第56話 『石化の呪い』➁
side 狂信者
この世界における『呪い』の定義は多少の幅がありますが、基本的に共通するのは『一度成立すると術者の意志とは関係なく作用し続けるもの』ということです。
人を呪わば穴二つ。
吐いた唾は呑み込めず、口を突いて出た呪詛の言葉を後悔しようと取り消すことはできない。
呪紋は一度刻めば込めた無意識でも効力を発揮し続け、呪文は定型文として魔法の発動暗示を意識の奥深くまで浸透させることによって常に一定の出力で魔法を使えるようにするもの。
そして、今回の場合では『呪い』とは『疵』か『病気』のようなもの。単純な破損ではなく、影響が継続し続けている状態です。
「診察完了。石化は全身の六割まで進行、重くなった部位に引っ張られての肉体的ダメージはあるけど、石化そのものが原因での壊死はなし。完全石化の症状は末端からだけど、生身の部分も若干の鈍化あり。ただし石化部分も鈍くはあっても触覚や熱感はあり。そして……『聖水』の処方は一時的な軟化はしても根治の効果なし。確かにこれはそこらの街じゃ治してもらえないタイプね」
息子さんの診察を終えたテーレさんは深く嘆息しながら毛布をかけなおします。
行商さんの強い要望で息子さんを起こさずに診断しましたが、鈍化していても感覚はあるようなので寒くなるといけません。
荷台から降りてきたテーレさんに、行商さんは深く頭を下げます。
「本当にすまなかった……魔がさしたとしか言えない。だが、動かない部分は日に日に広がってるんだ……この調子だと、治療院に着く前に息子は……」
「はあ、狙ったのが私達で……というか、うちのマスターでよかったわね。他の冒険者なら容赦しないだろうし、もし成功していてもただ手を血で染めるだけだったわ」
凶行に走りかけた行商さんが提出したのは、凶器というよりも治療器具の類。
魔法のおかげでやや医療技術の発展が遅いこの世界において一般的に用いられるという、前世の病院で見たものより少しばかり原始的な作りをした点滴チューブと針でした。
血液の交換、いわゆる『瀉血』に必要な道具一式です。
この世界では『呪い』の治療法の一つとして用いることがあるとか。
つまりは、最悪の場合は眠っていた私をナイフで脅して無理やりにでもこれを使おうとしていたわけですが……
「先に言っておくけど、この呪いは瀉血で治る種類のやつじゃないから。モンスター産の毒みたいなタイプなら薄めるくらいはできるかもしれないけど、これは無理。せっかく入手したみたいだけど、その道具は役に立たないわ」
どうやら、その苦肉の策も最初から効果が期待できないものだったようです。
まあ、努力や覚悟と結果が相関するとは限らないので、ここは彼が無駄に罪を重ねずに済んだ幸運に感謝しましょう。
しかし、それを口にするのはさすがに酷なもの。
行商さんの悲壮な表情がさらに深まります。
「そうか……街で冒険者ギルドに解呪を頼んでみたことも何度かあるが、いつも断られて……」
「安全確実な解呪法が解析されてない呪いは解呪しようとする側も危険だからね。特に今回の場合……原因が魔導書の呪いなんでしょ?」
そう言ってテーレさんが手に取ったのが、ベルトできつく封印された古い書物らしきもの。
『魔導書』と呼ばれる滅多に手に入らないもの……いわゆるレアアイテムです。
しかし、それは同時に『禁書』にも分類されるものらしく、ベルトにも偶発的に外れないように呪紋が刻まれています。
「テーレさん。魔導書の呪いとはどのようなものなのですか? その本が原因となっている呪いであれば、本を浄化すればその影響も消えたりということ……では、ないんですよね」
「そうだよ……だから厄介なの、この手のものは。『魔導書の呪い』っていうのは、簡単に言えば高位の魔法使いが自分の作った危険な魔法を素人や未熟者が安易に習得できないように仕掛けたトラップ。人為的なものだからいくらでも悪質にできるし統一された解呪方法もない。本自体が魔法を発動してるわけじゃなくて、本の中に仕込まれた暗示を読み込んだ人間の無意識が勝手に魔法を発動して自滅するようになってるから、単純な解呪魔法や聖水で一時的に効果を打ち消しても魂の底に刻まれた呪いが勝手に再発動して意味がない。簡単に解呪できないからこそ、その呪いに耐えられるだけの精神を持った人間じゃないと読もうとは思わないんだけど……」
