を『狂信者』などと呼ばれているしがない女神ディーレの一信徒です。あなたにお話をと思いまして」
「きょうしんしゃ……おはなし?」
「はい、私はおそらく、あなたよりも少しだけ死後の世界について詳しいので。誤解を先に解いておこうと思いまして。まず、私がよく知る死後の世界はそれほど怖いものではありません。あなたが誰かを呪おうというのでなければ、天使様や神々は丁寧にあなたを出迎えてくれるでしょう。そうでなくとも、無為に理不尽な責め苦を与えられることもありません……命はまた、別の命へと転生するのみ。むしろ、苦しいのは生きている人間の方だと思いますよ。私は」
「ほん……とう?」
「はい、何せ私は一度うっかり死んでしまいまして、ディーレ様にお会いしたことがあるのです。むしろ居心地が良すぎて勝手に成仏しようとしたらさっさと現世に送られてしまったくらいでして。未遂には終わりましたが、なかなか気持ちの良いものですよあれは」
嘘も方便というべきか。
あるいは本気でそう言ったことを言えるからこそ『狂信者』なんて二つ名がつくのか。
今日明日にも死ぬかもしれない相手に向かって俺のように『死』の話を躊躇せずに堂々と語る姿、悲しみや憐みを欠片も見せない姿は息子の恐怖を和らげるものだった。
涙を浮かべていたはずの息子が……クスリと、小さく笑った。
「そっか……こわくないんだ……」
「ええ、ですが……その代わり、転生すれば高確率であなたがクルト・スウェードとして生きた記憶は失われます。極稀に記憶を残すこともありますが、望んで叶うものではないと思った方がいいでしょう」
「ぜんぶ……わすれる?」
「はい。嬉しかったことも、楽しかったことも、苦しかったことも痛かったことも、全て忘れます。何故なら、次のあなたはもはや『クルト・スウェード』ではないからです。今のあなたが前回の生を忘れてしまっているように、今生での新しい体験を新鮮に感じられるように」
「おかあさんのことも……おとうさんのことも?」
「ええ、次の生にはきっと、次の両親がいます。どのような方かはわかりませんが……今の私に親はありませんが、普通に転生すればきっとちゃんと親を持てるでしょう」
「そんなの……やだよ……」
妻は息子がまだ小さい内に病で他界した。
だから息子は母親のことを話さないし、憶えてなんかいないと思っていたが……俺だけが心の支えだと思っていたが、何かを憶えていたのか。物心つかない頃の、きっと何気ない日々の中にあった面影を。
「……どうして、嫌なのでしょうね。生きるとは辛いもの、いっそのことずっと死後の安寧を望んだ方が自然かもしれないのに、何故あなたは忘れたくないのですか?」
「ぼくは……」
息子が俺を見て口ごもる。
だが、冒険者はそれを見ても止まらない。
「言ってください。今言わなければ、その想いは現世に残らない。それは未練になります」
「ぼくは…………魔法のはかせになりたい……どんな病気もなおせる、すごい魔法をつくりたい……」
おそらく、客観的には一瞬の、だが俺の中では長い時間。
言葉の意味を反芻して、ようやく理解できた。
息子は……母親を亡くした息子がいつか一人でも立派に生きていけるようにと、早くから商人の仕事を教え始めた。
息子も、俺の仕事を嫌ってはいなかったし、将来商人になるだろうと思っていた。
だが、息子の想いは違った……妻の最期を憶えていたから、同じように病気で苦しむ人を助けられるようになりたかった。
そして……だからこそ、魔導書を読んで、呪いを受けてしまった。
だからこそ……今まで言えなかった。
「そうですか……それがあなたの夢、そこへ向かう道があなたの幸福なんですね。クルトさん、もしも呪いを解呪できるかもしれない方法があるのなら、試してみたいですか?」
「……あるの?」
「はい……ただし、下手をすると他人に迷惑が掛かります。具体的に言うと私がクルトさんと同じ呪いで石化し共倒れします。上手く行けば二人とも助かります。一度挑戦すれば二人で生きるか二人で石になるかの二択です。正確な成功率は不明ですが、九割方は成功するそうです。しかし、残りの一割の失敗は共倒れの完全失敗です。それでも、挑戦してみますか?」
「お、おい! そんな方法なんて聞いてな」
「はい、具体的な方法を質問されていなかったので。詳細を聞きたければ後でテーレさんに。しかし……父親と言えど、彼の選択には口を挟まないでいただきたい。私は、自分の意志で生きようとする彼の選択以外で危険を冒すつもりは毛頭ありませんので。ローマックさん、あなたがあまり干渉すると私は協力できなくなります」
「ぐ……」
父親として息子を助けるためならいくらでも頭を下げて、命を懸けてくれと頼み込もう。
だが……息子は、クルトは優しい子だ。
そのクルトが、よりにもよって死への恐怖を和らげるような話を聞いた直後に、他人を巻き込むかもしれないと聞いて……それでも試すと言えるのか?
そして、成功率九割……致死率一割というのは、赤の他人のために行う賭けとしてはあまりに危険だ。父親の俺が替われるというのなら、俺は迷わずにそうする。
だが、もしも俺が彼の立場だったら。
昨日今日あったばかりの、なんの恩も義理もない他人のために、一割の確率で死ぬ賭けをしてくれと言われたら……俺は、それができるとは言えない。俺が死んだら息子が路頭に迷う。
赤の他人のためにそんなことはできないと言って断るだろう。そして、俺にはその意思を覆すような報酬を払う力はない。
それを彼は……
「……まだ、治療院までの道のりも、全身に石化が回るまでの時間も残っています。しかし、作業や治療にかかる時間を考えれば今日中には決めてほしいそうです。では……」
狂信者は立ち上がった。
いや、立ち上がろうとした。
だが……
「おね……がい。たすけて……たすけて、ください。おねがいします……おねがい、します!」
息子の顔が、彼の顔を真っ直ぐに見つめていた。
ずっと首を動かすことも苦しくて真上を向いていた息子が、涙を流しながら首をひねり、必死に訴えていた。
「何のためにですか? 死にたくないから、ですか?」
「ぼくは……まだ、なにもできてない! いのちがけでも……たすけてください」
初めて聞いた、息子の心からの訴えだった。
石化が始まってから日に日に動かなくなっていく身体で、俺に苦労をかけると申し訳なさそうに微笑んでいた息子の、そんな気遣いを失った本気の形相だった。ここで彼に去られては死ぬ……そう思い、なりふり構わずに縋り付こうとする決死の表情だった。
それを見て、動かない身体の代わりに心で縋り付かれた男は……
「ふむ、了解しました。あなたは全力で生きることができる、大変善き人ですね」
これから命を懸けようとする人間だと思えないような笑顔で頷いた。
side 狂信者
さて、ということでクルトさんに見事説得されてしまったため、昨晩と同じ岩陰に移動して一応聞いていたであろうテーレさんに報告したのですが……
「何考えてるの! 赤の他人のために命を懸けるなんて!」
おお、こわいこわい。いえまあ、こうなるのはわかっていましたが。
テーレさんは怒り顔ばかり、たまにはちゃんとした笑顔を見てみたいものですね。いえ、怒らせているのはおそらく私のせいなので自業自得なのはわかっていますが。
「何を考えているかと言えば、そうですね。九割の確率で二人助かり一割の確率でゼロ人助かるのであれば期待値1.8で何もしない期待値1より合理的かと考えましたが」
「期待値計算とかどうでもいいし! わかってんの!? あんたが死んだらディーレ様の『聖地創建』の計画が!」
「あまり声を荒立てるとあちらのお二人にも聞こえますよ。それに、一つ訂正を。失敗した場合の結果は『死亡』ではなく『石化』です。そのような事態はできれば避けたいですが、その場合はテーレさんだけでも計画の続行をお願いします」
「は、はぁぁあああ!? ちょっと待って! まさかあんた、自分が石化したら石像状態のまんまどっかにしまっとけって言ってんの!?」
「はい、最悪の場合はですが。テーレさんが常々言っているようにテーレさんの最大の弱点は私ですし、私が『死亡』すればテーレさんは道連れですがあの呪いは致死性ではなく動けないだけでしょう? テーレさんからすればいつも扱いづらいと言っている私が扱いやすくなれば悪い話ではないのでは?」
「ちょっとそれ本気で言ってんの!?」
「私は常に本気ですよ。ただ、さすがに命の流転から永久追放とかは勘弁なので時限式で破壊される仕掛けや進行報告をお願いします。時々思い出した時にでも取り出してもらえたらなと」
暇潰しの相手はライリーさんにでも頼みましょうかね。『研究施設』に関する契約の履行もテーレさんにお願いしなければいけなくなりますが。
「ちょ、あんたは……ああもう、何言ったらいいかわかんないわよ」
岩壁に手をつき、もう片方の手で頭を抱えるテーレさん。
ふむ、割と妙案かと思っていたのですが。石化部分は耐久性がかなり高いようでしたし。『心臓隠し』は神話や物語でもよく使われる方法なのでテーレさんも考えたことくらいはあるかと思っていました。
「ねえマスター、あんたさ……もしかして『弱者の味方』とか気取ろうとしてるの?」