「息子さんは事故でその魔導書を読み、呪いを受けてしまったと」
行商さんの話では、今テーレさんの手中にある魔導書は元々、とある村で隠居生活をしていた老人の家の蔵から手に入れたものだそうです。
身よりもない老人がお亡くなりになられたので、丁度村を通りがかった行商さんにお金になるものを買い取ってもらって引き取り手のなかったよくわからない物品の数々を処分してもらおうと。
そして、商人の修業として息子さんを同行させていた行商さんは蔵からの運び出しを指示し……蔵の中にあった魔導書を彼が偶然見つけて読んでしまったことに気が付かなかった。不幸な事故です。
「気付いたのは翌日、買い取った物品を鑑定している時だった……封印の帯が古くなって切れた魔導書を箱の中から見つけて、息子の指先が動かなくなっていて……俺がもっと注意するように言っていれば!」
「そうね……はっきり言って、これは方々で断られてもしょうがない。ていうか、冒険者でも神殿でも手を出したくない案件だわ。魔導書に込められた呪いって、悪質なやつは本当に悪質だから。そもそも『呪いが怖いなら最初から読むな』って脅しが目的だから……しかも、魔本でもないくせに本自体が表面以外はやたら綺麗だし。こういう劣化しないアイテムを作れる魔法使いは相当高位だから、呪いも相当複雑な可能性が高い」
「つまりは……テーレさんにも、解呪法はないと?」
テーレさんが顔を伏せ、数瞬沈黙します。
そして、行商さんへ向かって慰めるように言いました。
「ローマックさん、残念だけど。私は生身の部分が残ってる今の内に息子さんの安楽死を提案するわ。全身が石化して、魂が『石』に定着して囚われてしまえば、人間にとってはただ死ぬよりも苦しい状態になる。解呪の薬は難しいけど、楽に死ねる毒くらいなら今すぐにでも作れるわよ」
泣き崩れた行商さんをそっとしておくため、馬車から少々離れ、月明かりに照らされた大岩の陰にて。
岩に寄りかかる私の隣に腕組みして立つテーレさんに問いかけました。
「『解呪法』……あるのですね。しかし、あの場で教えたくはないと。提案ですが、理由を教えてもらってもよろしいですか?」
私に『嘘』を明言できないテーレさんが私からの質問に答えず、わざわざ行商さんの方を向いて発言したことで『解呪法がない』というわけではないのはわかりました。
ついでに『解呪の薬』もおそらく『困難』ではあっても『不可能』ではないということも。
私からこのことについて問いかけられるのはわかっていたようで、テーレさんは動揺を見せませんでした。
十数秒の沈黙の後。
「あるにはある。けど、割に合わない。だから言わなかった。泣きつかれても面倒くさい」
「割に合わないというのは、彼に払えない高額な薬が必要だというような話ですか?」
「……」
どうやら、違うようです。
テーレさんは『嘘』を言わないために『そうだ』とは言いませんが、沈黙でそう思わせようとしたのはわかります。
しかし、実際に高額ならその具体的な値段を言えば済む話。
それを買うために財産を支払うのは行商さんであり、彼が破産してでも息子さんを救いたいというのならテーレさんがそれを阻む理由はありません。
となると……
「……私たちに不利益があるため。というより、私に何かしらの危険があるため、ですかね」
『冒険者や神殿でも手を出したくない』とは言いましたが、『解呪が絶対に不可能である』とは明言しませんでしたしね。危険を冒せば解呪できる可能性がある方法は一応存在するということでしょう。
そして、テーレさん自身が危険だというのなら、それを私に言えばいいだけの話です。私はテーレさんが嫌だと言うのなら、その危険な方法を無理強いしたりはしませんし、他人より自分を優先したテーレさんを嫌ったりもしません。
テーレさんが嫌われたくないがために黙っていたとするのなら、『割に合わない』と言って金銭的な都合で命を見捨てるように思わせようとする必要はありません。
「……ほんと、その無駄に察しの良いところ困るわ。それなら、私の気持ちも察してほしいんだけど」
「私の身を案じていただけることは非常に嬉しいことです。しかし、方法があるのにそれを秘密にされているとなると気になって夜もろくに眠れません」
「これだから……そこまで言うんなら教えてあげるわよ。勝手に試されても困るし」
テーレさんは諦めたように肩を竦め、深く嘆息しました。
そして、行商さんが近くに来ていないことを確認してから、バックパックに忍ばせていた魔導書を取り出しました。いつの間にか動揺した行商さんの手からくすねていたようです。
「『血清聖水』。呪いへの耐性の強い魔法使いや聖職者が該当種類の呪いを敢えて受けて、自力で抵抗した後で、その血液を使って作った聖水を処方する。あのタイプの呪いなら、そうやって同じ魔導書の呪いに対して特化した聖水を体内に入れて無効化させるしかない。少なくとも、そうすれば『癒し手』の力で暗示を消すのも間に合うわ。けど……」
「神官適性の高い私なら呪いへの耐性も高い。しかし、失敗すればミイラ取りがミイラですか」
「……一応、事前にある程度対策を取っていれば呪いもかなりリスクを下げることができる。けど、私だと血清聖水を作れない。私の『呪い』は血に作用するタイプだから、むしろ悪化するわ。そして、誰もこれを彼に教えなかったのは、これが危険で割に合わないから」
「その方法を取りかねない変わり者など、私くらいしかいないからと」
「……ちょっと、何を笑ってんのよ。まさかとは思うけど……」
「そうですね……別に、私は善行ができることならしたいですが、善意の押し付けはしたくありません。彼も魔がさしたと言っていますし、勝手に危険を冒して助けようとは思いませんよ。自分の子を助けるために他人の命を危険にさらすというのも一種の悪事ですし、それを強要するのもまた罪でしょう」
「というかそもそも、勝手に血を交換しようとしたやつに怒りとかないの?」
はてさて、今回の件に関して私が怒りを覚えるべきことが何かありましたかね?
まあ、安眠を妨害されたという点では少々文句を言ってもいいかもしれませんが。寝る前に相談してくださればいいのに。
「彼は最終手段としてナイフや器具を用意していただけで、結局使うに至らなかったのでしょう? それに、彼は伏せた情報はありましたが嘘は言っていません。その情報を伏せたことに関しても、それは息子さんに石化の症状をきっと治ると言い続けるためであり、息子さんのストレスを考えれば彼が起きている間には残酷な事実を曝露する可能性のある私たちにはできない話でしたし。彼は状況が悪いために情報制限を強いられているだけで、他は極めて誠実だと思いますよ?」
「お人よしめ……でも、あの親子が治療院に行く理由がなくなると、また近くで足を確保しなきゃいけないね。さすがに歩いて行くには遠いし、追っ手が来ても困る」
「……? 血清聖水が成功した場合は、結局根治のために治療院まで行くのでは?」
「……は? 見捨てるって話じゃなかったの?」
おやおや、どうやら意見の交換で齟齬が出てしまったようです。
問題が発生する前に修正しなくてはなりませんね。
「私は『善意の押し付け』をしたくないと言っただけで、『助けてほしいかを訊ねない』とは一言も言っていませんよ? ただ、今はまだ夜なので朝になってからになりますかね」
「他人の命を危険にして自分の子を助けるのも悪事だって……」
「ええ、父親である彼の立場に問いかければそれは実質選択肢のない問いかけです。あまり意味はありません。ですから……」
私が問いかけるべきは、誰よりも当事者である彼自身でしょう。
呪いが解けずに安楽死するにしろ、他人の命を危険にさらして呪いを解いて生きるにしろ、それをよしとするかは本人の問題です。
「明日、息子さんが目覚めたら彼自身の状態について説明をお願いします。症状に関する質問に対しても正直に答えてあげてください。その後に彼と話し……彼が私を説得することができた時には、血清聖水の作成をお手伝いください」