いつの間にか、テーレさんの手は私の胸元を掴んでいました。
拘束の範囲に入る攻撃行為なら許可してありますが、いつもは関節技ばかりでこういう形は珍しいですね。つまりは本気で怒っているということでしょう。
「私のことを愛してるとかなんとか言ってたのも、ただの同情? 『弱者や少数の味方』とか『強い者から弱い者を助ける』とかやりたいの? 言っておくけどね! 私は同情なんていらない! 『強い者から弱い者を助ける』なんて言えるのはその『強い者』よりももっと大きな力を持った者だけが言える傲慢!」
傲慢……ですか。
まあ、確かに転生者の中にもそういった『ヒーロー』のスタイルを貫いている方はいるそうですが、それも神々からいただいた能力あってのものでしょうね。しかし……
「わかってないならはっきり言ってあげる! 私たちは弱い! ディーレ様の力は三大女神よりずっと小さくて転生者に与えられる能力の性能も低い! 三大女神の所の転生者が選んだ『従者』なら私の『万能従者』よりも強い従者が与えられる! そんな弱い私たちが弱い者の味方をしていたって何も起きないの! そんなことを続けていればいつか潰される! 私たちはまず力を持った者からその力を借りられるようにしなきゃいけないの! こんなところでかっこつけて命懸けてる場合じゃないの!」
私たちは弱い……それはそうでしょう。
わかっていたことです。私は未だろくに新しい魔法を習得することすらできず、テーレさんは自身の呪いを発散させるために他の魔法を使える余力がない。この世界にいる転生者としては最弱かもしれません。
しかし……
「そんなふうに弱い方に自分から付こうとするっていうんなら……同情の安売りをしたいっていうんなら、私は協力できない。石化は勘弁してあげる、けど治療院に入院させて、監禁して、二度と私に命令できないようにしてやる。ねえ……あんたは、不幸な誰かを見かけたら、そんな軽い気持ちで助けようとするの? それなら……ラタで私を助けたあんたは、そんな軽い気持ちだったの?」
テーレさんの口調が弱弱しくなりました。私の胸倉を掴む手が震えています。
ええ……わかりますよ、これはさすがに私でもわかります。
傷つけてしまいましたか……そんなつもりはなかったのですがね。
「テーレさん……必要ならば命令を使います。血清聖水の準備をお願いします。それと……細かな言葉は私の中で整理できてからちゃんと伝えようと思いますが、要点だけ先に言っておきます」
これがテーレさんへの謝罪の言葉として成立するかはわかりません。
もしかすると、もっと怒らせてしまうかもしれません。あるいは、結論に変わりがないとでも言われるかもしれません。
しかし、ここだけは誤解してほしくないのです。
「私はテーレさんが不運だから、不幸だから愛していると言ったわけではありません。同情や慰めでそう言ったわけでも、自分より不幸であろう他人を見て安心するために一緒にいたいと思ったわけでもありません。むしろ、私は尊敬と憧憬をもって、テーレさんを上に見ています。もちろん、ただ『天使』という種族だからというわけでもありません」
跪き、私の胸倉を掴む手をそっと握ります。
力強い手……意志の籠った、熱い拳。
神々でも根治が難しいという並外れた強度の呪いを持つテーレさんですが、きっと探せばテーレさんよりも不幸な方はいくらでもいるでしょう。
少なくとも、それだけの呪いを持ちながら幸運の女神たるディーレ様に拾ってもらえたという時点で、テーレさんは世界で最も不幸な者という位置は誰か他者に譲り渡してしまっているでしょう。
しかし、そんなことはどうでもいいのです。
私は、ただ偶然に確率的な不幸を持って生まれたことも、幸運の女神と出会ったことも評価基準にはしていないのです。
ただ……私は、あなたやクルトさんの、その『熱』が愛おしく、そして眩しいだけなのです。
「私は不運な弱者が好きなわけでも、不幸な敗者が好きなわけでも、幸運な勝者が好きなわけでも、幸福な強者が好きなわけでもありません……私は『ひたすら切実に、全力で幸福を求める者』が愛おしいのです。狂おしいほど愛したいのです。だからこそ、テーレさんが愛しいのですよ」
……まあ、それが傾向的に『弱者や少数の味方』になってしまいやすいのは、変わらないかもしれませんがね。




